第26話 美怜の病気
全てが秋色に染まる頃、いつものようにお得意様を廻った。今日は小春日和、爽やかな風がコスモスを揺らし紅葉した葉が陽を受けて輝く。
こんな日はのんびりしよう。車を川辺りに止め下に降りた。見た事のない小さな花が川風に揺れている。
ゆっくり腰を下ろし両手を頭の下に置き寝転んだ。果てしなく青い空にすじ雲が白い絵の具を流したように拡がる。不思議なもんで空には雲がないと少し淋しい。そして白い雲も青空がないと美しくない。
そのまま寝てしまったようだ。
-さやかがピンクのコスモスに見入っていた。何方も美しかった。声をかけたいが声がでない。駆け寄り抱きしめようとするが、その手は神川先輩によって阻まれた。すみませんと心の中で言った。さやかは振り返り涙を流した。どうしたんだ……どうしたんださやか。声にならない。届かない-
もどかしさの中で僕は目を覚ました。夢?泣いたさやかの顔が脳裏から離れず、不快な気分になる。
なんなんだよ!
イラついて声を出してしまった。まださやかを愛しているのだろうか…。無理やり心から追い出しても、ダメなんだろうか…。自分なりに良いと思って別れを告げた。半ば強引に…。それがいけなかったのか?
答えなんて見つかる訳ないのに、ひたすら考えている。バカなやつだよ…。もういい、もういいんだ。
車に戻りそう呟いた。さやかも前に進んでいる。前に進もうと彼女に言っておきながら、自分は全く進んでいない事に気がついた。
ただ美怜とは本当に親しくなった。休みの日には必ず彼女といた。買い物に行ったり映画を見たり、時には家で1日中話したりもした。まるで恋人のようだった。
彼女の底抜けの明るさは、僕にとってとても心地よかった。見返りを求めず、愚痴も言わず、ただただ明るい彼女。言いたい事を言い、やりたい事をやる。ノーと言える性格、僕には無いものばかりだった。
会社に戻るといきなりの怒鳴り声。
「やっと…やっといただいた注文なんだぞ!それをお前はよくも潰してくれたな!お前のやった事がどれだけの事か解っているのか!えっ!!」
2課の熊谷先輩だった。矛先は営業事務のカウンターにいる美怜。
「美怜が…注文の配送を忘れたらしいんスよ……」
燿が駆け寄りそう呟いた。美怜は頭を下げたままで「申し訳ありません」と言っていた。
「謝って済むかよ!えっー、やっと注文いただいてこれじゃあ次はないんだぞ!解ってるのか!」
熊谷先輩の怒りは修まる様子が無かった。そっと営業事務のカウンターの端に行き課長の山田さんを呼んだ。
「橘さんなんですか?発注ミス」
「そうなのよね…いつもミスなんかしない子なんだけどね~」
「間違いって事はありませんか?」
「一昨日確かに橘さんに熊谷さんが渡したの。注文書。それは私も見てるから知ってるの」
「全部発注しなかったとか?」
「いえ、パソコンだけ届かないって先方様からお叱りの連絡があって…」
「ふむ、それはおかしいですね。その注文書は今どこに?」
「それが見当たらないの。発注したらあのBOXに入れる事になってるんだけど…橘さんどうしちゃったのかしらね~本当に何時もきちんとしてるのに…」
山田課長は頭を傾げてそう言った。
「だからお前のミスなんだよ!お前が自分で謝って来いよ!次の注文もとって来い!」
美怜はたまらず泣き出した。
「泣いて済むのか?!泣きたいのはこっちの方だ!行って来いよ!」
「熊谷先輩は謝りに行かれたんですか?」
僕は可哀想になり声をかけた。
「そんなもん行けるかよ!先方さんは怒ってるんだぞ!何度も足を運んでやっと注文を…!クソッ!」
熊谷先輩はカウンターを蹴った。
「営業が謝りに行かなくてどうするんですか?貴方のお客様ですよね?」
「なんだと新入りのくせに偉そうに!グラフが上だからって図に乗るなよ!」
矛先は僕に向けられた。
「謝りに行きましょうよ。僕も行きますから」
「2度と来るな!と電話で言われたんだよ!その気持ちがお前に分かるか!」
「解らないね~」
神川先輩が割って入った。
「たかが1社なくした位でガタガタうるさいんだよ!3社でも4社でもとってきたら終わりだろ!」
「神川先輩……そんな…」
神川先輩に言われると、熊谷先輩は意気消沈した。
「日向謝りに行くぞ。熊谷、運転しろ!」
「分かりました」
「は、はい…」
熊谷先輩はびっくりしながらも急いで背広を着て、カバンを持ち事務所を出た。
「美怜、大丈夫だからな」
美怜は涙を拭いコクリと頷いた。
「さやか、後頼む」
さやかにお願いをし、僕も事務所を出て熊谷先輩の車に乗り込んだ。
3人共に話す事は無かった。
結局3人で謝り続け、パソコンをもう1台無料という事で話がついた。
「ありがとうございましたー」
と嬉しそうに熊谷先輩は言ったが、僕も神川先輩も何も言わなかった。
気になるのは美怜だった。
夜美怜に電話をした。
「美怜、大丈夫か?」
「うん、ありがとう……ごめんね」
やはり元気がなかった。
「ご飯食べたか?」
「ううん…」
「何か美味しいもんでも食べに行こ!」
「ありがとう…でも要らない」
「もう済んだから気にするな」
「うん…わかった。ありがとう」
それで電話を切った。元気が取り柄の美怜が、あんなに弱った声で話したのは初めてだった。
次の日、美怜は会社を休んだ。電話をかけたが出なかった。
そして次の日も次の日も来なかった。クソ熊谷め!腹立たしくて仕方が無かった。
朝早く美怜の家に行った。美怜はやつれた顔でパジャマ姿で出てきた。
「具合、悪いのか?」
「わかんない…」
「え?」
とりあえず中に入った。何度か来た事はあるが、いつも綺麗に片付けてあった。それが服もコップもゴミも散らかったままだった。
「ちゃんと食べてるのか?痩せたみたいだぞ」
「食欲ないんだ~、何かする気力も…」
もしかして!思いあたる節があり、嫌がる美怜を無理矢理車に乗せ病院に行った。
心療内科、さやかと来たっけなー。
やはり美怜は鬱病になっていた。薬と会社に提出する診断書をもらい僕の家に連れて帰った。
「気分が良くなってまた会社に行きたいと思うまで行かなくていい。休職届けは出しておくからね」
「どうしてここに?」
「1人おいて置けないよ」
「でも……」
「何か不安?」
「家賃…どうしたらいいかな……」
「引き払うか!」
「えっ…」
「ここに住めばそんな心配要らないしな!」
「それじゃぁ、日向に悪いよ……」
美怜は泣き出した。自分では鬱病で何も手段を考えられないのに、美怜の性格上迷惑になるのが嫌なんだろう。
「大丈夫だよ!任せとけって!今までもらった分全部返してやる!いいか?覚悟しとけよ!」
そうだ、美怜にもらった物は数限りなくあった。明るさも強さも…。今度は僕が返す番だ。
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