第24話 さようなら
僕はゆっくりと坂道を降りて行った。さやかとキチンと向き合うのは久しぶりだった。陽射しが額を濡らす。ハンカチで汗を拭いながら、長い長い1本道を歩き続けた。
やがて見覚えのある景色になる。焼き板に黒い瓦屋根、さやかの家だった。
玄関から土間に入り声をかけた。
「さやかー、こんにちは」
びっくりして走って来たさやかを、懐かしむように見つめた。
「日向君…」
「皆で彩乃さんの実家に来たんだ。ずっとここに居たの?」
「そうよ。一周忌と初盆だったから」
「お線香あげさせてもらってもいいかな?」
「あ、どうぞ」
土間から上に上がり懐かしい仏間に入った。相変わらず優しく微笑む御両親。
線香をあげ、手を合わせた。さやかの幸せを見守ってあげて下さい…そう心の中で伝えた。
さやかはその間麦茶を運び、座卓に置いてくれた。
「ありがとうね」
「いえ、こちらこそわざわざありがとう」
どことなくぎこち無い2人。
「何か思い出したんだって?」
「うん、ここに居るとお母さんが思い出されて…よくキッチンで夕飯を手伝いながら話していたわ」
「そう、良かった。他には?」
「中学時代テニス部だったの。ぼんやりだけど、思い出した」
「そうか、いい傾向だね」
「うん…でもまだまだ思い出したい事があるんだけどね」
「神川先輩には病気の事…話したの?」
「話したわ。日向君の言った通り気にしないでって言ってもらえたの」
「うん、そうか。で、今は付き合ってるの?」
「うん…今日ここに来る事になってるの。もうすぐかな?」
「そうか、なら、長居は出来ないね。さやかに伝えたいんだ。聞いてくれる?」
「…うん」
「大学1年で知り合って僕達はずっと一緒だった。それなりの思い出もある。そしてさやかが病気になって1年が過ぎた。素敵な恋人も出来た。親友としてさやかの幸せを願ってる」
さやかは何も言わずに僕をずっと見つめていた。
「だからね、遠くで見守りたいんだ。その方が神川先輩にとってもさやかにとっても良いと思う」
「…お別れ?」
「友達だけど、ここで区切りをつけようかと思ってね」
「…1年前日向君は言ったよね?誰よりも私の事知ってるって……」
「そうだね」
「ずっと傍にいるって…」
さやかの事がまた分からなくなっていた。神川先輩が好きで付き合ってゆくなら、僕はじゃまじゃないのだろうか。
「傍にいたら神川先輩はいい気はしないよ?」
「…うん」
「けじめをつけるだけで遠くに行く訳じゃないよ?」
「もしももしも日向君に話したい事が出来たら?何か思い出して伝えたくなったら?」
「…うん、困ったな……ちょっと縁側に行かせて。風にあたりたい…」
僕はそう言うと縁側に腰掛けた。懐かしい庭がそこにはあった。風が心地よくて、あの日ここで寝てしまったっけな。
さやかも隣に座った。
「私ね、不安なの…病気になる前の私を知ってくれてるのは、日向君だけなんだよ?神川さんは知らないんだよ?」
「…そうだけど。前を向こうよ、さやか。病院の先生も言ってただろ?前に進めって。あれから1年、しっかりとさやかは前に進んでるんだよ?思い出したら、それはそれで心の中にしまっておこうよ。誰かに言いたくなったら神川先輩を頼ろうよ。きっと喜んで聞いてくれるはずだよ?」
さやかはずっと俯きながら僕の話を聞いてくれた。
「うん…わかった。ワガママ言ってごめんなさい……」
さやかは何故か泣いていた。だから俯いていたのか…。
「僕が悲しんでないとは思わないで。僕も寂しいし、辛い。だけどそれは今だけで、これからは嬉しい事も楽しい事もいっぱい増えて行く。そしてそれは忘れられない思い出に変わるんだ」
「…それは私だけの事?」
「いいや、僕もだよ」
それは定かではなかったが、自分に言い聞かせる言葉だった。
僕は立ち、土間に向かい靴を履いた。
「さやか、ありがとうね」
「…」
さやかも黙ったまま靴を履き、僕と一緒に庭に出た。
その時神川先輩が汗を拭いながらやって来た。会いたくは無かったが仕方ない。
「おぉー!日向も来てたのか」
「皆でさやかの従姉妹の家に来たんで、お線香だけ上げに来ました」
「なるほど」
「では、僕はこれで失礼します」
「さやか?泣いてたのか?」
神川先輩は気づいてそう言った。さやかはその言葉を無視し、僕が歩く方向に駆け寄った。
「日向君!ありがとう!いっぱいいっぱいありがとうね…」
今のさやかの精一杯の言葉だった。僕は振り返り手を振りながら神川先輩に言った。
「さやかを大切にしてくださいよ」
「わかった。任せとけ!」
洞察力の鋭い神川先輩は全てを把握したようだった。僕は早歩きで坂を登って行った。もう2人が見えなくなる位まで来て、もう1度振り返った。
「さようなら…さやか」
1人で呟き深呼吸をした。そうしなければ胸が苦しい。
頭の中では関ジャニ∞の『咲く、今。』が流ている。
そしてもう1度「さようなら」と呟き、彩乃さんの家までゆっくりと歩を進めた。
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