第5話  

朝もやの涼しさに目を覚さました。燃え尽きた薪の向こうで、ユノアがまだ寝息を立てている。いつの間に眠ったのだろうか・・・足の下に敷いた毛布を手繰り寄せ、口元まで引っ張っている姿は少女に似つかわしく微笑ましくもあった。

 まだ暗がりの中だったが川辺まで降り、昨日の夜より冷たい水で顔を洗う。雫が頬や額を伝って地面に吸い込まれていく。タオルで拭うのも憚れるほど心地よかった。薄く立ち込める靄は川から森へ足を延ばし、その奥に広がる雄大な山々は小さく見えるほど遠く感じた。この国を守るあの山々は、どこまで行けばたどり着けるのだろうか。この国をどれだけ知れば、この国を飛び越えられるのだろうか。

 そのうち山の向こうがうっすらと暁に染まってきた。太陽の神が今日も世界を照らし始める。祈りをささげようと膝を折った時、アネストの足元がちらちらと輝いているのが視界に入った。

 (・・・なんだこの光・・・動いている・・・?太陽の光をなにかが反射して・・・・?)

太陽の光はアネストの正面で姿を現し始めている。

(しまった!)

 反射的に振り向くと、森から出てきた2つの影が眠っているユノアにとびかかろうとしていた。

「ちっ!」

低い姿勢で走り出す。左手で靴底のナイフを取り出すためだ。2本目を取り出すのが間に合うか考える前に、ユノアの身体からバチッと青い光が放たれたのが見えた。


背後から回されたロープに手首を入れ、ユノアは毛布を蹴飛ばしながら相手の視界をふさぐ。ユノアの腹部を刺そうとしてきた相手に魔法を放つと、吹き飛んだ相手は川辺から飛んできたナイフにくぐもった声を漏らした。

「ぐっ・・・」

ユノアは背後に蹴りを振り上げたが、ロープのせいで首が後ろにつんのめり、力が入らない。

(浅かった・・・)

二発目の魔法を出そうとしたとき、川辺から戻ってきたアネストが刺されたやつの腹部からナイフを取り出すと同時に、相手が持っているナイフも奪い取った。

くぐもった声が聞こえる。男のようだ。


アネストは止まることなく足の腱を両方切りつけ、そのまま体当たりで肩からぶつかり相手を吹き飛ばすと、ようやくロープで体ごと引き上げられたユノアを正面から見直した。

襲ってきた相手はがたいがよく、ユノアの身体は簡単に宙に浮いているように見える。

(っと、相手の観察は後だな・・)

ユノアの手首がロープで擦り切れてきている。

焚き木にくべられていた木と石を掴み投げると、やすやすと片手ではじかれた。しかしその隙に木の陰から後ろに回り込む。

「くそっ」

相手の声が漏れて聞こえた。どうやら言葉は通じるらしい。

「いいのかよ、俺ばっかり見てて。」

「はっ・・・?!」

ロープを締め直すより早く、ユノアの放った魔法がやつの額に命中した。

アネストはユノアがすり抜けたロープを引っ張り、そのまま奴を縛り上げた。

(訓練されてるが詰めが甘い・・・下っ端か・・・?)

筋肉質なだけではない男の身体に、アネストがロープを一層締める。


「無事か。」

蹲っているユノアに声をかける。慣れた動作でブーツを履くと、短く「うん」とだけ答えた。

手首の傷が白い肌に生々しい。しかし本人は気にする様子もなかった。

「・・・で、お前らどこの奴だ?」

改めて二人組を見ると、腹部を刺された方の1人がどこからかもう1本のナイフを取り出していた。その顔は鼻から下が黒い布で隠されている。

「・・・はっ、用意周到なことで・・・。」

捕まえている方の男をぐっと前に出すと、刺された方の男が膝から崩れ落ちた。

「無理するなよ、その両足と腹で動いたら―――」

アネストがそう言っていた束の間、捕まっていたほうの男がブンッと地面を蹴り上げた。と同時に懐に忍ばせていたナイフでロープを切り、あっという間にアネストの腕から逃げ延びてしまった。

「武器を捨てさせないとは、とんだ詰めの甘さだな。」

飛んだ男が蹲る男の隣に着地し、抱え上げた。

先程の自分の思考がオーバーキルで自分に跳ね返ってきた。

「・・・なっ!お前らだってやり損ねただろーが!」

「あいつらに同感だわ。」

ため息とともにユノアがつぶやく。

「お、おまっ・・・!」

「武器がロープだけな訳ないじゃない。動きを封じてもいないのに捕まえただけで安心するなんて・・・」

ユノアは悪態をつきながら両手を前に突き出した。地面から空気が沸き上がる。

それを見た男は長居は無用とばかりに飛びのき、森の中へと消えていった。


「・・・何だったんだ、あいつら。」

朝から思わぬ運動をしてしまった。冷えたはずの顔が紅潮している。河の水ではなく、額から滴った汗をぬぐってアネストは一息ついた。

「・・・あなたの知り合いじゃないのね?」

ユノアは自分の手首に光をまとわせ、眉をしかめながら小さく息を吐いた。細い手首に巻き付いた光は低い音を立てながらゆっくりとその肌に吸い込まれていった。

滲んでいた血が、止まっている。

どうやら魔法は傷も癒せるらしい。

「あんな奴ら知らねぇな・・・あんまりよく見えなかったけど、あの目の色素は・・・この辺りのやつらじゃねぇ気がする。」

アネストが川辺に居たからなのか、そうでないのか。そもそも一番最初に狙われたのはユノアの方だった。寝ている隙に襲えばよかったものを、なぜアネストが起きてから襲ったのか・・・。アネストが離れるのを待っていたのか、そうするとやはり狙われたのはユノアなのか・・・。

「なぁ、あいつら・・・」

そう言いかけるとユノアは、何も答えないまま荷造りを終えたリュックを背負った。

「あ、おい!」

アネストは慌てて追いかけるしかなかった。



朝日に輝く図書館の外装もまた美しかった。重厚な黒い壁が、突き抜ける青空を映えさせる。神々と神獣がずらりと並んだ正門は、いつ見ても圧巻だ。

「アネスト様」

声をかけてきたのは昨日とは違う妙齢の女性だった。

「司書長。朝早くから厄介になる。」

栗色の長髪を高い位置で一つに束ねているこの司書長は、アネストが軽く頭を下げると慌ててひざを折った。

「お、お待ちくださいアネスト様。このような場所でそのように頭を下げられては・・・!」

両手を伸ばした司書長と視線が合うと、目だけでアネストはユノアがいることを訴えた。訝しげにユノアを見た司書長は、仕方なくゆっくりと立ち上がった。

図書館の中では司書たちが数名いるだけで、村人の姿は一人二人見える程度だ。

「どちら様でしょうか・・・?」

遠慮がちに司書長が尋ねてくる。当のユノアは難しい顔のまま、また図書館を見上げていた。

「旅の連れだ。気にしないでいい。昨日も館長に伝えたが―――」

「アネスト様個人でのご訪問とか。お調べ物だそうですね・・・レガーから聞いております。こちらへどうぞ。」

正門の脇にたたずむ扉を開けると、うす暗い通路になっていた。無言のままユノアもついてくる。廊下の壁には、朝になり消されたばかりの蝋燭が並んでいた。煙が細く伸びていく様に、アナストはなんだか懐かしい気持ちにさせられた。

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寶玉の王子と神々の虹色 @ruri-zombi

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