第二報 土砂降り


 カトリーヌが今フリーだということは彼女の初日にニコラの奴が速攻で聞き出していた。その情報収集力を仕事に発揮できない残念な男ニコラである。


 カトリーヌに彼氏が居ないというのは頷けた。彼女は見た目によらず男慣れしていないようだったし、むしろ男を避けている。




 ある日、休憩室の前を通った時に同じ部屋の女どもが井戸端会議をしていたのを耳にした。カトリーヌの名前が聞こえてこなければ素通りしていたところだった。


「カトリーヌさんも就職して二か月か……早いわね」


「はい、あっという間でした」


「ねえ、クロトーさん、貴女恋人も婚約者も居ないのよね? うちの部屋に目ぼしい男子はいない?」


 俺も大いに気になる話題だ。立ち聞きするしかないだろう。


『それはもちろんガニョンさんです♡』という返事を切に期待したが……


「え?」


 カトリーヌは答えにきゅうしているようだった。確かにあのお局たちに囲まれていては、恥ずかしくて『私、ガニョンさんしか目に入りません』なーんて言えるわけねぇな……


「ニコラ君はどう映るのかしらね、同年代の女子の目には」


「甘え上手な男の子って感じ?」


 何が甘え上手だ、奴が出来ることといったら仕事を他人に押し付けることだけだろーが……ものは言いようだな、全く。


「彼とはいつも一緒に仕事していて、お世話になっています」


 カトリーヌがニコラの世話をしているという方が正しいぞ。


「じゃあ、エリック君は? ちょっとチャラ男過ぎる?」


「えっと……面白い方だと思います」


 あのエロックはやめておいて正解だ、うちの弟よりも始末が悪い。触れただけで妊娠する、性病まで移されるぞ……


「うーん、シャルル君はどうかしら?」


「彼はオタクでマザコンよー」


「職場の先輩として頼りになる方です」


 仕事はまあ出来るが……あんな冬彦ヤローと付き合うとデートにまでママがついてくるに決まってる。


「ティエリー君は? 彼まあまあカッコいいし、仕事も出来るし、将来有望だしね」


「でも仕事が恋人って感じ? 女性を好きになれないのよ、きっと」


「えー、BL系なの彼? ショック!」


 好き勝手言いやがって。確かにここ最近は仕事ばかりで女と付き合ってねぇからって、男色と決めつけんなよ。ショックってどういう意味だ、俺は異性愛者だろうが同性愛者だろうがアンタらはお断りだ。大体な、カトリーヌが勘違いするじゃねぇか! 


『ガニョンさんのことが好きなのに……私では恋の対象にもならないのね……』


 彼女にそう誤解されると思うと俺の方がショックだ。


「私、ガニョンさんは先輩として……尊敬しています」


 俺はカトリーヌにとって、二次元の女にしか興奮しない素人童貞冬彦シャルルと同程度の認識しかされてねえのか……しばらく落ち込んで立ち直れん……




 そして冬も近づいたある日の夕方、俺の大事なカトリーヌの身にあのおぞましい事件が起こった。今思い出しても怒りが湧いてくる。あの場に俺がいなかったら、と思うとぞっとする。


 その頃の俺はカトリーヌと帰宅時間が一緒にならないかと、いつも狙っていた。しかし俺も残業や会議、打ち合わせを兼ねた夕食会も度々入るし、そもそも彼女は一人ではなく他の誰かと一緒に帰宅してしまうこともあった。


 丁度帰宅が一緒になり、ついでに夕食、そのついでにグフフな展開に……なんて機会は訪れなかった。


 俺はその日、仕事を終え、少し前に一人で帰宅したカトリーヌに追いつけないかどうか、急いで本宮の建物を出ようと一階への階段を下りていた。正面入り口への吹き抜けの間にカトリーヌの後ろ姿を認め、ガッツボーズをとり、更に急いでいたところだった。


 いきなりカトリーヌが歩みを止めてこちらを向くので、俺とばっちり目が合った。忘れ物か、それとも誰かと待ち合わせでもしていたのだろうか。


「クロトーさんも今帰り?」


「はい」


 結局正面入り口から出る俺にカトリーヌもついてきた。そこで入口の扉のところに居た護衛の一人がカトリーヌに声を掛けてきた。


「よぉ、お前も王宮に勤めてんのか? 久しぶりだな」


 俺のカトリーヌに馴れ馴れしい口をきくなと言う意味で睨んでしまった。彼女の知り合いにしては目つきの良くないガラの悪い人間である。


「ええ、こんばんは」


 彼女は特に立ち止まって話をしたいわけでもないようだった。


「ちょっと待てよ」


「あの、私急いでいるので失礼します」


 急ぎ足になったカトリーヌと一緒に本宮の建物を出る。この機会をむざむざ逃すわけにはいかない。ついでに夕食を一緒に、そのついでにチョメチョメ……下心をさらさないように、出来るだけ爽やかに聞いてみた。


「良かったら家まで送ろうか? もう暗いし、夜道は危険だ」


「私、西宮の職員用宿舎に住んでいますから、すぐそこなのです。でもお気遣いありがとうございます」


 意外な答えが返ってきた。


「え、そうだったの?」


「はい。職住近接でとても便利ですわ。お疲れ様でした。失礼します」


「あ、うん……また明日ね」


 カトリーヌは俺に頭を下げるとさっさと右手の西宮方面に向かって去って行った。俺は一人そこに残され、しばらく彼女の後ろ姿をぼーっと眺めていた。


 彼女が王宮内の宿舎に住んでいるとは知らなかった。確か彼女のクロトー男爵家の領地は王都から少し離れている。王都に屋敷も持っているものと思っていた。


 カトリーヌの姿は暗闇に消えて見えなくなりかけていた。宿舎まで送れば良かったと思い直し、その上何か虫が知らせたとでもいうのか、俺は彼女を急いで追いかけた。


 そうしたら何と彼女は人気のない暗い王宮の中庭に、引きずりこまれていたのである。


「やめて!」


「まあそう言うな、すぐにヨクなるさ……いつも未遂で終わってっからなぁー」


「お、大声出すわよ!」


「フン、周りには誰も居ねぇよ。まあそれでも口はふさいでおくかな」


 男がカトリーヌの口にボロ布を押し込もうとしているところに駆け付けた俺は、そいつの首根っこと腕を掴んだ。先程のガラの良くない護衛の男だった。その薄汚れた手で俺のカトリーヌをけがすんじゃねぇ、と叫びそうになった。


「それが居るのだな、目撃者がここに」


「何だと?」


 日々体を鍛えているだろう護衛に力で敵うわけはないと思った。その時はその時だ、超カッコ悪かろうが俺がやられている間にカトリーヌだけは逃がせられる。


 ところが俺がそいつの腕をひねると、いとも簡単に地面に押さえつけられたのだった。


 騎士志望の弟マキシムと取っ組み合いの喧嘩をしながら育った俺は、弟から関節技の決め方や急所やらを教わっていた。兄弟仲は悪くないが、今までの人生で弟の存在をここまでありがたく感じたのは初めてだった。


「名前と所属部署は?」


「ウガガガ……何だてめえ!」


「名前と所属! 可愛い後輩がこんな目に遭わせられて私は非常に気が短くなっている。まだ喋れるうちに早く言え!」


「ジョ、ジョゼ・シュイナール、王宮護衛第五班……」




***ひとこと***

益々悩めるティエリーさんでした。


後半はカトリーヌ編『第一報 凍て空』に当たりますね。実はティエリーさんは腕に自信なく、ジョゼにはボコボコにやられる覚悟で立ち向かったのですねー。勇気ある行動に拍手!

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