第四報 曇天


 私の所属する司法院には私と同期の一般文官が二人居ます。セリーヌとナタリーです。学院時代から一緒に学んだだけで、あまり親しくしているわけではありませんが、時々話をします。


 先日彼女たちと一緒に昼食をとった時に二人は今度の新人ローズさんの噂話を始めました。


「あのローズって子、学院時代のマキシムさまにやたらと色目を使っていた女じゃない?」


 むしろティエリーの弟マキシムさんの方がローズさんにちょっかいを出していたような気がするのです。


「そう言えばそうだわ」


「就職も難なく高級文官でしょう、お父さまは副宰相で侯爵、天は二物も三物も与えちゃうのよね」


「セリーヌの部屋の所属になるのよね。貴女親切にした方がいいのじゃない、何かあったらパパに言いつけられるわよ!」


「そうなのよ、何だか憂鬱だわ」


 聞いていられません。私は反論も意見も言わず、黙々と食事をします。


「先日、うちの両親が見たのよ、あのローズがティエリーさんと歌劇を観に行っていたところ」


 思わずフォークを落としそうになりました。動揺を悟られないようにナタリーに聞きます。


「そうなの?」


「ええ、付き合っているのかしら、あの二人。弟より兄の方がパパには受けがいいのでしょうね、何と言っても同じ文官で目を掛けられているから」


「大勢の取り巻きの中から選り取りみどり、いい気なものね。王太子殿下や第二王子とも親しいのよね」


 目の前が一瞬真っ暗になりました。ティエリーはガニョン伯爵家の跡取りです。きっと家の格に見合うような女性を将来の伯爵夫人として迎える、そんな日がいずれは来ると思っていました。


 ローズさんは王家とも繋がりのある侯爵家の令嬢で、お父さまは次期副宰相、ティエリーのお相手としてはこれ以上ないくらい申し分ない方です。




 傷心の私は今まで以上に仕事に打ち込むようになりました。職場でティエリーに会えることが私の生きがいでしたが、今は少し苦痛にもなっています。彼の穏やかな笑顔が眩しすぎて辛いのです。


 ある日、私は同僚のエリックさんに聞かれました。


「カトリーヌちゃんは今度の舞踏会に行くの?」


 夏の初め、王宮で王太子殿下の生誕祝いが開かれるのです。


「いいえ、私は行きませんわ」


 エリックさんが私をカトリーヌちゃんと呼ぶのがいつも気になります。しかもまるで幼い少女を相手にするような喋り方をするのです。私がこだわりすぎなのでしょうか。


「第二王子殿下がそろそろ花嫁探しモードに入っているって噂だよ、カトリーヌちゃんも十分可愛いのだから名乗りを上げたら?」


 王子だろうが国王だろうが、本当に踊りたい人と踊れないのなら意味がありません。私の憧れの人もきっと出席するのでしょう。彼がローズさんやどこかの令嬢と優雅に舞っているところなんて私は見たくもありません。


「そんな、とんでもないです」


「じゃあ俺がカトリーヌちゃんをエスコートしてあげようか?」


「……えっと、私にはもったいなすぎるお話ですわ」


「あっそう、残念だなぁ……」


 仕事中に少しくらい雑談をするのはいいのですが、仕事の手まで止めて話し込むのはどうかと思います。それにあまり個人的なことをペラペラと話しているのをティエリーに聞かれたくありませんでした。私が話に乗ってこないのでエリックさんとの話はそこで終わり、私はほっとしていました。


 実家には舞踏会への招待状も届いているのでしょう。しかし両親も弟たちもわざわざ舞踏会のためだけに王都に出てくるような人ではありません。




 そんなある日、うちの領地の隣に住んでいる叔父と叔母が宿舎の私を訪ねて来ました。彼らは私に三日後に迫っている舞踏会に一緒に行こうと提案するために来たのでした。


 彼らは一人娘を今回の舞踏会でデビューさせようと張り切って数週間前から上京していたのです。


 しかし、ドレスも仕立て上がっていたのに従妹は水痘にかかってしまい、泣く泣く今回の舞踏会は断念したそうでした。従妹は可哀そうですが、舞踏会なんて何度でも機会はあります。私にふらないでほしいです。


「カトリーヌ、私たちと一緒に行きましょうよ。娘のこのドレス、少し手直しすれば着られるわよね。あの子にはまた新しいドレスを仕立てればいいのだし」


 ドレスの問題ではありません。


「そうさ、折角王都に出てきたのに何もせず領地に戻るなんて」


 彼らは病気の娘を宿に放ったらかして、舞踏会に出かける気です。


「お二人でどうぞお出かけください。私は遠慮させていただきますわ」


「カトリーヌ、そんなこと言わずに、ねえ。お義姉さまに聞いたら舞踏会だなんてまず出席していないそうじゃないの、王都に住んでいるのにもったいないわ!」


「そうだよ。君もまだお付き合いしている人もいないのだろう? 運命の出会いがあるかもしれないよ!」


 二人共悪い人ではないのです。結局私は押し切られ、彼らは従妹のドレスを置いて帰っていきました。


 その夜、私は美しい若草色のドレスを見ながらため息しか出てきませんでした。


「ガニョンさんは……ローズさんと舞踏会に行かれるのでしょうね……」


 私はきっと壁に張り付いて指を加えてお似合いの二人を見ているだけになるのです。全然気乗りのしない舞踏会でした。




 当日、私は従妹のために仕立てられた少々サイズの合わないドレスを着て、宿舎に迎えに来てくれた叔父夫婦と王宮本宮に向かいました。


 舞踏会の行われている大広間に入るなり、一番見たくなかった光景が私の目に入ってきました。ティエリーと腕を組んだローズさんに、彼女のご家族が王家の皆さまに挨拶をしていたところだったのです。


「さあ、私達も国王陛下にご挨拶に行くぞ」


 両陛下の御前には、私たちの前にも何人か並んでいたので待っている間にティエリーとローズさんの姿を近くで目にしました。


 後ろ姿と横顔しか見えませんが、黒い礼服姿のティエリーはとても凛々しくていつもの数倍素敵でした。ローズさんの薄い桃色のドレスも華奢な彼女に良く似合っています。


 あんなに美しい彼女が隣に居るのです、私のことなんて目にも留まらないに違いありません。隣の叔父に気付かれないように今日何度目か分からないため息をつきました。


 ローズさんたちは挨拶が終わり、広間の真ん中に移動していきます。私はティエリーの正面からの姿も見たい衝動にあらがえず、叔父と話をしているふりをしながらちらちらと二人の方に目線を向けていました。


 その時、何とティエリーとばっちり目が合ってしまったのです。普段まとめている髪を緩く巻いて下ろしている私を職場の後輩だと彼は認識しなかったかもしれませんが、慌てて会釈をしました。


 彼は何だか目を見開いて驚いている様子です。




***ひとこと***

カトリーヌが思っていた通り、ティエリーさんはローズと舞踏会へ来ていました。しかもローズと歌劇を観に行ったことまでカトリーヌに知られていますよ、ティエリーさん!

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