第31話 新年

 年が明け仕事始め。今日は朝から挨拶をし酒が振る舞われた。新年、何故か新しい1年に心弾む。疲れた顔の人はいない。皆久しぶりの顔合わせを喜んでいた。


 どうしても仲が良い人達が集まってしまう。燿がまず初めに来て、おめでとうと交わす。そして遅れて美怜もやって来た。


「年が明けるとめでたいのか?!」


「めでたいっすよ~♪今年はどんな年になるのか楽しみっス」


 陽気に言う燿。


「で、彩乃さんの実家はどうだったの?」


 その話に花が咲いた。燿はジェスチャーも交え楽しく語ってくれた。



「日向ー!」


 春川課長の大声、酒癖悪いからな~。


「はい、課長。会社では森と呼んで頂けると」


「つべこべお前はうるさいんだよ!神川ー!」


 僕の話は途中で切られ神川先輩も呼ばれた。


「はい」


「3課で1位と2位!素晴らしー!今年もこの調子で行け!」


 高々とグラスを上げ春川課長はそう言った。こっそり場を離れようとした時、神川先輩が小声で言った。


「1番は渡さんからな」


「はい」


「この後付き合え。前に行った焼き鳥屋」


 そう言うと神川先輩は同期の元へ行ってしまった。


 少し飲みすぎた。軽いスナック菓子しかなく、空きっ腹には堪える。焼き鳥屋って、この時間やってるのか…。まだ11時だった。

 店に行くと暖簾が出ていない。ゆっくりと格子戸を開けてみると、神川先輩はもう来て呑んでいた。


「開いてるんですか?店」


「どうぞどうぞ!神川さんが開けろとうるさいんでね。焼き物はまだ下ごしらえで出来ませんがね」


 全く神川先輩はどこに行っても自分が上だな~。黙って隣に座った。


「ビールでいいですかね?」


「あ、はい。何か食べるものは?」


「枝豆なら」


「じゃ~それ山盛りください」


「はいな!」


「どんだけ食うんだよ」


 チラッと横目で見て神川先輩はそう言った。


「腹に何か入れないとヤバいですよ」


「昼間っから呑めるとは、新年はいいもんだ」


「そうですね、で?何か話ですか?」


「いいや」


「えっ?じゃなんで呼んだんですか」


「いいじゃないか!たまには仲良くしようぜ」


「はぁ、ま、いいですけど」


 僕は神川先輩が嫌いじゃない。むしろ好きだった。後輩なのにこうして呼んでくれるのも嬉しかった。


「さやかと実家で正月だった」


「はぁ…」


 そんな話は御遠慮願いたいが…。


「で、どうなんだ。お前の方は」


「お前の方…?」


「彼女だよー、橘さんだっけか」


「あぁ、彼女じゃないですよ」


 そこに枝豆が来た。待ってましたと言わんばかりに夢中で食べた。


「さっさと彼女作れよ」


「いや~そんな事言われても」


「俺はお前に彼女を作って貰いたい」


「なんでですか…?」


「さやかを奪われそうで…怖いんだ」


 神川先輩は相当酔っていた。そうじゃないとそんな弱音を吐く人じゃあない。


「大丈夫ですよ、さやかはもう友達よりも遠い関係です。神川先輩が居れば大丈夫です」


「好きなんだろう?」


「えっ?好きじゃないですよ」


 スラスラと出た言葉に、僕自身が驚いた。好きでしょうがなかった日もあった。会いたくて堪らない日もあった。神川先輩に笑顔で話す彼女を見るのが辛い日もあった。無理に心から追い出そうとした時もあった。

 だが、色んな事があり色んな言葉を聞き色んなものも見てきた。

 それが僕を変えた。


「そうなのか…それならいい」


「2人で会いたいとも思いませんしね。会うなら神川先輩と一緒がいいです」


 2人で会ってどうしようもなく後悔した日が蘇った。もう会いたくない。


「お前ってさー、絵に描いたような良い人だな」


「そうですか?普通ですよ」


「見返りは求めないのか?色々世話しただろ」


「見返り…ん~難しいですけどね。神川先輩もないでしょー?」


「いいや…俺はある!」


「そうなんですか。だけどそれが悪い事だとは思いませんしね。いいんじゃないですか」


「何度もさやかを手放そうとした」


「え…」


「好きなんだよ。どうしようもなく好きなんだ。だから手放せないんだ」


「いい事じゃないですか」


「違うんだよ…違うんだよ」


 神川先輩は本当にもがき苦しんでいるのが分かった。それが何なのかその時は分からなかった。


「好きな奴はいるのか」


「まだ分かりませんが、多分心にはその人が住んでると思います」


「いい言葉だな…」


 そう言うとビールを飲み干した。


「お前は本当に良い奴だよ。ずっといい関係でいような」


「はい」


「分かるか?いい関係。俺が1番でお前が2番だ。それをひっくり返すといい関係では無くなるんだぞ」


「はい」


 可愛い人だと思って笑うと、神川先輩は後頭部を叩き「笑うな!」と言う。

 大好きな先輩だと思った。だけどもし僕がトップになろうと、この人は変わらず接してくれるだろう。



 正月気分も終わり仕事が再開された時だ。お客様との約束時間をすっかり忘れていた。気付いたのは夕方事務所に戻った時だった。

 美怜が慌てやって来て、今お客様からお叱りの電話があった事を知らされた。


「美怜ごめん、嫌な電話受けさせてしまって…」


「うちはいいよ。で、どうするの?」


「今から行って来る」


「ほい、頑張って」



 謝り続けようやくお許しを頂いた。一体何やってるんだ…。弛んでるな。


「森さんにしては珍しいですナ」


「本当に本当にすいません」



 冴えない日だったな…。正直少し落ち込んだ。神川先輩なら有り得ない失態だろう。

 マンションの部屋に着くと美怜がドアの前に立っていた。


「おつかれ~」


「うん…疲れたよ」


「おつかれ~のカレー」


 見るとまだ温かそうな鍋を持っていた。


「作ってくれたの?」


「一緒に食べよ」


 気落ちしていると思って待っててくれたのか…。本当に優しい子だ。

 今日の失態を忘れさせてくれる程、楽しい会話だった。そしてカレーは物凄く美味しかった。

 美怜と居るとやはり居心地が良かった。きっと好きなんだろうな…。美怜の笑顔を見ながらそう思った。


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