第19話 女心②

 会社に戻ると、またさやかが走って来た。


「日向君どうなったの?」


「僕と同じマンションの205に住む事になったよ」


「…そうなんだ」


 さやかは心配しているのか、少し落ち込んだ。


「大丈夫だよ。心配ない」


「うん、ありがとう……」



 書類作成をしていると美怜がやって来た。


「日向…」


「あ、美怜。もうすぐ終わるから飯でも行く?」


「うん!」


 来た時とは全く違う顔で戻って行った。女心というのは本当に秋の空だ。


 仕事を終え美怜と会社を出た。きちんと向き合おうと思い、フランス料理店の個室を予約しておいた。もちろん美怜は大喜びだった。


「ステキ!日向ありがとう!」


「いいえー、遊園地の時と昨日の罪滅ぼしだよ。話、途中だったしね」


「あぁ、そうだね…」


「ん?どうした?」


「うち…もう分かっちゃったし」


「何を?」


「でもやっぱちゃんと言うね。うちは日向が好き」


「うん、ありがとう」


「でも日向君はさやかちゃんが好き」


「いやぁー、そんな事ないよ。ほら長い付き合いだし、だからかな?」


「ううん、分かるの。自分の好きな人の一挙一動で見えちゃうのよね。それを見て一喜一憂しちゃう自分が嫌になる。日向もそうでしょ?さやかちゃんは神川先輩が好きってわかってるでしょ?」


 何も返す言葉が無かった。その通りだ。長い付き合いだから見えてしまうんじゃない。好きだからこそ気になって見えてしまうんだ。見たくないものも沢山見たな…。


「ん?図星?」


「さやかには言うなよ…」


「どうして?うちもちゃんと告白したんだから、日向もしなよ。」


「事情があってな…。さやかが幸せならそれでいいんだ」


 運ばれて来た食事もなかなか喉を通らない。


「そう?うちも同じだよ?日向に幸せになって欲しいんだよ。まださやかちゃん、付き合ってないしまだ今なら」


「いや、やめとく」


 美怜の言葉を遮ってそう言ってしまった。


「ごめん、色々有るんだ」


「そう…わかった。もう何も言わない。でもまた何か言ってしまったら…ごめんね。見てられないんだ」


「いや、わかるよ。ありがとう」


「なんか湿っぽくなったね。せっかくの美味しい料理が台無しだ!食べよ?」


 それからこの話はせず、美怜の好きなペット、旅行に行きたい所なんかを楽しく話し食事をいただいた。


 美怜を送り家に戻ると彩乃さんが立っていた。


「おかえりー!」


「ただいま…叔母さんは?」


「さっき帰って行った」


「そうか…家具は揃った?」


「うん、粗方ね」


「そう…んで、何?」


「部屋に入れてよ」


 鍵を開けるのを躊躇していたら、そう言われてしまった。仕方なく部屋に招いた。


「ね~日向君の彼女って昨日の人?」


「違うよ?彼女はいない」


「じゃ、なんで昨日連れて来たの?」


「ここで話をしててね、流れ?的な?」


「日向君はモテるんだね」


「そんな事ないよ。何か飲む?」


「ううん、日向君の部屋広いね」


「そうだね、違うんだね」


「お仕事疲れてるだろうし帰るね、あ、電話番号教えて」


「わかった。仕事どうするの?」


「明日から探すよ」


「うん、頑張って」


「はーい、ありがとう!おやすみなさい」


 彩乃さんは玄関に向かって歩きながらそう言った。やけに素直だし気が利いていた。彩乃さんを誤解していたのかと思う程彼女は確かに変わっていた。

 やはり女心は分からない。


 休日さやかから電話があった。また何か問題でも勃発したか…。


「あ、日向君!」


 彼女は珍しく明るかった。


「CD買いに行きたいんだけど…連れて行ってくれないかしら?」


「あ、うん、良いよ」


 なぜ僕に?神川先輩じゃないのか?1種のパシリ的な?以前なら喜んで行ってたが、今の僕は変わっていた。辛い光景を度々見てきたせいか、確かに何かが変わってしまった。


 2人でお店に入った。


「何か欲しい物があるの?」


「そうなんだ~前テレビで紹介されていてね、あ、あった!」


 それはHarry Stylesの『Sign of the Times』だった。僕はイギリスの音楽が好きで、それは彼女に聴かせてあげた曲だった。あれは1泊旅行に行った時、彼女も気にいってくれ何度も何度も車の中で聴いてたっけな…。それも忘れてしまったんだな。


 2人でスイーツの店に入った。


「私は~黒糖ミルクタピオカ!」


 何故か分からないが彼女はとても嬉しそうだった。


「じゃ、抹茶ティラミスとアイス抹茶」


「抹茶好きなの?」


「うん、好きだね」


 運ばれて来たので2人で美味しくいただいた。


「この曲ね、なんていうのかな~聴いた瞬間懐かしくて、それで凄く温かい気持ちになって幸せになれたの!だから欲しくって!」


「そうか…実はそれ僕も持ってるよ。いい曲だよ」


「え?もしかして…前に私聴いてたの?」


 聴いてたんだよ…。幸せな2人の時。いつまでも続くと思えた2人だけの時間。かけがえのない時間だった。

 いまは風に吹かれ何もかも無くなった。


「ん~どうだったかな?忘れた」


 そう、さやかの心に無いもの。同じように僕も忘れられたら、どんなに楽だろう。


「2枚買ったんだ~♪神川さんにあげようと思ってね。誕生日なの」


 そんな話、聞きたくはなかった。だが、聞いてあげよう。さやかの気が済むまで。それは僕の中でさやかを消す事に繋がるだろう。そうすれば僕も楽になる。


「もう付き合ってるの?」


「ううん、まだ。それもね、今日日向君に相談したかったんだ~」


「僕に?さやかが決める事だよ?」


「そうなんだけどね……」


「好きなんでしょ?」


「好きだけどね……」


「何かあるの?」


「まだ病気の事、言ってないの。なかなか切りだせなくて」


「その事なら大丈夫だよ。神川先輩はそんな事気にしないよ」


「そう?」


「うん、きっと温かく受け止めてもらえるよ。彼はそういう人だ」


「日向君は…日向君は私が付き合っても平気?」


 何を言い出すんだろう…。今さら僕に何を求めているのだろうか。


「ん~、どういう意味?」


 なんでも分かり合えていた2人。だが、今の彼女の言葉は分からなかった。こうして分からないものが増えていくんだろうか…。


「どうって…。長い間親友だったんでしょ?離れて行くのは少し寂しいかなって……」


「別に離れなければいいんじゃない?恋人が出来たって友達は皆いるよ?」


「なんかね…上手く言えないけど、ほら、友達って言っても男女じゃない?そうすると神川さんが気にするかなって…それなら付き合わないでいた方が良いかなって」


「実際、さやかはどうしたいの。僕に聞かれても決めるのはさやかだよ」


「そ、そうだね。なんかごめんね」


 ちょうどその時彩乃さんから電話が鳴った。何か凄く落ち込んだ様子だった。


「送って行くよ。彩乃さんの家に行かないと行けないから」


「わかった。でもちょっと買い物もしたいから、私はここで…」


「そう?じゃまたね。また何かあったら電話して」


 店を出てそのまま別れた。さやかと大学1年から交流があったが、初めてイラついてしまった。そう言えば喧嘩も1度もした事がない。付き合いたいならさっさと付き合ってくれ。半ば投げやりになっていた。


 でもこれでいい。こういう形でしか、僕の中のさやかを消す事は不可能だ。そうして忘れる事が出来るんだろう。傷ついた事もあったが、これからはそれも無くなるような気がした。




「彩乃さん?何かあった?」


 彩乃さんの家に行き尋ねた。彩乃さんは半泣き状態で立ちすくんでいた。


「どうしたんだよ?」


「ケーキ屋、クビだって……」


「ケーキ屋で働いていたの?」


「うん、あたし忙しいとテンパっちゃって、ケーキ落としたり箱落としたり、注文間違えたり…実家ではあんなに人が集まる事ないし、忙しくもないし。それに都会の人達はすぐ怒るし…。あたしもういや」


 田舎から憧れて都会に来た。大きな違いは沢山あるだろう。友達もいなくて1人で戦うには過酷だよな。


「どうしたいの?田舎に帰る?」


「ぇ」


 彩乃さんは黙り込んでしまった。


「忙しくない仕事なんてないんだよ。皆忙しいから人を雇うんだからね」


「都会って思った程楽しくないね」


「そうだよ、彩乃さんの実家に着いたら僕はとても癒されてたんだよ」


「うん、わかるよ。山が恋しい…かーちゃんの優しく穏やかな話し方が恋しい…」


 彩乃さんが来てまだ1週間足らずだった。早くもホームシックになっていた。


「ここを出るのも1ヶ月前に言わなければいけない。その間仕事は忘れて観光でもしてみたら?まだどこも行ってないんだろ?」


「うん…電車も乗ってないの」


「じゃ、気晴らししたらいいよ。綺麗な所も楽しい所もあるんだよ?」


「うん、そうする。それで都会の暮らしぶりや人を観察してみる」


「お金はある?」


「大丈夫かーちゃんにもらってるから」


「なら、そうしたらいいね。また気が変わるかも知れないしね」


「日向君…ごめんなさい」


「ん?」


「あたし日向君に迷惑かけないように頑張ろうって思ってたのに……」


「いいよ、そんな事。迷惑だとは思ってないからね。今度僕が何かあったら助けて」


「うん!」


 彩乃さんは明るい表情になった。もう安心だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る