第28話 流されて…

 美怜はかなりよくなって来た…と、思っていた僕がバカだった。

 昼下がり仕事中に彩乃さんから電話が鳴った。泣き叫ぶ彼女をなんとか宥め、急いで家に戻った。


 彩乃さんはベランダの前で床にしゃがみこんでいる美怜の肩と腕を掴み、まだ泣いていた。美怜は無表情で床を見つめている。


 僕も美怜の前に座り優しく声をかけた。


「ベランダから飛び降りたかったの?」


「……うちなんて生きてる意味ないよ…」


「皆悲しむのに?」


「……迷惑かけるくらいなら居ない方がまし…」


「今もそう思ってるのか?」


「……うん、死なせて」


「バカ野郎だな!いつ迷惑だと言った?お前が死んだらどんな気持ちになるか分かるか?以前の元気な美怜に戻って、皆お前と楽しみたいんだよ!そんな事も分からないのか!」


 僕は彼女の両肩を揺さぶりながらそう叫んだ。


「……うちだって…うちだって元気になりたいよ…なれないんだよ!いくら頑張ってもなれないんだよ!」


 美怜は泣きながらそう言った。

 僕は細くなってしまった彼女を抱きしめた。思い切り抱きしめた。

 彼女の嗚咽が胸に響き吐息が荒々しく頬をかすめる。


「もう頑張るな。美怜、頑張らなくていいんだよ。早く元気にならなくていいんだよ。お前が居てくれるだけでいいんだよ」


 なおも彼女は泣き続ける。隣に居た彩乃さんも一緒に泣いた。


「居なくなる方がいいなんて言うなよ…頼むから言うな…」


 彩乃さんが電話したのか、燿も急いで入って来て、泣いている美怜に抱きついた。


「……バカッスよ…美怜はバカ…っす……」


 燿も泣いている。


「ほらな、美怜。お前には大事に思ってくれる友達がいるんだぞ。分かるよな?僕達はお前が必要なんだよ」


 美怜はまた大声で泣き燿を抱きしめた。




 あれから1年が過ぎた。美怜は通院はしているものの、元気を取り戻し会社にも復帰した。営業事務の人達は皆それを喜んだ。

 住居も僕と同じマンション、以前彩乃さんが住んでいた部屋に移った。


「日向、うちさ~病気したけど、そのお陰で色んなものが見えた。大切なもの、大切じゃないもの。必要なもの必要じゃないもの。だから良かったと思ってるんだ!」


 美怜らしい見解だった。どこまでもポジティブ。彼女と親友になれて本当に良かったと思う。


 しかし許せないのは熊谷先輩だった。注文書は美怜に渡した後、書き忘れがあるからと自分が持って行き、そのまま書き足して引き出しに入れたまま忘れていたのだった。

 美怜のミスでは無かったのだ。熊谷先輩は朝礼の際、前に出て美怜や皆に謝ったが、許す空気は無かった。

 鬱病にした張本人、しかも間違い。

 その1週間後、再度美怜に謝り続け退職して行った。




「もうすぐクリスマスッすよ!」


 燿と仕事中待ち合わせをしてランチを楽しんだ。彼は彩乃さんのために仕事を頑張り、常に5位か6位に付けている。


「彩乃さんのプレゼント決めたの?」


「俺…クリスマスにプロポーズするっスよ」


「えっ?」


「軽井沢の、あの石の教会で指輪渡すっス」


「本当か?!それはすごいな!」


「OKしてくれるかどうか…ちょっと怖いっスね~」


「よく決心したな!やっぱり燿はすごいよ!」


「コレを決めて最初に日向に言いたかったッスよ」


「ありがとう!嬉しいよ、凄く嬉しい」


「…日向は人に流され過ぎだと思う……っス」


 急に俯きそう言った。

 流されて何処に向かうんだろうな…。さやかとは完全に離れ会社で挨拶する程度。神川先輩とはいつも仲良く話しているから、極力見ないようにしている。それ自体がまだ心にしこりがある証拠なのか…。自分でも分からない。


「俺は日向にも美怜にも幸せになって欲しいスよ……」


「…分かるよ、凄く分かる」


 幸せ…なんだろな。凄く縁のないもの、遠くにあるもの。いや、幸せは自分で掴み取るものなのかも知れない。燿を見ているとそんな気がする。



 今日はクリスマス。今頃燿は頑張ってプロポーズの準備をしているだろうか…。何時にするのか聞いておけばよかったと少し後悔。

 今日は彼氏彼女居ないもの同士、美怜と僕のクリスマスパーティー。と言っても2人で料理とケーキを作って食べるだけだった。


「まずは~買い物だよね」


 美怜がそう言って2人で車に乗り込んだ。


「色々食材が豊富にある方がいいな。ちょっと遠出するか」


 街中にあるショッピングモールまで車を走らせた。



「で、何食べようか?」


 大型スーパーに来たはいいが、まだ何も決まって無かった。


「やっぱりキチンでしょ?」


 僕が思いつきで言ったが、美怜は誇らしげに答えた。


「ローストチキン!」


「出来るの?」


「へっへっへっ。任せなさい!最近料理を頑張ってるんだ~♪」


 色々考えながらポイポイと僕の持つカゴに入れていく美怜は、真剣そのものだった。カゴに入らなくなり2個目のカゴも満タン!


「これでよしっ!忘れものは無いよ!」


 会計を済ませるとなんと4袋。一体なにが出来るのやら…。2人でワクワクしながらスーパーを出たら、さやかと神川先輩にばったり会った。なんで行くとこ行くとこ彼らは居るんだよ!

 ワクワク気分もゲンナリする。


「よぉ、日向!買い物か?すごい荷物だな」


 神川先輩はバッチリ黒のコートで決め、さやかはヒラヒラとしたスカートに白いコートを着ている。僕達のラフさと格差があり過ぎだった。やはりショッピングの後は、豪華なディナーなんだろう。


「美怜が買いすぎて大変ですよ」


 僕が笑って言うと、美怜は僕の腕を叩いて言った。


「要るものしか買ってないし!」


「元気になって良かったな」


 神川先輩が元気な美怜に向かってそう言った。


「はい!日向や友達のお陰です」


 それを聞いたさやかは少し申し訳無さそうな顔をした。思えば新入社員4人が仲良しだったはず。神川先輩と付き合い始めて、いや、僕がさよならを告げて、いつの間にか僕達の仲から消えて行ってしまった。


「じゃ、これで」


「おぉ、いいクリスマスにしろよ」



 北風が通り抜ける様に、さやかは通り過ぎた。楽しかったあの温かい陽だまりはどこに行ってしまったんだろう。美怜は今の僕の気持ちを察したかのように、知らぬ顔をして何も言わなかった。


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