第10話 初出勤①
四月一日、いよいよ社会人としての初日。僕は車通勤、さやかは電車通勤で【篠山事務用品】に向かう。
本当は彼女を迎えに行って車で一緒に通勤したかったが、やはり友人ということもあり遠慮した。
【篠山事務用品】はコピー機パソコンFAX、それにボールペンまでありとあらゆる事務用品を扱っていた。それを店に卸すのではなく、直接企業に売り込み買ってもらう。僕はその営業を行いさやかは営業事務をする事になっていた。
始業時間は9時、僕が15分前に着くとさやかはもう制服に着替えて事務の机の前にいた。
「早いねぇ~おはよう!」
「おはようございます」
少し固くなったさやかはそう言うと頭を下げた。ん?敬語…。会社では友人ではないのかな?疑問に思ったが今ここでその話をする訳にもいかず、営業課に向かった。
「おはようございます!森日向です。今日からよろしくお願いします」
数人いるスーツ姿の人達に深々と頭を下げ元気よく言ってみた。
「やぁ、森君か。早いねぇ。君は1課に配属が決まっているよ。ここは2課だから隣だ」
歳は40代くらいだろうか、少し小太りの男性が優しく教えてくれた。言われた1課に行くが誰もいなかった。席も分からず途方にくれていると、一人の男性が近づいて来た。
「新入社員すか?」
「はい、そうですけど…」
「俺もっす。よろしく~、あ、田中といいます」
「森です。よろしくお願いします」
「何くっちゃべってるの!早く来たならデスクぐらい拭きなさいよ」
スラリとした、いかにもやり手キャリアウーマンという感じの人が通りがかりにそう言った。僕と彼は圧倒され見つめた。彼女は1課の一番前のデスクにバックと上着を置き座った。直ぐにノートパソコンを開け何かを始めた。
「いいッスね!森さんとこは女課長すよ」
また田中さんが話しかけてきた。
「そうだな…」
僕は田中さんを置いてデスクを拭く雑巾を探しに行った。チラッとさやかの方を見るとやはりデスクを拭いている。決まりなのか…。
「猫田さん、雑巾はどこにありました?」
僕も知らない人のように、さやかに声をかけた。
「あ、入り口を出て右の部屋です」
何かしっくり来ないな…。せっかく同じ会社になったのに…。恋人から赤の他人、そして友人、親友、また赤の他人かよ……。これは長い戦いになりそうだ。
そんな事を思いながら雑巾を絞りデスクを拭いた。顔を上げると大勢人が出勤していたので驚いた。営業は3課まであり、各課に10人程いた。やがてラジオ体操の曲が流れ始めた。時計を見ると9時ジャスト。
僕は慌てて雑巾を下に置き、皆と同じように上着を脱いだ。しかし自分の席が分からないので上着を脇に挟んだまま体操した。
終わると皆着席した。困っていると一人が手招きしてイスを指さした。雑巾を拾い慌てて着席する。
部長の朝礼の挨拶の後は各課での朝礼だった。先程のキャリアウーマンが座ったまま挨拶をすると皆「おいっーす!」と頭を下げた。おはようございますも言えないのか…大丈夫か?
「森、挨拶」
突然キャリアウーマンから言われ慌てて立とうとすると、さっき手招きしてくれた隣の人が肩を思いきり押さえた。いてーよ!彼を見るとクールな顔で何も言わない。
「挨拶も出来ないのか!」
少し声を荒らげ、またキャリアウーマンが言った。
「すいません。森日向と申します。今日から入社させていただくことになりました。未熟者ですが精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」
そう言い終わると隣のクールな奴が「はいはい」と言って一人手を叩いた。だがなお顔はクールなままだった。
その後皆の自己紹介もなくキャリアウーマンの叱咤激励で朝礼は終わった。僕は雑巾を片付けに行き、戻ると皆居なくなっていた。
「森ーー!」
「あ、はい!」
「どこに行ってるんだ、ったく!吉田ー!」
「はい!」
吉田と呼ばれた人はカバンを持ち走って来た。
「吉田はここで五年目。決して出来た営業マンではないが、忠実な模範営業をしている。新人にはわかりやすいだろう。今日から毎日彼についていけ!」
「はい」
「返事は大きく!」
「はいっ!」
「よしっ、行って来い!」
「行って参ります!」
吉田さんは深々と頭を下げ大声で言ったので、僕も真似をした。
「さ、行きますか」
吉田先輩はそう小声で言い、会社を出て駐車場に向かった。グレーに社名が書いてある軽自動車に二人で乗り込んだ。
「よろしくお願いします!」
シートベルトを締め大声で挨拶をした。すると吉田先輩は頭を掻きながら
「いやぁー、大声は春川課長の前だけでいいよ?普通でね」
あのキャリアウーマンは春川というのか…。何か名前が似合わなくてピンとこなかった。
吉田先輩は短髪で黒のスーツはパツンパツン。きっと買った時から太ったんだな…。買い替えてないという事はそれだけ給料が少ないのか?
「まず私のお得意さんを数件廻ります」
「はい」
いろいろ会社を廻ったがどこも小さな会社ばかりだった。吉田先輩は低姿勢で社長さんにぺこぺこしっぱなしだった。大変な仕事だと感じた。
「なかなか注文をいただけないんですが、だからと言ってなおざりには出来ません」
吉田先輩はそう言いながらまた車を走らせた。なるほどこれが春川課長の言ってた模範営業かも知れない。僕はスマホのメモに書き記しておいた。
「お昼はお弁当ですか?」
「いえ」
「じゃコンビニ行きますね」
「ありがとうございます」
何時も落ち着いてにこやかに低姿勢で話す吉田先輩に好感がもてた。やがてコンビニに着き車を止めた。
「ではどうぞ」
「ん?吉田先輩は?」
「私はお弁当を持ってますので」
「分かりました。行って来ます」
僕だけコンビニに向かった。お弁当かいいな~、さやかが彼女なら毎日作ってくれただろうな。そんな事を思いながら弁当とお茶を買い車に戻った。吉田さんはもう食べていた。
「愛妻弁当ですか?」
「いやぁー、まだ独身です。自分で残り物を詰め込んでるだけでして。毎日買うと馬鹿になりませんからね」
ん~、やはり給料は少ないのかな。
「私の同行はいいですが、役に立つかどうか……」
「役立ちますよ!僕は何も分からないので」
「前に張り出されている成績グラフ…見ましたか?」
「いえ、気づきませんでした」
「注文の金額の支払いによって課長達が棒グラフを付けていくんです。4月度は今日からなんで皆さん0ですが、わたしなんか何時もビリを争ってますよ」
棒グラフか……競い合うという事なんだな。給料は20万だと聞いたがそれに成績の歩合が加算される。ビリを争っているなら自ずと給料は少ないだろう。
「いつも優秀な人っているんですか?」
「います。あなたの隣にいる
「神川さん…」
「ほらあなたの挨拶に拍手していた…」
あぁー、あのクールな嫌な奴か?!なぜ吉田先輩のような好印象の優しい人がビリで、あの嫌な奴がトップなんだ?分からないもんだな。だがそれを聞いてふつふつと闘志が湧いてくる。神川なんぞ抜かしてやりたい。
「吉田先輩!頑張りましょう!」
「いやぁー、私はね…」
また頭をかいてそう言った。5年も勤めたらいろんな事があっただろう。それを経て吉田先輩の今があるのかも知れない。
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