第11話 初出勤②

 お昼を終えると吉田先輩は地図を広げ始めた。


「ここが私の持ち場なんです。営業マンは多いですから、被らないように割り振りされているんですよ」


 そう言いながら念入りに見ている。地図にはいろんな色で塗り尽くされていた。


「森さんも1ヶ月もすれば車と地図をもらえると思いますよ」


「はい」


「では、行きます」


 そう言うと車を走らせた。どことなく緊張しているように思えるが錯覚だろうか。5年も経ってそれはないな…。


 会社の前に着いた。吉田先輩は名刺入れやパンフレットを念入りに確認し始めた。そして会社を見つめるとため息を漏らしながら車から出た。僕も慌てて降りる。


 事務所に入ると


「篠山事務用品です!」


 と大声で叫んだ。やがて事務の女の人が立ち上がり吉田先輩の所に来た。


「なんでしょうか?」


「事務用品のご説明に参りました!担当の方はいらっしゃいますでしょうか」


「少しお待ち下さい」


 ん?この会社は初めての所なのかな…。そう思っているとメガネをかけた背の高い男の人がやって来た。


「こんにちは!篠山事務用品です」


「またか…以前断りましたよねー?ウチは契約している他の会社があるって……しかもあなた、名刺も出さずに…」


「あっ、失礼しました!」


 吉田先輩はスーツやらカバンやらゴソゴソと探し始めた。さっき確認してたはずだけどなー。僕にも緊張が走った。


「もういりませんよ!それとウチも暇じゃあありませんので、あなたの相手は今日が最後でお願いしますよ」


 そう言うと男の人は事務所の奥に入って行ってしまった。


「ありがとうございました!」


 吉田先輩は大声でそう言うと深々と頭を下げた。何が有難いのか分からないが仕方なく僕も頭を下げた。


 会社を出て車に乗り込むと吉田先輩はまた名刺を探し始めた。額には汗がにじんでいる。ようやく名刺入れを見つけると、中を確かめスーツの内ポケットにしまい込んだ。ようやく落ち着いたのかハンカチで汗を拭い始めた。


「これが新規開拓なんです。私は成功した試しがありません…」


「そうなんですか……」


 返す言葉がみつからなかった。僕なんかが励ましても意味は無いし、かと言って慰めの言葉を言っても仕方が無いし…。


 その後も何件も会社を廻ったが、怒鳴られたり無視されたりと散々だった。すっかり辺りは暗くなっていたが、吉田先輩は帰る気はないようだ。地図を確認しては車を走らせ、目的地に着くとまた怒鳴られ……。大変な仕事だと痛感した。


 ようやく吉田先輩が言った。


「今日はこれで終わりにします」


「はい」


 すっかりこっちも意気消沈してしまった。


 会社に戻ると7時半を過ぎていた。さやか達事務の人は誰もおらず、電気も消されていた。営業課の人達は数人いてデスクワークをしている。


 吉田先輩もカバンから地図を出し、引き出しから書類を出した。


「今日の営業報告をします。これを毎日営業事務に提出するんです。あ、森さんはもう帰っても良いと思いますよ」


「はい」


 本当は書類の書き方も教えて欲しかったが、こんなに遅い時間だと悪いので諦めた。チラホラ帰って来ている人もいた。定時は6時のはず。叔父さんの会社はブラックなのか…?!


 吉田先輩の言っていた成績グラフを見つけた。初日だというのに半数以上の営業マンの棒グラフが伸びていた。その中で目をひいたのはあのクールな男、神川だった。周りと比べると群を抜いて棒グラフが伸びていた。1ヶ月も経ったら紙が足りないだろうと思う程だった。何が違うのか…どんな営業をしているのか凄く気になったが、アイツと同行なんて真っ平ごめんだった。


 吉田先輩の方を振り返るとまだ書類と向き合っている。一緒に帰ろうかと思ったが、仕方なくカバンを持ち吉田先輩の所に行ってあいさつをした。


「今日はありがとうございました。また明日よろしくお願いします」


「はい、お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


 吉田先輩は顔をあげること無く僕に挨拶をした。



 家に帰るとお腹が空いてしょうがなかった。毎日こんなんじゃ胃に悪いし太るな…。ご飯を炊いている間にさやかに電話をした。


「日向君今帰って来たの?!」


「そうなんだ、何か大変な仕事だよ。そっちはどうだった?大丈夫?」


「うんうん、先輩達も凄く優しくてね。それに同期の女の子とも仲良くなったし…すっごく楽しかったわ」


 さやかが喜んでいるなら良かったが、少し羨ましかった。同じ職場でも部署によって違うんだな…。


「あ、それでさぁ、さやか」


「ん?」


「僕達は知らない者同士のふりをするの?」


「え?その方が日向君がいいかな~って」


「いやいや僕は友達のままが良いよ」


「そうなの?じゃそうしようか!」


 良かった…。あんな辛い会社でさやかとも気さくに話せないんじゃー地獄だよ。


 寝る前に今日の事が頭に浮かんでくる。焦る吉田先輩、汗を流す吉田先輩、あたふたする吉田先輩。だがいつも最後にはお礼を言い頭を下げる吉田先輩。


 ん~、5年かぁ。僕なら毎日あれじゃ辞めてるな。吉田先輩の良さが何故か消されている気がした。もっと違う仕事の方がいいんじゃないかと……。


 いやいや、これは吉田先輩に限った事じゃない。僕もそうなるかも知れない。明日も吉田先輩のあの光景を見なくてはいけないのかと思うと、凄く気が滅入った。僕の社会人初日はこうして終わった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る