カトリーヌ

第一報 凍て空

― 王国歴1049年 秋


― サンレオナール王宮




 私の名前はカトリーヌ・クロトー、それほど裕福でもない田舎の男爵家の長女です。


 小さい頃から勉強が好きでした。成績が良かった私はもっと自分の実力を試してみたくて、王都に一人出てきて貴族学院に編入しました。


 自分で言うのもなんですが私の外見はどちらかというと美人に分類されます。母の見事な金髪を引き継いでいて、顔立ちもはっきりしています。瞳は灰色で、肉厚な唇に、左目尻下のほくろ、胸も大きい方です。男受けするタイプ、でも妻にするよりは愛人向きなど、周りの男の子たちからは好き勝手なことを言われます。


 貴族学院生の頃から結構もてていた私は何人かと付き合いましたが、彼らが私に求めるものと私のそれが大きく食い違い、長続きした試しがありませんでした。


 私自身はお付き合いするなら誠実な男性がいいし、見た目と違って中身は至って普通の真面目な人間なのです。気軽に遊べると思って声を掛けたのに、キスでさえもなかなかさせてもらえない、つまらないのだそうです。


 その度に落ち込んでいましたが、今はもう割り切っています。弱小男爵家の娘は真剣な交際相手ではなく、遊び相手にしか見えないのでしょう。貴族社会とはそんなものです。


 将来の夢はお嫁さん、なんて絵空事を言っていたのは貴族学院に編入する前くらいまででした。学生時代は自立するために勉学に励みました。そして卒業後は王宮に高級文官として就職することができました。




 司法院に配属された私はそこで執務室の先輩ティエリー・ガニョンに出会いました。彼に紹介された時、ああこの人好みだわとその瞬間に思いました。


 ガニョンという苗字には聞き覚えがあると思ったらあの有名人、マキシム・ガニョンのお兄さまでした。弟のマキシムさんは同級生の女の子たちが良く噂していたので知っていました。


 兄弟良く似ていますが、ティエリーの髪は弟さんより色が濃くて茶色に近く、その穏やかな喋り方から受ける印象は全然違います。マキシムさんよりもずっと誠実に見えるのです。


 人は見た目で判断できないことは私が身をもって知っています。でも、ティエリーと同じ部署で毎日一緒に仕事をし始め、彼の仕事に対する姿勢や、同僚への態度を見るにつれ、彼に尊敬の意を抱くようになりました。それが恋心に変わるのにそう時間はかかりませんでした。


 ティエリーは誰にでも親切で、私が女だからといって見下した態度も取りません。私も色々なことを教えてもらい、良く助けてもらっています。


 私は彼にとってはただの職場の後輩で、それ以上ではないことは分かっていました。男女の同僚に隔てなく接するティエリーを尊敬しているのに、彼に女性と認識してもらえないことを寂しく感じてしまいます。


 私の苦しい片思いの日々が始まりました。


 仕事はとてもやり甲斐があり楽しくて、私はこの居心地の良い職場の環境を自分から壊すことを恐れ、ティエリーへの気持ちはそっと心の奥底に封印していました。私は彼に早く一人前の文官として認めてもらえるよう、仕事に励みました。




 就職して数ヶ月、冬も近づいたある日の夕方のことでした。もう日が暮れるのも早くなり、外は薄暗くなっています。


 帰宅しようとしていた私は本宮の正面入り口の所に見知った顔を発見しました。学生時代に居候していた親戚の家の息子ジョゼです。彼が王宮の護衛として就職したことは知っていました。


 それでも広い王宮内、顔を合わせることなどまずなかったのです。彼を避けたかった私は別の出口から出ようとしたところに、帰宅途中のティエリーにばったり出くわしました。


「クロトーさんも今帰り?」


「はい」


 北側の別の出口から出そびれてしまいました。結局ティエリーについて正面から出ます。ジョゼの顔は見ずに素通りしようとしました。


「よぉ、お前も王宮に勤めてんのか? 久しぶりだな」


 やはり話しかけられてしまいました。


「ええ、こんばんは」


 私は頭を下げて急ぎ足で去ろうとします。


「ちょっと待てよ」


「あの、私急いでいるので失礼します」


 ティエリーの問いかけるような目線が痛かったです。でも何も聞かれませんでした。




「良かったら家まで送ろうか? もう暗いし、夜道は危険だ」


 本宮を出たところで親切なティエリーはそう言ってくれました。


「私、西宮の職員用宿舎に住んでいますから、すぐそこなのです。でもお気遣いありがとうございます」


「え、そうだったの?」


 西宮の宿舎とは、主に一般職員である侍女や看護師のためにあるもので、高級文官として勤める貴族が入る場所ではありません。私は理由があって宿舎住まいなのです。隠していたわけではありませんが、出来ればティエリーには知られたくありませんでした。


「はい。職住近接でとても便利ですわ。お疲れ様でした。失礼します」


「あ、うん……また明日ね」


 私はティエリーに頭を下げて西宮に向かいました。




 薄暗い中庭を歩いていたところ、急に後ろから何者かがやってきて私を羽交い絞めにしました。


 怖くて声も出ませんでした。そのまま私は中庭の茂みの陰に引きずられるようにして連れていかれました。ジョゼでした。


「さっきはよくも無視してくれたな、つれねぇじゃねえか! 俺とお前の仲だろ?」


「ア、アンタとは昔も今も関係ないわよ!」


 恐怖で歯の根が合わず、逃げたいのに体が思うように動きません。


「そんなこと言うなって」


 彼は私を地面の上に押し倒し、覆いかぶさってきます。必死で抵抗してみますが、彼に頬をげんこつでぶたれました。


「やめて!」


「まあそう言うな、すぐにヨクなるさ……いつも未遂で終わってっからなぁー」


「お、大声出すわよ!」


「フン、周りには誰も居ねぇよ。まあそれでも口はふさいでおくかな」


 私の口に汚い手拭いを押し込もうとしている彼の急所を思いっきり蹴り上げようとしたところ、誰かが現れて彼の身体が少し離れました。


「それが居るのだな、目撃者がここに」


「何だと?」


 ティエリーでした。ジョゼの首根っこと腕を掴んで私の身体から完全に引きはがした後、腕をひねって地面に押さえつけました。


「名前と所属部署は?」


「ウガガガ……何だてめえ!」


「名前と所属! 可愛い後輩がこんな目に遭わせられて私は非常に気が短くなっている。まだ喋れるうちに早く言え!」


「ジョ、ジョゼ・シュイナール、王宮護衛第五班……」




***ひとこと***

ティエリーさんは騎士志望の弟マキシムが居るので、幼い頃から取っ組み合いの喧嘩などをしながら育ちました。ですから簡単にジョゼのヤローをやっつけられたのですね。それにしても乙女の危機に間に合って良かったです。

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