第13話 神川先輩①
月曜日の朝、早くから出勤した僕はいつものようにデスクを拭いて廻った。新人の当たり前の仕事だと思っていたからだ。
今日から神川先輩の同行が始まる。気乗りはしないが一体どんな営業をしているのか、吉田先輩となにが違うのかを知りたいという思いはあった。
神川先輩が出勤して来た。
「おはようございます!今日からよろしくお願いします」
「今日から?いや、同行は今日だけで願いたい」
そう言うと彼は仕事に行く準備を始めた。今日だけ?1日で全てを学ぶ事は不可能に思えた。
春川課長が出勤して来た。
「森ー!」
席に着くなり直ぐに呼ばれた。
「はい、課長。おはようございます!」
「今日は神川との同行だ。パンフレットの準備とこれはお前の名刺だ」
それは初めて手にした名刺。僕の名前を確認したらやはり嬉しかった。
「ありがとうございます!ところで神川先輩との同行は今日だけですか?」
「1日有れば十分だろー。それに神川は基本誰とも同行はしない。きっとおまえに期待しての事だと思う。精一杯学んで神川のノウハウを自分の物にしろ」
「はい!分かりました」
僕はまずパンフレットを多めに準備しカバンに入れ、いただいた名刺を用意していた名刺入れに入れた。
朝礼が終わると2人で駐車場に向かった。やはり吉田先輩と同じ社用車だった。
「いまから既存のお客さんまわりをする」
「はい」
そして車はゆっくり動きだした。とばす事も無く安全運転だった。
「俺の隣で黙っていればいい。間違っても愛想笑いやお辞儀はするな。あくまでもこっちが有利に振舞え。何なら俺の先輩ヅラでも構わない」
「はぁ……」
僕は吉田先輩との同行を思い返していた。必要に頭を下げていた吉田先輩。あくまでも客が上でこちらは低姿勢。それを思うと全く逆だ。それで注文が貰えるのだろうか、いや実際もらっている。
休みの日に『営業の心得』という本を買い求め読んでみたが、吉田先輩がしている営業そのものだった。果たして何が正しいのか分からなくなった。
会社の前に着いた。見るからに大きな会社で【DMR株式会社】と書かれていた。神川先輩は直ぐに降り、僕も後に続いた。
大きなガラスばりのドアの向こうには受け付けがあった。受け付け嬢が2人座っている。そのうちの1人に神川先輩が声をかけた。
「浅田さん、こんにちは。原田さんをお願いします」
「神川さん、お久しぶりですね~。少々お待ち下さいね」
浅田さんという受け付け嬢は内線電話をかけた。神川先輩は少し離れたソファーに座り、僕に向かって隣を指した。黙ってとなりに座る。
直ぐにエレベーターから初老が現れた。にこやかに神川先輩を見ながら手を差し出した。
「やっとうちの番ですな!お待ちしていましたよ!」
「多忙でなかなか来れなくて申し訳ない」
「いえいえ、来て頂けるだけでうちは安心なんですよ。注文多くなりましたので、書面にしました。どうぞ」
「ありがとうございます。それで少し相談なんですが……」
「なんでしょう?神川さんのことですからなんなりと」
「私はなかなか御社を訪問出来ません。なので今後はこちらにいる森に担当してもらおうかと…いかがでしょう?」
口から心臓が出そうなくらいバクバクしていた。なんの相談も打ち合わせも無く、いったい神川先輩は何を考えているのか…。
「ま、神川さんに会えないのは少し心もとないですが…そう仰るのでしたら、仕方ないですね~」
「もちろんわたしが責任を持ってフォローします。森さん名刺を」
僕は慌てたが平静を装って名刺を渡した。原田さんも名刺をくれたが…、取締役?!驚いたがまた平静を装って
「森と申します。よろしくお願いします」
頭を下げそうになったが耐えた。
「はい、分かりました。これから頼みますね」
取締役の原田さんはにこやかにそう言ってくれた。
会社を出て車に戻ると、神川先輩はさっき原田さんから渡された注文書を僕に渡した。
「え?なぜ僕に…?」
「これからはお前が担当なんだ。だから今日の注文からお前が責任持って手配しろ。やり方は帰ってから指導する」
「ありがとうございます」
と、言う他無かった。
次にまた大きな会社に行ったが、常に神川先輩の方が有利に立ち、営業というよりは御用聞きのように注文をいただいていた。
どうして立場が逆転したのか、どうしてすんなりと注文を頂けるのか…、そこが分からない以上ノウハウを得る事は出来ない。
色々考えているとレストランに着いた。
「お昼だ」
神川先輩は車から降り入って行った。レストランで?!
吉田先輩のお弁当を思い出していた。残り物を詰め込んだだけの質素なお弁当だった。コンビニで買うのも高いと言っていたのに…。
「いらっしゃいませー、何になさいますか?」
「ビーフストロガノフ、パンで。後でホットコーヒー」
「はい、かしこまりました」
えーここは高い!!
「奢るからなんでも好きな物を食べろ」
「ミートスパゲティで」
「はい、お飲み物は?」
「あ、アイスコーヒーを後で…」
「かしこまりました」
毎日こんな所で食事をしているのか…。いったいいくらもらってるんだろう。しかも午前中は2件しか行かず、まだ11時だった。
「質問があれば聞くぞ。明日からは受け付けん」
「神川先輩の営業ノウハウが全く分かりません!これじゃ同行の意味がありません」
僕は何故か完璧な神川先輩に腹が立ってきた。
「ほう、営業ノウハウか…何を見れば分かると思う?」
「新規開拓に行きたいです!」
「もう開拓はほぼ終わった」
「いや、でもそれじゃぁ…」
注文した物が運ばれて来たが神川先輩は電話をかけ始めた。
「営業事務の吉永頼む」
僕は腹立たしく釈然としない気持ちのまま、スパゲティを頬張った。その様子を神川先輩は見ながら電話の相手と話している。
「吉永、新入社員の森のテリトリーは決まっているか」
「花町、中町他には?」
僕の地区なのか…、いったい何をする気なんだ……。
「わかった。ありがとう」
電話を切ると無言で食べ始めた。いやいや、なんか説明があっても然るべきじゃないのか?!
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