第15話 儚い…

 次の日レポートを急いで書き上げ、商品室で1日過ごした。機械類はあまり得意では無い。時折メンテナンス課に行き質問をしてはノートにまとめた。


 そんな事をしながら営業についても勉強をした。自由に就業時間を使っていたが、春川課長はレポートを提出してから何も言わなくなった。



 次の休日、さやかから電話がなった。


「どうした?」


 普通の挨拶がしたいが、どうも緊急事態のような不安がありそう言ってしまう。


「ねぇ、美味しいもん食べに行かない?」


 お、デートの誘いか?!


「もちろん!喜んで!何食べたい?」


「ん~そうね~カレー!ナン付きのカレーが食べたいなぁー」


「さやかの好物だよ!」


「そうなんだ~テレビ見てたら食べたくなったの」


 車で彼女のハイツに向かい、一緒にインド料理店に行った。


 店に入るとさやかに告白した事が思い出される。大昔の出来事に感じるから不思議だ。あれから色んなことがあったな…。今では2人とも社会人なんだもんな。


「日向君どうしたの?」


「随分前だけど、ここにさやかと来たんだよ。その事を思い出してたんだ。初めて大学から外に出たのがこの店だったな…」


「そう…覚えてなくてごめんね…私、初めて来たって思ってたの」


「あー!」


「ん?」


「謝るのは無しって約束だろー?」


「あは、そうだった」


「覚えてなくても僕は気にしないよ?心の中にはちゃんとあるからね。それにいつかさやかが思い出したら倍楽しめるよ!」


 料理が運ばれて来てから、さやかの田舎の事や僕の妹の事など楽しく語り合いながら美味しくいただいた。


「次はデザートの店でも行く?」


「ううん、もうお腹いっぱい。飲み物頼んでもいい?ちょっと聞いて欲しい事もあるし…」


 ん?何か様子がおかしい。いったいなんだろう。


 アイスチャイが運ばれて来て、ようやくさやかが話し出した。


「実はね…明日神川さんにデートに誘われたのね」


 デート?!やはり神川先輩はさやかを気にいってたのか…。


「それで?」


 僕は精一杯の平静を装いそう尋ねた。


「どうしようかな~って相談」


「返事はまだしてないの?」


「うん、考えて今日の夜電話しますって伝えてるの」


 電話まで交換してたのか……。気落ちしたが悟られないように話した。


「さやかはどうしたいの?」


「悪い人じゃなければ、行ってもいいかな~って思ってるの。日向君はどう思う?」


「行くな!」と言いたかった。本当に言いたかった。だけど僕にそんな権限あるのか…?さやかの親友で神川先輩も知っている。だから相談してるんだ。


 神川先輩は腹が立つ程完璧な人だ。仕事も出来るし優しいし…。僕には嘘はつけなかった。


「凄くいい人だよ」


「やっぱり?私もそう思ってたの。行ってみるね!」


 さやかは本当に嬉しそうに笑った。

 それでいい…、それで。さやかが幸せならそれでいいんだ。僕は自分に言い聞かせていた。



 次の日、さやかは神川先輩と会っているだろう。家に居たくなくて久しぶりに実家に帰った。


 車庫に車を止めると妹が玄関から飛びだして来た。


「やっぱそうだ!お兄ちゃんだと思ったよ!」


 車から降りおみやげを渡した。


「すっげー上手い抹茶ティラミスだ」


「わぁー、お兄ちゃんありがとう!」


 受け取ると喜んで家に入って行った。高校3年といえば思春期のはず。いつまでも菜々子は幼いな。


 リビングに入ると食卓でもうティラミスを開けている。


「なあに~全然帰って来ないと思ったら突然なんの連絡もなく~」


 母は洗い物をしながら愚痴を漏らした。


「オヤジは?」


「いつものゴルフ!なにが楽しいんだか…」


 僕は食卓に座って新聞を広げた。


「やば!うまっ」


 菜々子は1人で食べながら呟いた。


「お母さんも食べなよ、上手すぎ」


「そう…それより父さん夕飯要らないって言うから、買い物してないのよね~」


「いや、それまでには帰るから気にしないで」


「ね、お兄ちゃん。大学行った方がいいかな?」


「行きたくないの?」


「別にどっちでもいいんだ~」


「行きなさいよ。日向からも言ってやって」


「ん~どっちでもってなぁー。なりたい職は?」


「保育士になりたいの」


「なら短大でもいいから幼児教育科に行かなきゃ。資格がいるんだぞ?」


「なら、行こうかな…」


 気楽な奴だ。行きたくても経済的に行けない人もいっぱいいるのに……。恵まれ過ぎてる。僕もそうだ。就活の大変さも知らずに社会人になった。



 帰りに夕飯を食べにふらっと入ったラーメン屋に、吉田先輩が1人でラーメンをすすっている。


「前いいですか?」


 吉田先輩はビールも飲んでいて少し虚ろな目で僕を見た。


「あ、な~んだ。森君じゃないですか~相席の客かと思いましたよ」


「こんにちは。ここ初めてですが美味しいですか?」


「家がこの近くだからしょっちゅう来るんだよ。上手いよ」


 そう言いながらコップに入ったビールを飲み干した。


「森さんは凄いな、グラフ見たよ」


「いえ、あれは神川先輩からの頂きもので」


「私はもうダメですよ……」


「そんなこと言わないで下さい…大丈夫ですよ」


 気休めでしかないことはわかっていた。だが、他に言いようが無かった。



 その日の夜、吉田先輩は首を釣った。一緒に住んでいた、お兄さんに助けられ一命は取り止めたが、そのまま会社を辞めてしまった。


 あの時僕が何か違う事を言ってたら…。たらればを言っても仕方ない事は解っている。だが……。


 1番落ち込んだのは春川課長だった。上司だからという理由だと思っていたが、実は2人は付き合っていたと後で聞かされた。


 それで吉田先輩はあんな辛い仕事をずっとやっていたのだろう。逃げ場のない環境の中1人で頑張っていたに違いない。この1件で初めて大人の世界の儚さ、厳しさを知った気がした。



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