第2話 夏の日の出来事①

 大学4年の夏。

 忘れもしない…あの日は太陽がジリジリと照りつける暑い日だった。

 電車から降りた駅は無人駅で乗り降りする人も見当たらい。

 バスは2時間に1本しかなくタクシーを待ったが来る気配はない。


 仕方なく住所を検索し歩いた。

 一本道は果てしなく長く太陽を避けるものは何もない。

 喪服を着ていたため日は容赦なく照りつけ一気に汗だくになった。


 駅から離れるとのどかな光景がどこまでも続く。

 やがて坂道になり視界を遮る広葉樹に囲まれた。


 かなり登ると木々の間から下が見下ろせた。

 ここがさやかの故郷…。

 彼女の素朴な話し方と純粋な笑顔が浮かんできた。

 この土地のおかげで、あの優しい彼女が育まれたんだ。


 しかし今はあのあどけない笑顔も消えているだろう。

 交通事故で両親を一度に失ってしまったのだから…。

 涙にくれているかも知れない。

 そう思うと早く彼女を抱きしめてあげたい気持ちにかられる。


 坂を登りきると集落が広がっていた。

 あのどこかにさやかの家があるに違いない。

 僕は足早に歩き続けた。


 黒い焼き板の塀の、大きな平屋日本家屋に人だかりが見えた。

 きっとあれがさやかの家にちがいない。


 ちょうどお葬式が始まった。

 さやかの姿を見つけたいが、人をかき分ける訳にも行かず、受け付けで香典を渡し記帳を済ませると村人の列に並んだ。


 親族の焼香が終り、外にいた人たちが前に進み焼香を始めた。

 僕も前へ前へと進む。

 もうすぐ親族が座る席が見えそうだ。


 さやかは髪を束ね一人一人に会釈している。

 見るからに元気そうな表情だ。

 きっと頑張っているのだろう。

 やがて僕の番が来た。

 会釈をしさやかを見つめたが、僕に気づいたはずだが他の人と同じように会釈しただけだった。


 不思議に思ったものの、そのまま焼香を済ませ、また人ごみに紛れた。


 やがて最後のお別れが終わり2つの棺は霊柩車に乗せられ火葬場へと向かった。

 さやかと親族もマイクロバスに乗り込み連なって行ってしまった。


 村の人達は散らばり家路へとゆっくり歩き出す。

 さてどうしたものか…彼女とちゃんと会いたかった。

 仕方なく庭にある木のベンチに腰掛け彼女を待つ事にした。

 すると1人の女の人が声をかけてきた。


「そこは暑いじゃろう?都会から来なさったか?」


 そう言うと女の人は屈託のない笑顔を僕に向けた。

 日に焼けた彼女の頬は笑うと丸みをおび、太陽に照らされ光っていた。


「はい。森日向もりひなたと言います。猫田さやかさんの友人です」


 一瞬彼女は驚いたような安堵したような複雑な表情を見せたが、直ぐに元の笑顔に戻った。


「そうかぁーさやちゃんのぉー、そうかいそうかいわざわざのぉー、ありがとうな!わしはさやちゃんの父親の弟の嫁じゃきね。ややこしいな、さやちゃんの叔母だわ」


 そう言うとまた豪快に笑った。


「さ、中に入りな!今冷っこい茶入れるかいね」


 中は薄暗く広い土間があった。


「お邪魔します」


 土間で靴を脱ぎ、上がると襖を取り外し広い和室があった。

 昨日からここに大勢の人が集まったに違いない、大きなテーブルが幾つも並べられていた。


 叔母と言う人は冷たいおしぼりと麦茶を運んで来てくれた。

 おしぼりで手や顔を拭き麦茶を一気に飲み干すと生き返ったように気持ちが良い。


「お腹は空いてないか?」


 もう昼をとっくに回っていた。

 空いてないと言えば嘘になるが、さやかが悲しんでいるのに1人ガツガツ食べている訳にはいかない気がした。


「大丈夫です」


「そうかいそうかい、麦茶ここに置いとくでな。まぁだ帰ってこんがゆっくりしてな」


 叔母さんはそう言うと台所に消えた。

 麦茶をもう1杯頂いて庭が見渡せる縁側に腰掛けた。

 山の上に来たせいか風が心地よかった。


 そのまま寝てしまったのか、男の人の野太い大声で目を覚ました。


「ほうほう、さやかのか!」


 さっきの叔母さんと話しているようだった。


 お骨が2つ仏壇にあった。

 だがさやかの姿はない。

 立ち上がり皆に会釈しながら土間に戻った。

 そこにお坊さんがやって来た。


 皆挨拶をして並べてある座布団に座り始めた。

 僕も一番後ろの座布団に座った。

 お坊さんの挨拶の後、お経が始まる。

 1人だけ場違いな気がしたが仕方がない。


 さやかは前に座ったのだろうか。

 時折腰を伸ばして見てみるがよく見えない。

 そうこうしている間にお経が終わりお坊さんは挨拶をして帰って行った。


 長い大きなテーブルには精進料理とビールが並べられていた。

 僕は皆と一緒に立ち上がりまた縁側のほうに出た。

 さっきの叔母さんが僕を見つけやって来た。


「なんもないが食べていってなぁー」


「あ、あの……」


 ここで言わないと後がない。


「さやかさんに会わせてもらえませんか?」


 叔母さんは一瞬困った顔をして誰かを探し始めた。


「ちょっと、ちょっと待ってな」


 奥から白衣を着た男の人が叔母さんと男の人に話をしている。

 僕が寝ている間に来たのか?

 医者だとしたら…さやか?!

 さやかは病気になったのか?

 不安な気持ちを抑えて3人の様子を伺った。


 医者らしき人は帰って行き、叔母さんと男の人が僕の方にやって来た。


「わしは亡くなったさやかの父晴彦の弟だ。勝治かつじといいます」


「僕はさやかさんの友人の森日向です」


 僕がそう言って頭を下げると同時に叔父さんはその場に座った。

 続いて叔母さんも横に座った。

 仕方なく僕も前に座る事にした。


「実はの、さやかは昨日悲しみにくれとったが、わしや皆のこともわかっとたんじゃがのぉー…朝になったら自分も周りの人も分からんようになっとったんじゃ……」


「どういう事ですか?」


 話しがよく見えない。いったい何を言っているのだろう…。


「そいでの、今医者に診てもらった。どうもショックで記憶喪失になったらしい…」


「記憶喪失!?」


「での、まぁだ初七日や納骨があるしさやかは当分はここでゆっくりして、出来たらお前さん?さやかが戻る時にはまた迎えに来てくださらんか…?」


「それはいいですけど……」


「そいでよ、都会の自分の家も大学も分からんことなってしもうたから案内してやって欲しいんじゃ。出来たら都会の大きな病院で診てもらいたいんじゃが……どうかの?」


「そんなお前さんなんでも押し付けたらいかんよ?」


「そうじゃき、他に頼れんからなぁー」


 叔父さんと叔母さんは心底困った様子だった。

 僕は彼女の今の生活の全てを知っている。

 それに彼女を立ち直らせたかった。


「喜んでお受けします。僕にとってさやかさんは大切な人ですから」


 そう言うと2人は手を取り合って喜んだ。

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