第39話 分岐路

「レストランは超忙しいの!特に日曜日とか大変みたい。彩乃ちゃんパニクっちゃって。だから、うちの知り合いの工務店で事務をお願いしたよ。事務なら大丈夫かな…」


 燿が家に来て彩乃さんの様子を聞いていた。


「あざーす!事務いいすね!」


「うんうん。本当はうちで働いて欲しいけど…大卒じゃないしね。でも土日祝休みだしアルバイトじゃないから、大型連休も怖くないしさ!」


「そうすね、気にせず身体を休めて欲しいッスよ」



 暑い夏も過ぎ、彩乃さんは仕事を辞める事なく懸命に頑張った。そしてようやく2人で会う事になった。

 だがしかし…


「俺といるとダメになるって言うんすよ。一緒にいると…自分がダメになるって……」


 燿は家に落ち込んでやって来た。美怜はその辺の事は知っていたらしく、静かに見守っていた。


「いきなりまた同棲じゃなく、1週間に1度位の付き合いはどうかな?」


「俺も色々提案したッスよ?でも別れると……彼女は言うスよ…。友だちにも戻れないって」


「そうなのか…」


 何が彼女をそう変えたのかは分からないが、事態は深刻だった。折角、燿はオンボロアパートで頑張っていたのに、これでは意味が無い。


「俺…何かしたっすかね~、俺……俺は今でも…何が悪かったすかね~」


 燿の落ち込みは酷かった。実際、燿は何も悪くない。何かのきっかけで歯車が狂い歯止めが効かなくなったのか…。

 僕はさやかとの事を思い返していた。突発的な病気により僕は忘れ去られた。でも距離は近かったし誠心誠意尽くしたつもりだった。それでも僕は選ばれず神川先輩が選ばれた。

 何がそうさせたのか…これを運命と言うのか。悲しい運命だ。


「燿…かける言葉が見当たらなくて……ごめん」


「いや…聞いて貰えるだけで十分す……ただ今言えるのは彩乃ちゃんが、この街で幸せに暮らして欲しいッスよ…」


「そうだな…」


「器の大きいとこ見せたけど…本当の事を言えば……俺あの時旅行でも何でも行けば良かったッス……俺バカッスよ…」


 そう言い終わると燿は堪えていた涙を流した。燿の涙を見るのは初めてだった。美怜も燿の背中を摩り泣いていた。

 皆が幸せになるというのは、難しい事なのだろうか…?皆懸命に生きているのに、なぜ……?僕にはまだ分からなかった。

 だが1つ言えることは、その一瞬一瞬を大切にし、一期一会の気持ちでどんな人とでも真剣に向き合う事が大事だと思った。

 人は道を歩き続けるが、分岐路に差し掛かる事がある。その時の自分の判断で進む道、出会う人別れる人が決まるなら、慎重に見極めなければならない。後戻りは出来ないのだから…。



 11月末、春川課長と吉田先輩の結婚式。会社の全員が呼ばれた。

 いつもの威勢のいいキャリアウーマン春川課長ではなく、女性らしい恥じらいを見せながらも本当に幸せそうな笑顔だった。

 吉田先輩は照れくさいのか、また額に汗をかいていたが、やはりこちらも幸せそうな笑顔だった。

 2人の事をよく知らない会社仲間は、めいめいに吉田先輩の悪口を言っていた。

「死に損ないが泣きついたんだろ…」

「春川課長もお気の毒だよな…」

 心ない言葉が飛び交うなか、僕だけが知る吉田先輩や春川課長を思い、心から祝福した。



 帰りの車中、美怜はあまりよく知らない2人だが、興奮気味に言った。


「良かったね~!いろんな事があっただろうに2人の幸せそうな顔を見てたら嬉しくなったよ~!」


 美怜らしい見解にホッとする。


「次は僕達の番かな」


「えー!まだプロポーズもされて無いし!」


「そのうちな」


 僕は運転をしながら前を向いたままそう言ったので、彼女の表情は分からないのが残念だ。

 いつかプロポーズをしたいと思っている。


 ポジティブで明るくて優しい彼女なら、子どもが出来てもしっかりと育ててくれるだろう。

 僕が気落ちしても、あの明るさで跳ね除けてくれるだろう。

 いつか必ず彼女の心に残るようなプロポーズをしたい。吉田先輩の幸せそうな顔を見たからだろうか、強く思った。


「うちは…まだまだいい……」


 1人楽しく考えていたのだが、美怜はポツンとそう言った。


「僕との生活は不安なの?」


「そうじゃなくって!まだまだこのままがいいの」


 美怜らしくない。理由は分からなかったが、やはり今の2人では物足りないのか……。


「悪く取らないでよね!今が幸せ…だから」


「うん…」


 釈然としないまま運転をした。が、言っておきたい!そう思った。


「美怜、心から愛してるよ。これが嘘偽りのない、今の気持ちだ。覚えておいて、これから先何があっても、この気持ちは変わらないし、ずっと一緒にいたいと思ってる」


 前を見ながら淡々と語ったが、それが本当の気持ちだった。


「うん…」


 彼女は尚も喜ばない。それが何故なのかその時は分からなかった。だが後で気づく事になる。彼女の大きな愛を…。



 ある夜、夢を見た。

 神川先輩とさやかが楽しそうに語り合っていた。それを長い間見ていた。微笑ましいとさえ思った。その時さやかが崩れるように倒れ込み四つん這いになった。そして僕の方を見てポロポロと涙を流し始めた。何かを訴えるかのように…。そして彼女は言った。

「恋人はあなたよ!」


 びっくりして飛び起きた。


「どうしたの?」


 美怜も驚き目を覚ます。


「いや…夢を見たんだ……ごめん」


 何か脅迫されたかのような後味の悪い夢だった。まだ自分の中にさやかの事が引っ掛かっているのか…?

 そう言えば僕達はちゃんと別れ話をしてはいない。恋人だったという事が有耶無耶に消えただけだ。

 分岐路は無かった。いや、あるとしたなら僕が恋人だったと告げるか告げないかだ。もし告げていたらさやかのことだから、そのまま恋人となり僕を好きになる努力をしてくれただろう。

 でもそれは望まなかった。自然に好きになってくれる方が良いと思ったからだ。

 結果僕は選ばれなかった…。そうだ、ただそれだけの事。そのお陰で美怜とこうして傍にいることが出来る。僕は間違ってはいなかった。間違っていなかったのだ。

 自分にそう言い聞かせ、安心してまた眠りについた。



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