第70話 側近ライの履歴書・その7

 運命に出会った。


 それは僕たち皇太子専用の常時依頼。

 普段人目のつかない場所を回って修理の必要箇所を報告する。

 表に出ることが出来ないので、こういった形で王城の内部構造を学んでいる。

 ご婦人の控室以外は出入り自由のそれは、王城で働く人々の自然な声を拾い上げるのにうってつけと言える。

 各省庁や貴族についてくる召使たちの控室。

 用もなく歩き回れる者はいない。

 園丁管理部の園丁課と営繕課の依頼書を盾に好きなように歩き回る。

 そうすると上には絶対上がってこない愚痴や不便さを拾い上げることができるのだ。

 それで改善されたことも随分ある。


 王城は広い。

 王都の一割を王城が占めている。

 いや、正確には一割の半分だ。

 もう半分は某侯爵家の敷地になっている。

 はるか昔に賭けに負けた皇帝が譲渡したとか聞いたが、ご当主が出仕していないのでどのようなお家かはわからない。

 その日は敷地の中でも特に遠くにある場所の確認に訪れた。

 独立した小さな屋敷。

 直系の皇族は御所に住むのだが、召使や護衛などが必ず傍に侍る。

 ここはそういった面倒くさい者たちを排除して、自分一人で過ごすために作られた場所。

 今では使う者もいないので、数年ごとに掃除をしたり修理したりしているそうだ。

 屋敷の裏には小さな花壇があって、かつての主が政務の間に小さな花を育てていたと言う。

 だが僕たちの前には華やかさの欠片もない地味な畑があった。


「手入れの行き届いた畑だなあ。そう思わないか、ライ」

「ファー、いいんですか、勝手にこんなところまで来て。まあ、確かによく世話をされていますね」

「畑の草むしりの依頼も随分こなしてきたからな。作物を見る目には自信があるぞ」


 こんな人の来ない場所になんで畑なんてあるのだろう。

 雑草を見つけたのかしゃがみ込んだファーの背後に突然人影が現れ、彼の肩に長い棒でピシりと一撃を与えた。


「人の菜園で何をしてらっしゃるのかしら」



 女性は苦手だ。

 いや、恐ろしい。

 元婚約者の件があるからか、どうしてもかまえた見方をしてしまう。

 冒険者ギルドの女性職員にも必要以上の会話はしない。

 近くに寄られるだけで息苦しさを感じてしまう。

 あんな振舞いをする女性はそうはいないから、気になるご婦人がいたらいつでも手を貸すと父上も母上も言って下さる。

 だがファーと同じで僕もピンとくる女性に出会わずにいた。

 だがあの日、僕たちは確かにピンときた。

 そしてあの小さな屋敷に通い始めた。


 アンナたちとのお茶会は楽しかった。

 背筋の伸びた立ち姿も、僕のほんのちょっとした表情から何かをくみ取ってくれる気遣いも、全てが好ましく感じられた。

 何よりも普通に息が出来る。

 また騙されるのではないか、裏切られるのではないか。

 そんな心配などしなくてもいい心地良さは、この生活がずっと続いてくれたらと願わずにはいられないほど快適だった。


「ところでライ、エリカたちはなんであそこに住んでいるんだ ? 身の回りの世話をする侍女もいないし力仕事を任せる侍従もいない。おかしくないか ? 」

「あの屋敷は宮内庁の管理下にあるはずですが、使用許可申請書は出されていません。彼女たちの年齢ではそんな書類を提出できるはずがないのですが」


 本人たちから話を聞くのが一番なのだが、知り合ったばかりの冒険者に話してくれるかどうか疑問だ。

 行けば歓待してくれるが、直接訊ねるのはもう少し信頼関係を築いてからのほうがいいだろう。

 まずは誰があの屋敷を利用しているか調べるところから始めよう。

 そんな矢先、あの衛兵隊たちがやってきた。


「アンナのことは、僕が必ず守るから」


 思わずそう言って抱きしめてしまった。

 あの男たちに一歩も引かず堂々と立ち向かったアンナ。

 とても弟より年下には見えない惚れ惚れするような立ち居振る舞いだった。

 しかし、その手は少しだけ震えていた。

 まだ成人前の少女がどれほど恐ろしかったろう。

 この小さい肩をなんとしても守らなければ。

 だがそれがそもそもの勘違いだった。

 アンナは誰かに守られているような女性じゃなかったんだ。



 そこから先は本当にあっという間だった。

 皇太子妃選抜からの陰謀。

 違法な奴隷売買。

 他国からの干渉。

 てんこ盛りの事件の連続だ。

 アンナもエリカもその中で縦横無尽に立ち回って、あれよあれよという間に鮮やかに解決してしまった。

 二人の英知は計り知れない。

 どちらが皇太子妃に選ばれてもおかしくない。

 本来ならばそれを決めるのは宗秩そうちつ省の総裁だ。

 だが前総裁が黒幕として処分されてしまったことと、本来ならば出会わないはずの僕たちがすでに交流を深めてしまったことで、新たな総裁は全ての決定権を皇太子に与えた。


「待たせた、ライ。お前もやっとアンナと婚約できるな」

「本当にそうですよ。皇太子役なんてやっていたせいで伝えたいことも伝えられなくて」


 とは言え突然抱きしめたり突然ぼんやりした言葉で告白したり。

 御所侍女の中で僕には『唐突くん』とあだ名がつけられていたらしい。

 けれど、アンナがどうしようもなく愛しくて、恋愛経験のない僕は恋人になるまでの適切な過程なんてわからなかったのだからしょうがない。


「まさか僕が侯爵家に婿入りして爵位を継ぐなんて、養成学校の卒業式の時には思いもしませんでしたよ」

「俺だって好いた子が出来てその子と結婚出来るなんて考えもしなかったよ」


 本人の意思とは関係なく選ばれた令嬢と、これまた本人の意思と関係なく夫婦にならなければいけない皇太子と。

『皇太子妃選定の儀』が決まった時のファーの情けない顔を思い出す。


「そう言えば奴隷にされた前総裁、元気かな。エリカを選んでくれたことに礼を言いたいが」

「なんでも売られた先の商会で腕を振るっているそうですよ。どんぶり勘定だった経営をたったひと月で健全なものに変えたとか」


 自分が買われた理由が事務仕事と経営の見直しと聞いて、主人を顎で使いながら仕事に邁進しているらしい。

 

「それで、いいんですか。僕がまだ皇太子宮に住んでいて」

「かまわないだろう。結婚すれば侯爵邸に住むんだし、それまではここにいろよ。だってお前は俺の弟だからな」

「それが一番納得がいかないんですけれどね」


 皇太子役を引き受けたときに山のように書いた書類。

 あの中に皇帝ご夫妻との養子縁組の書類がこっそり混ぜてあったらしい。

 

「そもそも平民を御所に上げるなんてことはできないから、誰かの養子になるのは決まってたんだよ。宰相のところが最有力候補だったんだが、奥さんが嫌がってね。何かあったらお家乗っ取りになりかねないと。それでうちの親がって話になったわけ。お前に後ろ盾が何にもないと、この二人三脚が終わった後で行くところがないからな」


 帝位継承権のない養子だからまだ我慢が出来る。

 それに・・・。


「ただのライオネルでは侯爵令嬢との婚約は難しいですしね。それに両陛下をこれからも父上、母上とお呼びすることができるのは嬉しいです」

「ああ、二人もそれは言っていたな。こんなに長く暮らしたんだから、もう本当の家族だって」


 ヴァルカの両親や弟妹のことは気にかかるが、あの日で縁が切れてしまった。

 もう出会っても声をかけることもない。


「これからも弟として、側近として力を貸してくれ」

「ええ、穏やかな良い国を作りましょう」


 六年間の大仕事が終わった。

 何もかも無くしたと思ったけれど、愛する人と出会った。

 家族も出来た。

 これからは皇室を支え、国民が平和に暮らすことができるようファーの横で尽力するつもりだ。

 

 と、その時は思ったのだが、まさか十数年後にとんでもない出来事に侯爵家が巻き込まれるなんて知る由もなかった。

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