第56話 そうだ、鯨尺を買いにいこう
狭い鉱夫たちの休憩室で、皇太子たちと妃殿下候補たちは睨みあっていた。
いや、正確には妃殿下候補が一方的に睨んでいる。
「なぜ指示を守れないのかしら。お昼過ぎまで待機って書いてあったわよね」
「ギルマスのお許しを得ての行動ですかしら。まさか独断でいらしたわけではないでしょうね」
十も年下の少女に睨まれて、皇太子たちは正座で頭を下げる。
この国に土下座などないのだが、移民の多いアンナの故郷では最大限の謝罪の儀式である。
「いや、俺たちはギルドから協力要請は受けていない。俺たちの判断でついてきたにすぎない」
「だから別にギルマスの許可は必要ないんです。昼過ぎまで待機という指示さえ守れば・・・」
「言い訳はしないっ ! 」
皇太子たちの肩をアンナの
に
「ふふ、やっぱり冒険者の袋って便利ですわね。容量制限はありますけれど、こうやって武器を隠し持つこともできますものね」
「・・・アンナ。
前世でお箸の持ち方とか姿勢とかで散々お世話になったエリカは、アンナの一打ち一打ちに青ざめる。
心の弱さをさらけ出されるような痛みは座禅の
「くっ、これはセシリア侍女長のお説教に似ている」
「この情けの一欠片もない一撃。私情を挟まない鋭さは未来の皇后に相応しい」
「黙らっしゃいっ ! 」
「クッ ! 」
アンナの愛刀がまたまた肩に入る。
怒鳴りつけているようで、実は奴隷商人にバレないように小声である。
それでいてこの威圧感。
十も上の皇太子たちタジタジである。
「アンナ、その辺にしてあげて。そろそろあいつらの休憩が終わる頃よ。さっさと逃げなくっちゃ」
「チッ、まだ二時間は正座させておきたかったのに ! 」
なんだか淑女らしからぬ音がアンナの口から聞こえた・・・気がする。
皇太子たちが正座してまだ十分。
それでも幻聴が聞こえるのに十分な痛手を与えたようだ。
痺れかかった足をさすりながらライが訊ねる。
「そ、それで僕たちは何をしたらいいんです ? 」
「そうねえ。あの袋を一つずつ担いでもらっていい ? 」
「別に二袋でもよろしいけれど、一袋で十分ですわ」
「いえ、二袋担がせていただきます。せめてもの僕のアンナへの気持ちの証として」
「・・・」
そんな証なんかどうでもいいから、担げるなら黙って四つくらい運べや。
まったく
まあファーだって似たり寄ったりだけれど、まだこの子よりはマシだわ。
エリカはアンナの本音と言いたいことは痛いほどわかったが、さすがにライに塩を送るつもりはない。
これは本人たちが解決する問題だ。
ドアの隙間から見張りのいないのを確認すると、まずは『霧の淡雪』が自分たちが持っていたバケツの中身を通路の奥に向かってエイッとばらまく。
そしてハンドサインでみんなを呼び寄せると、追加のバケツを持って計画通りに静かに廃坑の入り口を目指した。
◎
「おい、何か音がしたか ? 」
「ネズミじゃないか ? ここは備蓄倉庫も兼ねているから、時々走り回ってるじゃないか」
これがここでの最後の食事と、商人たちは残った食材を消費していた。
足の早い生ものや野菜は結構な量で、これで酒でもあればと笑い声が上がる。
「なあ、ネズミにしちゃ音がおかしいぞ。ザラザラと言うかシャカシャカと言うか」
「心配性だなあ。そんなに気になるなら見て来てやるよ。俺はもう腹いっぱいだからな」
「すまんな」
「なあに、何もなかったら次の宿場で一杯おごれよ」
まったく臆病者がこんな商売にかかわるなよ、と男は立ち上がった。
さてその頃、脱出組は静かにゆっくりと出口を目指していた。
一気に出なかったのには訳がある。
だがその理由は妃殿下候補たちしか知らない。
「バケツは空になりましたかしら ? 」
「それでは皆さんは急いで逃げて下さい。でも音は立てないで。出たら扉の左右に分かれて出来るだけ離れてしゃがんでいて下さいね」
そう言われて拉致被害者たちは足早に、けれど足音を殺して出口へ向かった。
『霧の淡雪』の二人は皇太子たちの担いだ袋の中身をバケツに移し、それを地面に万遍なく撒きながらすり足で前へ進む。
口元は喉を守るように布で覆われている。
「アンナ、怒っているのですか。僕たちが来たことを」
「怒っていないと思っていらしたとは驚きですわ」
「でも、君のことを思うと心配で。わかるでしょう、僕の気持ちが」
「・・・」
アンナはフンッとバケツの中身を左右にぶちまける。
ファーの担いだ袋からわけてもらうとまた前に進む。
「ファー、あなた、炎の魔法は使えるわよね」
「ああ。もちろんだ、エリカ」
「詠唱の準備をしておいて。それで外に出たら廃坑の奥に向かって放ってほしいの」
「奥 ? 奴らに向かってではなくて ? 」
「ええ。小さい炎でいいわ。できるだけ奥に向かって。できる ? 」
出来ることは出来るが、ただ奥に向かって放つのには何か訳があるのだろうか。
だがこの二人が自分たちの思いつかないことを考えているのは間違いない。
ファーは自分の魔法が役にたつのならと了解した。
そして、かねてからの懸念のあのことを聞いてみる。
「エリカ、もうすぐ社交の終わりの仕舞いの大夜会がある」
「ええ、そして春まで大きな行事はないのよね」
「新年も家族だけで静かにすごすんだが、夜会が終わったら妃殿下候補から候補が外れる。俺とライとどちらが相手になるかわからないが、二人はそれでもかまわないか」
バケツの中身を撒いていたエリカの手が少しだけ止まる。
そしてやれやれと溜息をつく。
「アンナと二人で話し合ったわ。ここまで来たらちゃんと受け入れる。そう決めたの」
「・・・そうか」
「でも、私の相手がライだったら、速攻で辞退するから」
「・・・そう、えっ ?! それってエリカっ ?! 」
あたふたとするファーと平常運転のエリカ。
その時二人の後方でパシーンッと良い音がした。
「ライのバカァァァァァッ !!! 」
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