第10話 相容れぬもの
数秒で飛び込んだ間合い。見上げると、目に映る顔には驚愕と焦燥が見て取れた。その視線の先は右、ダガーへ取られた一瞬、大きく踏み込む。狙うは顎、ひいては顔。息を吸って、左拳を突き上げる。
「ハアッ!!」
「……ッぶね」
が、上体を逸らして躱された。崩れた重心、両手は空を切っている。そのまま
それよりも何よりも、手に残る感触が気持ち悪い。人を殴ったという、生ぬるさと弾力が――。
「『ナナミ君!!』」
はっと気がついたときには、すぐそこまで手が伸ばされていた。
節くれだった硬い手に右腕を痛く掴まれる。引こうが押そうが抜け出せそうにない、単純な力の差。
「離、せッ……!!」
「〈
柳がそう告げると、掴まれた部分に浮かび上がる魔術陣。
「
魔力がパリパリと氷で肘先から手首を覆い尽くし、冷たさが皮膚刺すように痛い。冷やされた血が指へと染みるのが分かる。
段々と肘から先の体温が奪われる。
次第に震えがきて、握りしめる力を維持できずに、かちゃんと地面に落ちたダガーが音を立てた。
弾かれように視線が合い、柳がにたり、と
「オラッ!!」
「っあ」
急激な力の作用と、一瞬だけの浮遊感。
視界が反転する。
下に空が見える。
「かはッ……!」
背中に衝撃と痛み。ざらざらとしたアスファルトと擦れて、打ち付けた腕や足が燃えるような熱さを持つ。右の腕先の感覚がない。
投げ飛ばされた。それを今になってやっと理解する。
「『ああもう! 無茶するから……!!』」
起き上がり立ち上がると、そこかしこの擦り傷から血が滲んでいた。ちくちくと痛いが痛いだけで、動くのに支障はなさそうだ。ベルトに装備していた反魔力術式の投げナイフを取り出して右腕の氷に当てると、直ぐに空気へと溶け出すアイスブルーの魔力。
急に鼻をくすぐる、花の香り。
視界の端で淡い黄色の魔力が明滅したかと思えば、燃えるような傷口の痛みがすっと引いていく。右腕にほんの少しだけぬくもりが戻る。
「『止血だけしておくよ』」
「無様だな、成瀬」
「……あ?」
「『ナナミ君、落ち着いて!』」
「埋まらない力の差を、目の当たりにした気分はどうだ?」
「――ッ!!」
「『私の声を聞いて』」
胸を膨らませるように息を吸って、止める。右の耳だけに聞こえる柔らかな声に、注意を傾ける。
「『挑発に乗っていては、相手の掌で踊らさせられてしまう』」
じゃなきゃ、今にも罵詈雑言で対応してしまいそうで。心の思うままに、言葉を口走ってしまいそうで。
「どうした、そんな顔をして? ……そうか、言い返す言葉もないということか」
「『君のしたいことは、今や何も語らない目の前の相手ではないだろう?』」
僕がしたいこと。知りたいこと。何のために、この場所に立っているのか。
肺に詰め込んでいた空気を、深く吐き出す。落ち着け、落ち着け。感情のコントロールも駆け引きの重要な技術だというのが、他ならぬ柳の教えならば。
「そう、ですね」
笑みを浮かべながら、ただそう答えた。答えた相手はただ一人。
どうやら思っていたよりも僕は短気だったらしい。柳に対しての怒りで、我を忘れてしまうくらいには。
「……つくづく気に入らない」
チッ、と何度目かわからない舌打ちを
「返してやろう」
「――!?」
立っていたアスファルト、ケーキに入刀するかのように刺さるダガー。
「どういうつもりが知りませんがどーも?」
それだけ、僕を格下に見ているということの裏づけか。
「ハッ、たかが短剣
ダガーの柄を掴んで引っぱると、思っていたより簡単に抜くことが出来た。刀身に少し傷がついてしまった。
背中は痛むけど動けるし、右手も血が巡ってだいぶ動かせるようになってきた。ダガー握りなおすと、それを見た柳がフッと息を漏らす。
「それに、お前には覚悟がない」
「……アンタをハッ倒してでも前に進む覚悟はあるさ」
「違うさ、バレバレじゃあないか。お前には――
図星だろう。
そう言わんばかりに嗤う、柳。
「……何を言うかと思えば」
当たり前じゃないか。
ただの高校生に、人を斬る覚悟なんてあるものか。
僕にとってこれは喉元に突きつけるものでも、肉を断つものでもない。
相手の攻撃を、魔術を、ひいては魔力を断ち切るイメージがより強く具現化したものとしての、破壊の形としての刃物だ。
「見当違いなご助言を有難うございます」
「……この期に及んでよく吠える」
辺りに一気に立ち込める、霧のようなアイスブルーの色味。体感温度が下がるような感覚さえする。
今までに聞いたことのある詠唱なら、ある程度攻撃が予測できる――。
「〈此れこそは
なんてことは
まるで一つの線を引くように、道の横幅いっぱいに伸びる魔力。目測でも、模擬魔術戦で
「
「『君の
「……はい」
地面に形作られていく陣の中心に、術者本人が居る。つまり陣の広範囲全てを凍らせてしまうというのは可能性として少ないだろう。詠唱の内容は発動する魔術のイメージに紐づくことが多い。それを加味すると。
「〈
「まさか」
アイスブルーの魔力が収束し、魔術陣がはっきりと形作られる。それは、この大通りの道幅を直径とする巨大な代物。
「〈
夏に似つかわしくない、乾き切った冷たい風が吹き荒れる。
柳の背後、地表から組みあがるように空間に出来上がるのは、――巨大な氷壁。
僕の行手を阻むように、蟻の一匹すら通さないと言うように道の横幅全てを塞ぎきる長さ、飛び越えることのできない高さ。
「俺を出し抜いてみせるんだろう? この壁が越えられないとは言わないよな」
「……勿論」
左手に持ったままの投げナイフ。手の届かないくらい高さ、柳の頭上に狙いを定め。
「ご期待に応えてみせま、しょう!」
言い切らないうちに、思いっきり氷壁に向かって
「ノーコンにも程があるんじゃないのか?」
「まだまだ成長途中ですから」
ダガーを構え直し、にっこりと微笑んで見せれば忌々しいと言わんばかりに口が歪む。隠そうともしない苛立ちには、もう慣れた。
「舌だけはよく回る。……〈北天に降るは、輝ける針〉」
「――
「『お任せあれ』」
小声で尋ねれば、言葉通り朝飯前だと言わんばかりの安請け合い。その間にも空間にアイスブルーの魔力が漂い始める。この詠唱は確か――急いで二本目の投げナイフを取り出す――大量の氷片を用いた多方面からの攻撃魔術!
「〈凍てつく牙。――
周囲半径五メートル前後、空間に無数に浮かぶ氷片。動き出す前に、二刀で出来る限り数を減らす、手当たり次第に切り伏せる氷片。ざっと五十はあるだろう、どれもダイヤ型で表面は粗削り、切っ先鋭く、そのどれもが僕の方を向く。
何度も皮膚を割いた、柳の小さく鋭い
「舞い踊れ!!」
号令の前に切れたのは、たったの
一つ一つが独立した動きで迫りくる。視界に煌めく無数の氷針。捉えたものを片っ端から。
「はぁっ!!」
切る。
真っ二つに割いた氷が消失する。
絶つ。
細かく砕けた氷がきらめきながら舞う。
壊す。
刃の当たった氷が音を立ててひび割れる。
霧散するアイスブルーの魔力、切られた皮膚から血が飛び散る。
肩、二の腕、足首、太もも、表皮を切り裂かれた部分が熱を持つ。それでも、確実に氷片は減っていく。
「『ナナミ君、
「っ!?」
弾かれたように振り向けば、スローモーションのようによく見えた。
振り上げられた、氷で形作られた
降りてくる
目前スレスレ、
「……っは」
「くそが」
そのまま流れるように切り上げてきた剣。両手の刃で受け流して甲高い音。一撃が、重い。バックステップ――距離を取る。
その距離を即座に詰める一歩で、左に振られた剣先。
「……俺はお前が嫌いだ」
「!!」
呟きと共に横に一閃、飛び退いて
「先のあるお前が、俺にないものを持つお前が!」
憎々し気に振り下ろされる剣、刃の流れ。右へ体を捻り、ダガーに沿わせながら逸らし、背後に受け流す。大きく一歩、距離を取ろうとしたところで斬り上げられる氷剣。
「――この上なく嫌いだ!」
左手の投げナイフを当てて少しだけ逸らした軌道、ダガーを合わせて二本で受ける。両手に鈍く重く衝撃が走る。握っている
「……ッは」
「ただ、……それ以上に!」
「ぐっ!?」
さらに体重を掛けられて、じり、と引いた足。落ちそうになる膝を踏ん張って、ぎりぎり耐えられる。
「お前を庇護しなければならない、」
刃と刃がきりりと音を鳴らす。
正面、真っすぐと柳の視線が合う。
「――俺自身が更に嫌いなんだよ!!」
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