第15話 譲れないもの
振り下ろされた右腕が、戦闘開始の合図だった。
「〈捉えて〉」
先手必勝、距離を詰める。そう思って踏み出した瞬間、引っ張られる左足に鋭い痛み。バッと見やれば、足元から生えた茨が棘を食い込ませ足首に縛り付く。
「ッいつの間に、」
「〈捕まえて〉」
一斉に蔓を伸ばし、飛び掛かってくる茨の数々。動かない足。このまま迎え撃つしかない。
全部で
――片腕片足へ二本ずつ、腰と首へ一本か。
「はあっ!!」
真っ先に首狙いの蔓をダガーで断つ。
次いで右腕を狙う二本をナイフで処理。
足へ延びた四本を、クロスした両手で切り落とす。
術式が壊れ、魔力が霧散して涸れゆく蔓。残るはあと三本。ナイフを振り下ろす。
「〈逃さないで〉!」
「ッ?!」
それを避けるようにスライドし、左手首に巻き付く蔓。棘の鋭さに、血がポタリ、と滴った。それならダガーでと振り上げた手首に、刺すような痛み。
「くそ!」
――巻き付かれた。
切ろうと腕を動かせば動かすほど引き戻され、棘が深く刺さっていく。心臓が脈打つ度に、ズキリズキリと痛覚が神経を突き刺す。
唯一自由に動かせる右足にも最後の一本が巻き付き、完全に動きを封じられた。
手首の可動域だけじゃ、ナイフもダガーも切り落とすに至らない。
「動けなければそれまでよ、七海ちゃん」
早苗先生の冷たい声が、感情のない瞳が僕を射抜く。
「……そんな簡単に終わらせないでください」
「そう? あなたが動体視力と俊敏性を生かした戦術を使うのは知っているわ。さて、どうするのかしら」
「そうですね。では……」
だからこそ、負けられない。ニヤリと笑みを浮かべて、その顔を睨みつけ。
「武器を捨てるとしましょうか」
言い切れば、ほんの少し動揺したように揺れる目。そのままふぅ、と息を吐いて。
そっとダガーから、手を放す。
「何を、言って――?」
早苗先生が呟く。自重で自然落下する短剣。ダガーの重心は手元付近にあるけれど、それでもすぐ近くの蔓へと刃先を当てることぐらいはできる。
ぷちり。
しゅば。
すかさずナイフを空いた右手へと投げ渡し、握りこむ。
からん。
両足に絡む蔓を霧消させつつ、地面に落ちるダガー。
絡みつく最後の茨をナイフでさっと切り落とし、左手でダガーを拾いつつバックステップ。体勢を立て直して、両手で構え直す武器。
「……驚いたわ」
複雑な感情を交えながら笑みを浮かべる早苗先生。
「まるで曲芸師みたいね、七海ちゃん」
「まあ、そうですね。――魔術学の単位をもらうために、できることはすべてやってきましたから」
鉄錆の臭い。じくじくと熱を持つ四肢。幾度となく経験した感覚に乾いた笑みを浮かべると、突如として漂うふわりとした花の香。黄色の魔力が視界を掠めたかと思えば、みるみるうちに傷口が塞がっていく。
(……
心の中でぽつり念じれば、バックアップすると言っていたからね。そうウインク交じりに
「ふふ。……“せんせい”とやらは、あなたを見守ってくれているみたいね」
「そうですね。偶然の出会いでしたけど、良い
「……本当に、そうかしら?」
スッと鋭く細められる視線。思わずダガーを握る手に
「何を言いたいんですか?」
「――〈切り込んで〉」
聞こえた瞬間に真横に駆け出せば、すぐ側で響くアスファルトに突き刺さる音。二撃目をナイフで切り防ぎ、早苗先生を横目にひた走る。
「〈捉えて〉」
地面に刺さる蔓を左右に避けつつ。直撃しそうな茨をダガーで切って、進路を確保していく。
が。
「ッチ」
左手だとダガーが使いにくい……!
ナイフで蔓を捌きながら、襲い来る茨の全体像を見る。隙がありそうなのは丁度五秒後。――四、三、二、一。
得物を小さく放り投げ、ピボットターン。百八十度向きを切り替える!
「っしゃ!」
無事にキャッチすれば、右手に収まるダガー、左手で掴むナイフ。一拍遅れる茨の攻勢。
「〈逃さないで〉」
その間に走り出し再加速しながら、地面に刺さったままの蔓をナイフで切り伏せる。
残った茨も
「ハアッ!!」
左手目掛けて伸びる蔓を切って。
横から串刺しにせんとする蔓を切って。
正面を塞ぎ襲い来る蔓を切り割いて。
最後の一本――真っ二つに斬り伏せる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
無我夢中で捌いた蔓の猛攻。うまくすべての茨を薙ぎ払ったらしい。
砕けたアスファルトの間に見える地面から、小さく土埃が舞う中。変わらず野茨に囲まれて立ちつくして、じっと視線を僕に注いでいる。
「傷を癒せど、加勢はしない。助言はすれど、傍らにはいない」
呼吸を整えながら、汗をぐいと手の甲で
「“せんせい”は本当に、七海ちゃんの味方なのかしら?」
「……それ、は」
いつかの眠れなかった夜を思い出すような言葉。どくりどくりと心臓が音を立てるけれど、それは動揺したからじゃない。
「……わからないですよ。そんなの」
深く息を吸って、吐いた。
今だって、
あんなに長い間一緒に住んで、過ごしていたとしても。現にこうして武器を手に取り、対峙しているんだから。
「だけど僕は、決めたんです。……自分が信じられるものを信じるって!」
さりげなく引いていた片足をグッと踏ん張って、ロケットスタートで駆け出す。
「っ、〈捉えて〉!!」
不意を突いて一瞬遅れる反撃。それでも十分な猶予だ。
ナイフで蔓をいなし、ダガーで茨を切り弾く。
詰める距離、刃が届くまで肉薄する。茨の根本にナイフを投げ、左手を伸ばす。
「これで――ッ」
「〈薙ぎ払って〉」
瞬間、腹部への強烈な衝撃。
「っ、カハッ」
止まる呼吸。
加速度が反転する。
早苗先生が、遠い。
「っあ」
駄目だ、踏みとどまれない。ダガーを投げ受け身をとり、ゴロゴロと転がる。
「がッ、かはっ、ごほっ、……はぁ、はぁ」
しなる蔓の打撃。まともに食らってしまった腹部を両手で押さえる。アスファルトで擦れた傷なんて気にならないくらいに、ガンガンと痛みが響く。
「
手加減してもらえるだなんて、思っていない。それでも早苗先生の容赦のない攻撃は、身体だけじゃなくて精神的に刺さるものがあって。
「はぁ、はぁ、……ふぅ」
半身を起こして見やれば、ナイフで
なら、何度でも立ち上がって、何度でも切り伏せるしかない。それこそ、魔力が尽きるまで。痛む腹を抱えながら立ち上がって、少し離れたところに落ちたダガーを回収する。
「羨ましいわね」
「なにが、ですか?」
「目が
今まで見たことのない、それは羨望の眼差し。
「……もしそう見えるなら、その理由はきっと」
いつだって、温かく見守ってくれた。時には𠮟られたり、喧嘩をしたりもしたけれど、ずっと僕を、僕たちを愛してくれていた。これは、
僕が“ひだまりの家”を胸を張って自分の家だといえるのは、早苗先生がまっすぐ僕を見て、僕と向き合ってくれたから。
「そういう人に育ててもらったからだと思います」
「――っ!!」
息を飲む音が聞こえる。そして、ゆるゆると首を振って。
「そうだったら、どんなに嬉しいことかしら」
くしゃりと笑って腕をあげ、てのひらを僕に向ける。その仕草に両足を前後に開いて、武器を構えた。
そのまま、十数秒。
詠唱もなく、茨はぐにょぐにょと蠢くだけ。どうかしたんだろうか。そう思ってじっと観察すれば、その指が震えていることに気が付く。
「……え?」
「ああ、やっぱり駄目――私にはできない!!
ぎゅう、と両腕でその身体を抱きしめる早苗先生。今まで聞いたことのないような悲痛な叫びに、呆然とする。
「だって、この上なく大事で、大切で!! 愛しているの!!」
先生としてではない、ただ一人の女性としての声に思えるそれ。
その叫びで、パリン、と何かが砕ける音で景色が
「特有、結界……?!」
空に浮かぶ大きな満月、咲き乱れる梅桃桜。かと思えば紅葉が風に吹かれ、雪がしんしんと舞っている。混沌としていながら美しく、そしてどこか悲しみと寂しさを感じる。
詠唱も何もなかったけれど、きっとこれが、早苗先生の心象風景だ。唯一変わらず存在し続けているエレベーターの扉が、異様ではあるけれど。
視界の中、ゆらり、と早苗先生の身体が揺れる。
「
「これ、は」
聞き覚えのあるノイズがかった声。脈動するかのように発光する魔力。それはつい先程見た、柳先生の姿と重なる。
「
「オーバー、フロー……?」
魔力色素が一層濃く表れる。グラデーションがかっていた髪はもはや、緑一色に染まる。増殖した茨が、まるで檻のように早苗先生を囲う。
「
「早苗、先生……!!」
身体から溢れ出る翠色の魔力。呼応するように花びらが舞い、紅葉が舞い、雪が舞い。幻想のような世界で、爽やかな夏の風が吹いた。
「〈
聞き取れない詠唱。宙に浮いた茨で出来た矢がその矢じりを僕に向けて、次々と生成されていく。この数は――とてもじゃないけれど捌ききれない。だからといって柳先生のときと同じように、取捨選択して壊すことで、生き残れそうなものでもない。
目を、閉じる。
(ここまで、なのか)
またすべて記憶がなくなって、失って。目を覚ましたら全部が夢みたいに消えて。元通りの生活が、始まるのだろうか。
(そんなのは、……嫌だ)
だったら、どうするか。眼を開けて、両足を開き。
「――だから、最後まで、足掻いてやんよ!!」
ナイフを抜いて、ダガーを構える。
「〈
来る。武器を振りかぶった、その瞬間。
「〈
燈が、灯る。
茨の矢を燃やしつくす、青い燈が。
まるで流星群のような美しさ。その合間を縫うように舞う魔力の鮮やかな赤色。知っている、その声もその色の持ち主も。
振り向けば、真っ赤に染まった瞳が僕を見て笑う。
「なーにぽけっとしてんの!」
「……だっ、て。おまえ、なんで」
「なんで、なんて。……理解ってるくせに」
赤みを帯びたポニーテールを揺らして、
「話は後! ほら、前向く!」
隣に並んで、正面を見据える。柳先生と同じように焦点の合わない瞳。一層輝きを増す魔力は明度を上げ、もはや深緑から翠色へと色合いを変えている。
一瞬だけ交わす視線。ナイフを構え、ダガーをぎゅっと握りしめる。
「二人で早苗先生、止めるよ!」
「――勿論!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます