第三報 雷雨


― 王国歴1049年冬-1050年春


― サンレオナール王宮



 私に良くしてくれたティエリーに何かお礼がしたくて、私は何を贈ったらいいか迷っていました。ある朝、思い切って聞いてみました。魔法の笛を手に入れるのに苦労したのでしょうし、ジョゼが異動になったことにも彼は一枚噛んでいると私は確信しています。


「ガニョンさん、あの、色々お世話になったお礼をしたいのですが、何がよろしいでしょうか?」


「パ、いや、ベ、……別に何でもいい、と言うよりそんな気遣い無用だよ」


 ティエリーはハッとした様子で少し考えていたようですが、口を開いた彼はいつになくどもっています。


「そんなことおっしゃらずに、それでも私もあまり高価なものは手が出ませんけれども……」


「うん、だから気にしなくてもいいのだよ。君が安心して過ごせて、仕事の能率が上がることが重要なのだから」


 確かに仕事熱心なティエリーらしいです。私がジョゼの影におびえなくなってうちの部屋全体の仕事の足を引っ張らなくなったことが何よりの収穫なのでしょう。分かってはいたことですが、私はやはり職場の後輩としか見られていないのです。




 次の休みに王都繁華街で毎年開かれる年末の市に行く予定だったので、そこでティエリーにも何か買うことにしました。各地の名産品などが並ぶ盛大な市で私も毎年末家族への贈り物を買っているのです。


 今年の市へは学院時代からの親友、ソニアと一緒に行きました。


 彼女は魔術科出身で魔術院に就職しました。文科で一緒に学んだ女子の中では私一人だけが高級文官を目指していて、他の子は皆一般文官として就職しました。ですから同じ文官でもどうしても隔たりができていてそんなに親しくはしていません。


 ソニアは私の唯一の気の置けない友人です。私が親戚の家で貞操の危機にさらされていたという事情も知っていて、彼女のお屋敷でお世話になっていたこともありました。


 就職してからは彼女と会う頻度は減りました。けれど同じ王宮勤めですから時々一緒にお昼を食べたり、こうして休みの日に出かけたりしています。


 市の人ごみの中を歩きながらソニアに聞かれました。


「ねえ、カトリーヌ、何があったの?」


 ソニアは私の身に何か起こったと察したようです。でも、どうしてでしょうか。


「何がって?」


「貴女ねぇ、私に相談出来ないことなの?」


「そういうわけではないのよ……」


「じゃあ私から聞くわよ。その首に掛けている魔法具は何処で手に入れたの? とても強い魔力を出しているわよ」


「えっ? そうね、魔術師の貴女にはこの笛の力が感じられるのね……」


「先程軽く抱擁を交わした時に分かったのよ。ドレス越しに触れたからだわ」


「これはね……貴女には隠し事は出来ないわね……最初から話すわ。実はあのジョゼが護衛として王宮に勤めていたのよ。ある日の夕方、本宮の正面玄関でばったり会って……」


 私は事件のことをかいつまんで話しました。ティエリーの名前は出しませんでした。ソニアは真面目な顔になって聞いてくれています。途中から私の手を握ってくれました。


「ごめんね、言い難いことなのに……」


「いいえ、いいのよ。それに彼はもう王宮には勤めていないの。この魔法の笛はその時助けてくれた先輩が下さったのよ。見る?」


「この雑踏の中でそれは出さない方がいいわね。今度人の居ない所で見せてもらえるかしら。そんな珍しいもの、魔術師でも新人の私はまず見ることもないわね」


「値もつけられないほど貴重なものだと私も分かっているわ」


「カトリーヌはその先輩のことが好きなのね」


 ソニアには全てお見通しでした。


「ええ、でも彼は……私のことはただの職場の後輩としてしか見ていないし、きっと私は軽蔑されていると思うのよ。あんなジョゼみたいな人間と付き合いがある、身持ちの悪い女だと……」


「それは違うわよ、彼がそう思っているなら、貴女のためにわざわざ魔法具なんて作らせるわけないもの」


「……とにかく貴女に話したら少し気が楽になったみたいよ」


「水臭いわね、カトリーヌ。あのね、一人でため込まないでよ。私ならいつでも話も聞くから。何のための親友よ」


「ありがとう、ソニア。私、その先輩にお礼として何かここで買いたかったのだけど……何が良いか全然見当もつかないわ」


 帽子や手袋、小さな置物、お守り……彼の洋服の好みは何となく分かりますが、私が庶民の市で買えるようなものなど彼は使わないでしょうし、迷惑に違いません。


 食べ物といっても難しいものです。散々迷ってソニアにも助言してもらい、結局コーヒー豆を買いました。


 市で買い物を済ませた後、学生時代に良く行っていた食堂に寄りました。この宿屋兼食堂を切り盛りするおばさんのところに私は良く逃げ込んではかくまってもらっていたのです。


 今でも私は時々ここに食事をしに来ます。おばさんはソニアとも顔見知りで、二人で顔を出すと大層喜んでくれました。そして彼女からジョゼが左遷されたことを聞きました。実は異動ではなかったのでした。今彼は王都外れの牢獄で護衛として働いているそうです。


「あんな手癖の悪い最低野郎が王宮の仕事なんて長続きするわけないよと思っていたんだよ! ざまーみろだ!」




 季節は移り、春になりました。職場では翌年度に入ってくる新人の話でもちきりでした。


 私にも後輩が出来るとは感慨深いです。同僚たちが主に噂をしているのは新人の一人、ローズ・ソンルグレさんのことです。王国史上最年少で副宰相の職にこの夏に就任するアントワーヌ・ソンルグレ侯爵は彼女のお父さまなのです。


 私の一つ下のローズさんは学院時代に同じ文科でしたし、私も顔は知っていました。


 大抵の人は彼女のことを知りもしないのに、否定的なことばかり言っているのです。父親のコネで就職したとか、親父が大物だから使いにくいとか、言いたい放題です。とにかく彼女の就職は鳴り物入りでした。


 けれど彼女の配属先の直属の上司はソンルグレ次期副宰相と仲が悪い人です。副宰相が娘の人事に口を出したなら、あの室長のところに配属になるはずはありません。誰もその考えに行き当たらないのでしょうか。


 とにかく家柄が良くて親が立派すぎる人も大変です。私なんて無名の男爵家出身だから周りの期待なんて皆無でした。


 私はソンルグレ次期副宰相を良く知りませんが、ティエリーは時々定例会や懇親会で顔を合わせているようです。同僚たちの噂によるとティエリーは彼に目を掛けられているのだそうです。ティエリーが将来有望だと認められている証拠です。




***ひとこと***

新キャラのソニア嬢にお馴染みのアントワーヌとローズ親子の登場です。

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