第09話 問いと答えと

「……僕、は」


 僕が、何を望んでいるか。 


「僕は、ただ――」


 それはとても単純で、簡単に言葉にできる。


「――知りたい」

「……何だと?」


 ヤナギは、意味が分からないとでも言いたそうに低い声音で、返した。それは威嚇にも似た端的な音。それもそうか。


 他愛もない、“知りたい”という言葉だけ。

 でもそう思うに至る過程を踏まえれば、口に出すだけじゃ言葉に込めることのできない重みがある。


 今の生活はまぎれもなく幸せだと言えるものだろう。毎日何事もなく起きて、朝昼晩とご飯を食べ、明日また目が覚めるをこと疑わないで眠りにつく。

 このまま生活を続けていくのは苦でも何でもなくて、むしろ享受し続けられるものならずっとしていたいし、変わって欲しくないとも思う。

 けれど。


「僕は、隠された真実を、知りたい」


 何一つ変わりない生活の影に潜む、何かの断片に気が付いてしまった。 


「なんで僕だけが魔術が使えないのか。なんで一度も御影から出たことが無いのか」


 ほんの少しタバスコを零した珈琲コーヒーを、飲み続けるみたいなことで。美味しくて好きな珈琲、だけれど、ずっとどこかでピリピリとしたからさが舌に残ったまま。喉を通るときには、僅かだろうけど違和感が生じる。それを無視しながら嚥下えんかし続けるのは、つらい。

 きっと新しい珈琲へと取り換えたとしても、それは胃の中に残ったまま。無かったことにはならない。


「なんで、――記憶の一部が消されるのかを」

「……まさか、お前」

「まるっと全て覚えてますよ。都合の悪いことも、全部」


 紅い月明かりに照らされた、苦々しく歪められた口元。意識的に深く息を吸って、吐いて、訳も分からず泣き出してしまいそうな心をなだめながら、畳みかけていく。


「このまま、何も知らないまま生きていけば、いつか必ず立ち止まってしまうから。前に進む為の、後悔を飲み込んで尚歩き出せる選択を、僕はしたい。だから」


 引いていた右足をもう半歩、下げる。左腰にいた短剣の、柄に右手を、鞘に左手を添えて。見上げる双眸。紅い月光に照らされた顔は、何度も何度も陽の光の元で見たものと違う、教師としてではない一人の男のもの。


「そこを、退け。あるいはこの場で、僕に隠されたすべての真実を洗いざらい吐いてもらおうか、――ヤナギ京助キョウスケ


 目を逸らすことはしないと、他ならない自分自身が決めたのだから。


 臨戦態勢を崩すことなく、ただただ睨みあう。お互い微動だにしなかった。ただただ、無為に時間が流れていく。夜明けまで時間はそう長くないのに。

 それでも下手に動き出すことはできない。

 いくら師匠せんせいが全面的にバックアップしてくれるといっても、相手は明らかに格上だ。何度か授業内で手合わせしているが、最初は一方的な蹂躙に限りなく近いものだった。直近でも、ギリギリ致命傷を負わない程度に抑えられているだけ。

 まだ使い慣れたとは言えない短剣、いくつかの魔道具、神秘の可視化、師匠のバックアップ。それらでどこまで力量の差を詰められるかは未知数だ。

 上手うわてであると分かっているからこそ、迎え撃つ方が体勢を崩されにくい。一挙手一投足を見逃さない、そう感覚を研ぎ澄ませていると。


「……成瀬おまえの熱意は、よく分かった。今まで気が付いてやれなくて悪かったな。辛かっただろう」


 柳が動かしたのは、手でも足でもなく口だった。聞こえるのは感情の消えた教師らしい声音で、出てきたのは抑揚のなく平坦で薄っぺらい言葉。


「案ずることはないさ。俺が、悩みの種を無くしてやるよ」

「……そりゃ、有難い」


 どことなくその響きは、甘言で騙し、たばかり、あざけり、暗い闇の中へと引きずり込もうとした大人たちと同じで。

 違う点があるとすれば、浮かべられている笑みがとてもじゃないが友好的なものではないということ。


嗚呼ああ。まあ、お前の要求は?」


 教える気もない、この場を通してくれるでもない。つまりはまた、僕の記憶を消して、きれいさっぱり無かったことにして幕引きにしたいのだろう。

 心臓のうるさいくらいに早鐘を打つ。柄を握る手に力が入る。ざりりと踏みしめた足がアスファルトを鳴らす。


 消されて、たまるものか。

 奪わせてたまるものか。


「……もう、御託は要らない」


 僕は、都合の良く動き回る人形でも、思い通りに踊る傀儡でもない。



「――押し通る」


「やってみろ!!」

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