夢現
第14話 探偵見習いの告白
「こんな夜遅く……いえ、朝早く、かしら? 病み上がりなのに無理をして」
なんとなく、分かっていた。分かっていたうえで、目を逸らしていたんだ。
「寝過ぎなくらいに横になっていたから、こんな時間に目覚めてしまったのね。身体はもう大丈夫なのかしら?」
「
笑みを崩さないまま、もう、と少しむくれたように腰に手を当てる早苗先生。小さく首を傾げるその仕草も、何度も何度も目にしたことのあるもの。いつも通りの声色、いつも通りの表情。普段通りであるということが、この場所、この時間においては異質で、異様で。
だからこそ、直感的に理解して。息が詰まりそうになる。
「でも、風邪といってもあんなにも熱が出て寝込んでいたのだもの。体力も戻っていないはずよ」
「早苗先生」
柳と同じように立ちはだかる、乗り越えなければならない壁だということに。
「だからあまり無茶なことはしないで? 私、心配して――」
「――早苗先生!」
「……なあに、七海ちゃん」
胸のあたりでぎゅっと手を握りこむ。震えそうになる声を奮い立たせるために、すうと息を吸い込む。
「もう、大丈夫ですよ。だから、もう、……やめましょう」
驚いたように消える表情と、丸くなる瞳。そこから視線を外すことなく、まっすぐに見つめ続ける。だってもう、逃げも隠れもしない。
「僕は、
「……そう。そう、なのね」
斜め下へと視線を外される。伸ばした片腕の肘を抱くように、もう片方の手を添えるその姿は、今までになく不安を漂わせて。伏せた睫毛が、淡い薄明かりの中で暗く瞳に影を落としている。
「ねえ。七海ちゃんは、どうして此処に来たの? 例の“せんせい”とやらに唆されたのかしら。あるいは、誰かと待ち合わせでもする予定なのかしら?」
ぽつり、ぽつり、呟くように、
「僕はただ、知りたいだけです」
「……何を知りたいの」
「僕だけがどうして魔術を使えないのか。この
びくり、と早苗先生の身体が揺れるのが分かる。
御影市の
その言葉だけで、僕の言わんとしたことを理解してくれたみたいだった。
「なら、教えてあげましょう」
外されていた視線がこちらを向いて、真っ黒な瞳に僕を映す。
「魔術を使えないのは、そうあれかしと定められたから。御影市から出れないのは、そこに求めるものは何もないから。記憶がないのは、揺り起こされた感情など必要がないから」
「どういうこと、ですか」
「……この
最適化。まるで、僕たちが機械か何かであるかのような響きが聞こえる。
「和やかで、穏やかで、何事もない日々を続けるためには、必要のないものを切り捨てていくしかない。それが私の、
「柳先生と、あなたの、ですか」
返事は、なかった。けれどそれこそが早苗先生の心を雄弁に語っている気がした。
必要のないものを、切り捨てる。
初めて視界に魔力を映した日を。魔術を使ってみたいという夢に、ささやかな希望がが見えたあの日を。初めて駿や司、幸太と同じように魔力を見て、同じように魔術を感じて、同じ土俵に立って戦ったあの日を。
「それなら、じゃあ、先生は」
――そして
「魔術師になりたいと憧れるのは、幼い頃の夢を叶えたいと願うのは!! ……人生において必要のないことだと、言うんですか?!」
「……ええ。そうよ。必要なんてない。だってそれは此処では叶うことのない夢」
どこか空虚を見つめるように、ふい、と
「夢は、いずれ
「だからといって、可能性すら摘むことが正しいはずはない!!」
突然の大声に、バッと瞳がこちらを向いた。
残響が広くこだまする。何もないのに苦しくて、胸を手で押さえて肩で息をする。
現実はいつだって残酷だ。手に入らないものばかりが目に映って、その眩しさに手を伸ばせど伸ばせど、理由もなく透明な仕切り板に阻まれる。
「だって、見えるんです。魔力の存在が、その流れが。ずっと、ずっと見たくても見れなかったものが、
羨ましくないわけがなかった。悲鳴をあげる心に蓋をしていた。仕方がないんだと、どうしようもないんだと、言い聞かせて言い聞かせて。
でも本当は。ずっと、ずっと、本当は。
「みんなと同じように魔力を見て。同じように魔術を使う。ただそれだけの夢に、ようやく、ほんの少しだけれど、手が届いたんです」
魔術学の落ちこぼれと呼ばれて、原因もわからないといわれて。だから親から捨てられてしまったんじゃないかって、そんなことまで考えて泣いていた小さな子どもの僕を、そのときの僕の夢を。
もう泣かなくていいんだよと。今、ここにいる僕が、あのときの僕を、抱きしめることができたんだ。
つう、と溢れた涙が伝う。
「それが必要のないことだと、僕は思いません。……思えません」
「七海、ちゃん……」
ゆがんだ視界の中で、早苗先生が僕を見ている。もう、それだけで溢れた思いが止まらなくなって、手の甲で拭えども拭えどもとめどなく零れていく。
何もない地下駐車場。静寂。鼻を啜る音がいやに響いて、意識的に深呼吸をする。
ようやく、落ち着いてきた頃。
「……七海ちゃんの気持ちは、よく分かったわ」
ぽつり、と零された言葉に、最後の涙を拭う。
「私はあなたの想いに、思い至ることも、気が付くこともできなかったのね」
正面を見据えると、同じように胸に手を当てている早苗先生。その頬をきらりと流れ落ちる、光。
「……な、んで」
たった一筋。だけど、確かにあれは――涙だ。
「世界は残酷ね。すべての資源は有限で、食べる物も、住む場所も、……夢を叶える権利でさえも。こうして、奪い合うことしかできない」
くるり、と背を向ける先生。ウェーブがかった長髪が、ふわりと舞う。
「七海ちゃん。あなたの夢は、御影市の外側なら叶うかもしれないわ。この街からどうやって出るのかも、あなたはきっともう知っているのでしょう」
「……そんな、僕はただ」
「だけれど、私は」
遮るように、先生の力強い声が響く。その先を言わせまいと止めるように。
「あなたの先生として。保護者として。……
「早苗、先生……」
「選べるのは、一つだけ。選択のときは、たった今」
視界に淡く、深い緑色が広がる。半透明に爽やかな、他ならぬ魔力の色。初めて見る色でも、どこか懐かしいような香りがするのは何故だろう。
「知りたいのなら、夢をみたいのなら。その権利を奪うしかないの」
「奪う、だなんて、そんなこと、僕は望んでなんか」
「それなら、あなたはその記憶も、その想いも、失っていいというの?」
「――ッ、それは!!」
「だから、証明しなさい。七海ちゃん。あなたの強さを」
振り返り僕を見る瞳が、魔力と同じ深い緑色に染まっている。
「そして、自由と引換えにすべてを捨てても、前に進もうとする強い意思を――示しなさい」
髪も毛先に向かって魔力の緑色を帯び、淡く光を放つ。駿や司、幸太と同じように、持てるすべての
「どうしても、ですか」
「……ええ。運命は、私たちを待ってはくれないもの」
物悲しそうな笑みを浮かべる早苗先生。でもその眼差しも、声色も、すべてがすべて引き下がらないという決意に満ちている。
「〈憂える棘の多き事、
ボコボコとアスファルトを食い破って、生え茂る植物。
伸びていく蔓の一つに触れた先生の指。つうと棘で切れた傷から血が流れ地面に落ち、そこからまた蔓が伸びていく。意思を持って成長していくの野茨を足元に、早苗先生は一歩前に出る。
「さあ。武器を構えて。この先は――文字通りの茨の道よ」
待てというかのように、真横に伸ばされた先生の右腕。
「わかり、ました」
吸って、吐いて。どくどくと鳴る心音をなだめて。左手を
「見ていてください」
「ええ。目を離すことはないわ」
「僕はきっと、貴女を越えて――」
「どんな瞬間であれ、目に焼き付けてみせる」
「その先へと進みます!」
すう、とダガーを引き抜き、構えた。
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