追求
第08話 夜闇の街に影
家の規則を破って、こんな深夜に出てくるのは初めてだった。
許されていないことをする勇気もなかったし、何より――
夜の闇。怖ろしく人の気配がない住宅街。
一歩踏み出せば、知らない世界にたった一人で放り出された感覚。
自分の足音だけがやけに大きく聞こえる。居場所は此処だ、そう知らせているような気がしてしまうくらいで、急に心臓の音が聞こえるくらいバクバクしているのが分かる。
走り出す。ジョギングよりも少し気持ち速いくらいに、筋肉を温めていく。逸る心臓の、気を紛らわせる。
「『――怖いかい?』」
言葉に反して、声色はお
「……何言ってるんですか」
にっ、と形だけでも笑みを作る。一定のリズムで呼吸を心掛ければ、強張っていた身体に気が付く。肩の力を抜いたところで、白かった半月の光が――ほんの少し、色づいて。
みるみるうちに、橙へと色味を帯びていく。
「――
「『いや、違うよ』」
月が、染まる。赤く。
仮説が正しければ、
「『……ナナミ君に反応しているのかもしれない』」
「その可能性が高いですね」
手記の内容が思い出される。どこに“目”が有るか分からない。信じるならば、つまりは僕の今の行動も。
「『時間との勝負になりそうだ』」
「……上等だ」
誰もいないなら、気にしなくていい。曲がり角も、新聞配達の自転車も、車の音さえしない。
「『……やけに静かだね。まるで』」
「嵐の前の、ってやつです?」
「『そうそう』」
「まさか」
そうは返したけど、確かにおかしい。風が草葉を揺らす音も、あんなにうるさかった蝉の声さえも聞こえない。
住宅街区画を出て、角を曲がり進めば商業施設の多い大通りだ。御影タワーは街の中心にシンボルのように立っている。真下までつながっている道に出れば、あとは直線に進むだけ。
「これ、は」
――進むだけ、だからこそ分かる。目の前の、景色の異様さ。
一台も車のいない、がらんどうの車線。信号は全て真っ黒に塗り潰されている。道に立ち並ぶデパートや店も、ブレーカーが落とされているみたいに真っ暗になっている。
一定間隔に街灯だけが煌々と光っていて、歩道に人の姿も影もなくて。漂う魔力すらも映らない。
ただそれだけで胸騒ぎがするような、言いようのない不安で唾を飲む。
「『……急ごうか』」
イヤーカフの静かな声に、止まっていた足を動かそうとした。
その瞬間。
かつり、かつり、と響いた足音。
自分のものではない、誰かの足音。
「――ッ!!!」
近づいて来ている。分かっている。此処に居ることがバレたらどうなる?
心臓がうるさい。かつり、かつり、段々と音が大きくなる。
「『ナナミ君?』」
「……誰か来ます」
隠れなければ。どこに? 車などなく、
動けば足音が出る。動けない。動こうにも足が動かない。
かつり、かつり、足音だけが耳に響く。二つ向こうの十字路、曲がり角から見えた、黒いスラックス。
「『どうするんだい?』」
「迎え撃ちます。どの道」
かつり、かつり。姿を現した男に、握った手の
「避けては、通れないから」
心臓がうるさいくらいに音を立てている。
足音が、止まる。
ひらけた大通り、遠くとも分かる。
視線が、合った。
覚悟を決める。
「
「!! こんばんは、柳先生」
驚いたフリ、そうただ偶然出会っただけ。あくまでも偶然。それを装いながらお互いに歩み寄るけれど、不自然にならないくらいの距離感で足を止める。
「今何時だと思ってる……こんな時間に何をしているんだ?」
冷ややかな眼つき。咎めるような責めるようなその目に何回
「や、たまたま早く目が覚めたので少し走り込みをしようかと」
「午後十時以降の夜間外出は禁じられているだろう……?」
「すみません、何だか眠れなくて」
ハハハ、と笑ってみせれば、柳先生は不満そうに目を
「ったく……、ただでさえお前は過去に危険な目に遭ったことがあるんだ。高校を卒業するまで、勝手な行動を控えろ」
「はい、以後気を付けます。――それじゃあ」
ぺこり、と一礼。距離を置きながら、先生の横をすり抜ける。
「――待て、成瀬」
「……はい?」
「何処に、行くつもりだ?」
なんて、都合良くいくはずもないか。
「家は反対方向だろう?」
がしりと肩を掴まれ、立っていた場所へ押し戻される。その手は僕よりも一回り大きく、目線を上げると鋭い視線が刺さる。
「いえ。折角ですし、御影タワー辺りでUターンして帰ろうかなと……」
「帰りなさい。何かあったらどうするんだ」
諫めるように、それでいて有無を言わせないような声で柳先生は言う。何かあったら、ね。架空の、有り得もしない最悪の想定。
「……何もないですよ。だってほら」
周囲を見渡してから、表情を消して真っすぐと視線を合わせて告げる。
「誰も居ないじゃないですか――?」
「……、それが理由か?」
一拍遅れてそう返される。その遅れた一拍の間、柳先生の目がほんの少しだけ見開かれ、ヒュッと息を呑んだのが分かった。
「十分な理由でしょう。歩行者も居ない、車の一台すら居ない。誰も居ないから害されようにも害す人が居ないってのは」
「……この大通りはそうかもな。だが危険はどこに潜んでいるか分からない。他すべての道が同じとは分からないだろ」
「本当に? 通りに居ないだけでなく、通りを横切る車もいない、信号すら機能していないのに?」
言葉を重ねて畳みかければ、段々とイラついたような気配が出てくる。
「こんな時間帯に出歩いていること自体が危険だ、と言っているんだ」
「あ、それとも――」
「……成瀬、いい加減に」
「御影タワーに行って欲しくない理由でもあるんですか?」
大きく目が見開かれた。言葉は要らない、それだけがもう十分に僕の問いに対する答えになる。
「当たり、ですね」
御影タワーには何かがある。柳先生――謎を解かれたくない側にとって重要な何かが。それが、此処まで導いた者の意図するものとは別かもしれない。それでも、確実に。
チッ、という音で意識が思考から目の前の事象へと戻る。片手でぐしゃり、と髪をかき上げた柳先生は苛立ちを隠すことなく。
「……ウンザリするな」
「『……ナナミ君!!』」
地を這うような声、吐き捨てた言葉。
ぎり、と歯軋りをするように口元を歪めた柳先生――いや、柳は、今まで見たことが無いくらいに
そもそも、感情を
(だからか? 今の柳を――怖い、と思うのは)
いつでも動き出せるように片足を引いて、相対する。魔術学の授業で何度も見ているから分かるだろう、あくまでも反抗するという意思表示。柳はそれを冷たい目で見ると、息を吐いてから口を開いた。
「なあ、成瀬。此処で、引き返せよ」
「……急に、どういう意味です?」
引き返せ、ということは、御影タワーに行くな、ということは否定しないのだろう。その上での――表情と全く一致していないけれど――提案ということか。
「家に帰れ。そうしたら……」
「“そうしたら”?」
「今までにと何一つ変わらず、平穏な明日が、日常が続いてく。代り映えしなくとも、かけがえのない一日を積み重ねていられる」
「……それ、は」
「思い返してみろ。
ああ、そうだ。早苗先生のご飯は美味しい。
「――家の子ども
言われなくともすぐに思い浮かべられる、大事な人達との大切な思い出。
「それの何が駄目なんだ、何が不満なんだ?」
「違う!! 不満、だとか駄目だとかなんて――」
「少なからず解っているんじゃないのか? ……これ以上進めば、“今まで通りに”なんて望めない可能性があると」
遮るような柳の言葉が、ぐさり、と心に刺さったのが分かった。
確かにそうだ、家を出る前に考えていた。もう一度あの大切な家に、家族に、ただいまって言えないかもしれない。その可能性を。
胸のあたりが締め付けられるような、そんなところにありもしない心を握り締められたような苦しさを感じる。
「教えてくれよ、成瀬。俺には判らないんだ。家族同然の友人達、子ども達と過ごす時間以上に、日々以上に――」
「――
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