第一報 落雷
― 王国歴1049年 春-秋
― サンレオナール王宮本宮
私の名前はティエリー・ガニョン、高級文官として王宮に勤める次期伯爵です。愛しのカトリーヌに出会った当時、私は司法院所属でした。
……って肩が凝るから丁寧語はもうやめさせてもらう。職場では寛容で冷静な文官の仮面をつけっぱなしで、両親の前では良い子の長男のフリでストレスが溜まるのだ。
カトリーヌはその秋に新人の文官として同じ部屋に配属されることになっていた。彼女だけでなく、新人が配属される前にはどんな顔ぶれが入ってくるのか職場で必ず噂になる。
同じ執務室の男どもが少々浮ついて話していたのを耳にした。
「今度の新人、結構可愛いらしいね」
「はい、カトリーヌ・クロトーさんですよね。僕の二つ下ですから学院時代から知っています。その上彼女胸もこう、割とあってですね」
「そりゃ楽しみだな」
ふん、バカバカしい、顔の美しさ、胸のデカさやアソコの閉まり具合で文官の仕事が勤まるもんか。体を使ってのし上がるのなら別だが。文官に必要なのは頭脳に状況判断能力に気遣い、速筆の腕だろ。
仕事に男女の差はないし、俺はどうも女だから新人だからって甘える人間は苦手だった。しかし外面だけは寛容で面倒見のいいガニョン室長補佐としては、そんな苛つく男でも女でも怒鳴りつけることはない。泣かれたり、パワハラモラハラだと騒がれたりと最近は面倒なことが多いしな。
今度の新人だって試験に合格したからここに配属されたのだ。何と言っても天下の高級文官試験だ、見た目の良しあしや胸や一物のサイズでは加点はないはず。そうだったら俺は満点以上をはじき出していただろう。
初出勤日にやってきたカトリーヌを見て、後輩たちが沸き立っていたのも
ハッキリ言ってその頃の俺は仕事に負われる毎日で、枯れかけていたのである。
カトリーヌは常に真摯な態度で仕事を覚えるのも早く、周りに媚びたり頼り過ぎたりということもなかった。ここ数年、新人が入ってくる度に実は気が短い俺はイライラさせられることばかりだったので、彼女の仕事ぶりには感心していた。
彼女の態度は何というか控えめで職場でも積極的に人間関係を築こうとしているわけでもなかった。
文官は何種類かに分類される。女性の一般文官に多い嫁ぐまでの腰掛派、とにかく出世を目指してがっつく派、何となく仕事をしているだけの浮草派などである。カトリーヌはそのどれにも当てはまりそうになかった。
同僚の男性の食事や飲みの誘いもやんわりと断っているようだったし、上にごまをするわけでもない。
残業だって、その隣の席の男にニッコリ笑いかけて首を
別にそれが悪いわけはない。彼女は笑顔も固く、態度も頑なという印象も受けた。
そうこうしているうちに季節は移り変わろうとしていた。いつものように執務室に一番に着いたある朝のことである。カトリーヌもいつも早めに出勤してくるので、うちの部屋では俺と彼女が始業前に二人きりになることが多かった。しかし、挨拶だけ交わして世間話などすることはまずなかった。
その日はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた俺に、珍しくカトリーヌが話しかけてきたのである。
「ガニョンさん、お邪魔して申し訳ございません。あの、昨日の書類、もう上に提出されましたか?」
「君とニコラで書いた書類だよね。いや、まだ私の手元にあるよ」
「ああ、良かったです。昨夜、帰宅した後に数字の間違いをしたかもしれないと気付いたのです。これから直しても宜しいですか?」
「うん、いいよ」
俺は引き出しの中の未提出分に仕分けしてあった、その書類を取り出してカトリーヌに渡した。書類を受け取った彼女はさも愛しそうにそれを眺め、ふわりと微笑んだ。
今まで俺が見たことのない彼女のその自然な微笑みを目にした瞬間、俺は心臓を鷲掴みにされギュッと締め付けられたような感覚に陥ってしまった。
カトリーヌは顔を上げながら書類を胸の前に抱きかかえ、その美しい瞳でまっすぐ俺を見た。
「ありがとうございます、今直ぐに調べて書き直しますから」
ペコリと頭を下げて自分の席に戻る彼女の後姿を、席に着いてそれは楽しそうに資料を漁りながら書類と見比べている彼女の笑顔をボーッと
カトリーヌは五分もしないうちに再びその書類を胸の前に抱えて俺の席に戻ってきた。その頃には俺も久しぶりに本気で恋に落ちたと自覚していた。
「お待たせしました」
「あ、うん」
カトリーヌに手渡されたその書類を思わず破り捨ててしまいたい衝動に駆られた。たかが紙切れの分際で彼女の満面の笑みを受け、その上、その上、あの豊満な胸に押し付けられていたのだぞ!
しかし、折角直した書類を再起不能の紙屑にしてしまったらカトリーヌが悲しむ上に、俺は仕事のし過ぎで乱心したと思われるに違いない。
その忌々しい紙切れをめくりながらカトリーヌに話し掛けた。
「どこを直したの?」
「ここです、年毎の被害届件数なのですけれど、一桁間違って写してしまって」
「でも最終的に署名したのはニコラで、君は手伝わされただけだろう?」
大体、ニコラの馬鹿野郎は自分の方が先輩なのに新人に書類作成を手伝ってもらうとはどういうことだ。
「そうですけれど、間違えたのは私ですし……」
もしミスを指摘されてもニコラの責任で、カトリーヌは別に黙っていても何もお
カトリーヌのそんな正直で真摯な態度を見ていて、日々彼女に対する好感度が増していたところに先程の笑顔で俺の最後の決壊はもろとも崩れ去ったのである。
「ガニョンさんが上に提出する前に直せて本当に良かったです」
彼女はまだ微笑んでいるのだが……その女神のような笑みは俺ではなく、この憎き紙切れに向けられている。ちくしょう、いい思いしやがって……俺も彼女のその胸にパフパフされてぇよ……
その日から俺の切ない片思いが始まった。
***ひとこと***
閲覧警報通りで申し訳ございません。悩めるティエリーと、彼にそんなことを思われているとは露知らないカトリーヌでした。
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