第五報 春雷
「カトリーヌさん、こんばんは。いつもに増してお綺麗よ。素敵なドレスね」
ローズさんが私に気付いて挨拶をして下さいました。学院では同じ科だったとは言え、学年が違う彼女が私の名前まで覚えていてくれたとは思っていませんでした。
「ローズさんの方こそお美しいですわ。就職おめでとうございます。それに……お二人とても良くお似合いです」
笑顔はぎこちなかったかもしれません。でも、ちゃんと私は言えました。
「クロトーさん、君、来ていたのか……」
ティエリーは何に驚いているのでしょうか。宿舎暮らしの私が立派なドレスを着ていることでしょうか。来ていたのかって……一応私も男爵令嬢ですからこの舞踏会に出席する権利はあります。
叔父は私と一曲踊った後、昔馴染みを見つけたとかで叔母と共にどこかへ行ってしまいました。どうやら彼らは知り合いとお喋りするために来たようです。だったらわざわざ私を連れてくる必要もなかったのです。
私は予定通り、ローズさんとティエリーが仲良く踊っているところを壁にへばりついて指をくわえて見ることにしました。
もうこうなれば荒療治です。いつまでもずるずると引きずりたくはないのです。失恋を自覚して私は前に踏み出したいのです。しっかりと現実を受け入れることにします。
大広間では所狭しと優雅に踊る男女が入り乱れています。その中にはもちろんティエリーとローズさんも居て、それに親友のソニアの姿も見つけました。背の高い黒の礼服を着た男性と踊っていました。
「まあ、ソニアも来ていたのね。舞踏会なんてまず興味なさそうなあの子がね……あの男性と一緒に来たのかしら?」
さて、ティエリーとローズさんは一曲一緒に踊っただけで広間の隅に移動していました。そしてティエリーの弟のマキシムさんが二人に近づくと、彼はローズさんの腕を掴み、広間の真ん中に連れて行きました。
マキシムさんは
「どういうことかしら?」
私の目から見てもはっきり分かります。ローズさんとマキシムさんはお互いを見る目が恋する人間のものだということが。ではティエリーは弟に恋人を取られたのでしょうか。
「ねえ、君踊らない?」
私は男性に声を掛けられました。先程からずっと足が痛いことにして誘いはことごとく断っていた私です。
「じゃあ椅子でも持ってこようか? いや、そこのバルコニーに出て座ってお喋りしようよ」
お喋りだけが目的ではないのは彼の目つきで分かります。
「でも、私ここで人を待っているので……」
「そんなこと言わずにさ、すぐそこのバルコニーだよ」
かなりしつこい男です。
「待たせたね、カトリーヌ」
私の後ろから掛けられたその優しい声だけで、それが私の愛する人だと分かりました。カトリーヌと彼に名前で呼ばれたのは初めてです。
ティエリーがどうして私のところに来るのか分かりませんが、とりあえずこの男を追い払うことが出来そうなので安心しました。自然と笑みがこぼれました。
「いえ全然待っていませんわ」
ティエリーは私に寄り添い、親しげに腰を引き寄せます。私の心臓は動きを速めました。
「えっと、じゃあ僕は……失礼します……」
私がまた懲りもせず男に色目を使っているとティエリーに誤解されたのかもしれません。何と言い訳しようか迷いました。
「ガニョンさん、ありがとうございます。あの人しつこくて……」
「クロトーさん、今日の舞踏会、欠席じゃなかったの?」
彼は私が同僚のエリックさんに言っていたことを聞いたのでしょう。カトリーヌと親しげに呼んでくれたのはあの男を追い払うためだけのようでした。
「本当は来る予定ではありませんでした。でも出席できなくなった従妹の代わりに叔父と叔母に引っ張り出されたのです。このドレスも、彼女のために仕立てられたものなのです」
少し手直ししたものの、胸の周りがきつくてスカートもやや私には短いのです。
「そうだったのか、道理で……」
「えっ? ガニョンさん?」
ティエリーが私の胸元をじっと見ているような気がします。
「い、いや、何でもないよ……」
「あ、もしかして笛ですか? 今日もちゃんと持っていますよ。流石に首には掛けられませんから」
「え? あ、ああ、魔法の笛のことか……」
「ええ。あの笛を持っていないともう落ち着かなくて……」
「そうなの?」
「今は紐を腕に巻いて、袖の中に忍ばせているのです。ほら、ここです」
私は二の腕の内側を指差します。このドレスを着る時に笛をどうしようか迷いました。今日は笛ではなくドレスに合う首飾りをつけました。肌身離さず持っていたい笛を下着の中に忍ばせるということも考えました。
でも、いざというときにすぐに取り出せないと意味がありません。迷った挙句、腕に巻くことにしたのです。
「なるほどね。では折角君が舞踏会に来ているのだから……」
ティエリーは何とそこで私の体を離し、私に
「カトリーヌ・クロトー様、私と踊っていただけますか?」
ローズさんを弟に奪われて彼は
「はい、喜んで」
嬉しそうに微笑む彼に手を取られ、大広間のダンスに加わります。ティエリーの眼差しに、優しいリードに、彼の全てに私の身も心もとろけてしまいそうでした。
曲はあっという間に終わってしまいました。
「疲れていなければもう二、三曲一緒に踊りませんか?」
「ええ」
もう少しだけの間、彼の腕の中で夢を見させてもらっても罰は当たらないでしょう。曲のリズムも少しゆっくりになり、私たちの体はますます密着しました。これが最初で最後の機会かもしれません。
私は明日からも頑張れそうでした。
ダンスを四曲も続けてティエリーと踊ったので、その後は彼は私を置いて何処かへ行ってしまうものと思っていました。
しかし、ティエリーは私に飲み物を取ってきてくれ、二人で座れる場所を探しています。私たちが南側バルコニーの前を通った時、ティエリーがそこに空いたテーブルと椅子があるのを見つけました。
「そこに座れるよ」
それと同時に、そのバルコニーのもっと奥の角で二人の男女が取り込み中なのが私の目に入ってきました。なんと、ローズさんとマキシムさんでした。
「そ、そこはよろしくないですわ、ガニョンさん」
私は慌てました。口付けている二人の姿を見せられるなんて、傷心の彼の傷口に塩を塗るようなものです。
「どうして? 何をそんなに焦っているの? おいでよ」
私はティエリーの前に回り、彼の体を押し戻そうと必死でした。
「クロトーさん?」
「だって……あそこ……ローズさんと弟さんが……」
私は失意の彼の気持ちが痛いほど分かります。出来ればローズさんが弟さんと居て、しかもとてもいい雰囲気になっているところを彼に見て欲しくなかったのです。
「もしかして私のこと、ローズという恋人を弟にとられた気の毒な男だと思っている?」
「そうではないのですか?」
「あーあ、君にそんな誤解をされるのだったら、こんな損な役回り引き受けるんじゃなかったよ、全く!」
「損な役回り?」
「うん。弟がね、ローズのことを愛しているのにいつまでもフラフラモタモタしているのが悪いんだよ。私は当て馬第一号ってわけだ」
***ひとこと***
とりあえずカトリーヌに真実は伝わったのでしょうか!? マキシムとローズのごたごたはカトリーヌにまで影響を及ぼしていたのでした。
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