第57話 彼の事情と彼女の怒り
アンナはかなり以前からライに苛立っていた。
物静かで自己主張はしないけど、しっかりと政務は行っているようだし冒険者としての腕もある。
為政者としては、元日本人としては抜けているところがあると言わざるを得ないけれど、この世界ではかなりまともな方だと思う。
そして、多分、アンナのことを好いていてくれるのだろう。
多分としか言えないのは、その件について一度も言明していないからだ。
侍女さん経由であの甘ったるいセリフが
しかし、ならば、もう少し直接的な表現があっても良いのではないかと思うのだが、なぜか選んだように褒めるセリフしか使ってこない。
これはわざと外しているのか ?
つまり彼は、アンナのことなどなんとも思っていないのではないか。
皇太子殿下は二十五才。
自分の意思でお妃を選ぶことはできない。
数人の候補者の中から選出された女性を妻とする。
決定までは交流はおろか顔を見ることもできない。
だが、今回のお妃選定は異例の出会いから始まった。
なのである程度の選択の自由があるかもしれない。
とはいえお膳立てされた婚約であるのは間違いない。
ならばせめて相手と良い関係になりたいと思っているのではないだろうか。
かと言って十も離れた小娘に、心にもない愛の言葉を囁くのは無理だろう。
だからこその繰り返されるあの言葉なのだ。
前世では押し付けられた婚姻だった。
どちらも断りようがなかった。
それでも夫婦になった以上、お互いに尊敬と思いやりの心を持って暮らそうと決めて過ごした。
ちょっとしたことでも報告し合い相談して、少しずつ歩み寄った。
それなのに、医者の不養生。
夫は自分の病気に気づかずに、娘が生まれる前に逝ってしまった。
本当に短い付き合いであったけれど、それなりに穏やかな良い夫婦だったと思う。
だからこの人生でも同じようにしたいと思っていた。
どうせ婿養子を取らなければならない身。
ならば前世同様、ゆっくりと愛情を育んでいけたらと。
けれど、ライときたら歩み寄る気があるのかないのか、あの言葉を繰り返すだけなのだ。
餌ばかりちらつかせて、決定的なことは言わない。
ほのめかすばかりで、何が言いたいのかわからない。
そして今、まさに耳元で囁き続けているのだ。
「僕の気持ちは」
「わかっているでしょう、僕の気持ちが」
「僕のアンナへの気持ちは」
「この僕の気持ちは永遠に変わりません」
僕の気持ち
僕の気持ち
僕の気持ち
中身のわからないライの気持ちを押し付けられ、アンナに何をしろって言うのだろう。
勝手に皇太子妃候補にされて、いろんな陰謀に巻き込まれて。
まあ、陰謀については二人が嬉々として巻き込まれに行ったのだが。
そして家庭教師がついていたアンナはともかく、エリカは通っていた女学校を中退させられている。
平民のエリカは学校を出ていることがステータスになる。
一大外食産業の跡取り娘とは言え、中退という事実は婿取りでマウントを取られる可能性が高い。
もちろんその時はアンナの実家が後ろ盾になるつもりだ。
それでも不利益を被ったという事実は否めない。
理不尽だ。
理不尽ジンジンだ。
そのすべてが『僕の気持ち』で許されると思っているのか。
娘一人の人生をどう考えているのか。
お役目上仕方がないと、どちらが本物の皇太子かバレてはいけないという配慮もわかる。
にしても、あれだけを囁かれても困る。
もしライが皇太子本人ではなかったら。
アンナが皇太子妃に選ばれてしまったら。
その時あの『僕の気持ち』はどこにやったらいいのだろう。
そのあたりがはっきりしないところがアンナがライをお子ちゃま扱いしているところであり、彼の一言一言を信用しきれないところなのだ。
そんなこんなで、
「ライのばかぁぁぁぁっ ! 」
イライラがつのって、気が付いたら皇太子殿下の頬を思いっきり引っぱたいていた。
「いい加減にしてっ ! なんなの、僕の気持ち、僕の気持ちって。ライの気持ちなんて
「ア、アンナ ? 」
ヒリヒリする左頬をさすりながら、ライは豹変したアンナの態度に唖然とする。
「
「いや、僕は何も狙ってなんて」
「ハニトラですのね ? あの教師の方たちみたいに、
◎
「・・・何やってんのよ、アンナ」
突然の痴話喧嘩に振り返ったエリカは頭を抱えた。
「ライもライよ。なんでまたこんな時にアンナを怒らせちゃったのよ」
「いや、うん、すまない、ツレが」
「もう、ここは静かに脱出して一網打尽にする作戦だったのに」
自分の感情を口にするのは二人の立場上難しいのはわかる。
だがそれならそれで友情くらいにしておいてくれればよかったのに。
あれじゃあ甘い言葉を囁いて金品を貢がせておいて、後で「え、僕は愛してるなんて言ったことはないよ。何か勘違いしてるんじゃない ? 贈り物 ? 君が勝手にくれたんじゃない」ってほざく結婚詐欺の手段と同じじゃないか。
「ライは奥手だし、一度女性関係で痛い目にあってるからなあ。にしても言葉が足らないし、しつこすぎる」
「あなたがそれ言う ? それはともかく、ちょっとアンナもライも。
「夫婦じゃないわよ ! 」
グワッと否定するアンナの腕をエリカが引っ張る。
「今の大声で絶対に奴らに気が付かれたわよ。とっとと逃げるわよ ! 」
「うっ、忘れてましたわ。でもっ、ライが酷いんですもの ! 」
「ですから僕の気持ちはっ ! 」
「まだ言うかぁぁぁっ ! 」
エリカは文句を続けようとするアンナを引きずって出口へ急ぐ。
廃坑の奥からザワザワバタバタという音がする。
「ほーら、見つかっちゃった。ファー、ライ。その袋の中身をぶちまけながら走って。ファー、予定通りにお願いね」
「承知した。ライ、呆けていないで走れ ! 」
皇太子殿下二人は担いだ袋を空にしながら走る。
皇太子妃候補は文句を言いながら走る。
四人とも口元は布で覆っている。
「逃げられたぞ ! 」
「ゲホゲホっ ! なんだ、この埃っぽさは ! 」
「追えっ、逃がすな ! ゲホゲホ ! 」
廃坑は掘りつくされただけあって、かなり奥が深かった。
かなり走ったのにまだ出口が見えない。
「連れ込まれる時は袋詰めされてたのよね。まだ先かしら」
「いや、ここは北向きだから外光があまり入ってこないんだ。そんなに遠くじゃない。ほら、見えた ! 」
逆光で顔は見えないが手を振る人影がいる。
先に逃がした女性たちだ。
頼んだ通り観音開きの扉はギリギリ人一人が通れるくらいに開けられている。
四人はそこをスルリとくぐる。
「ファー、お願い ! 」
「まかせろ ! 」
ファーが小さな炎の矢を廃坑の奥に放つ。
全員で扉を閉めて
「みんな、扉から離れて ! 」
急いで扉の左右に分かれてしゃがみ込んだところで、廃坑の奥から雷のような音が響き、それが徐々に大音量となり、そして、扉が吹っ飛んだ。
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