第4話 窓枠の中・・・3
行き場のなくなった右手を隠すように腕を組むと、アネストは声を張り上げた。
「魔法使いだなんて聞いてねぇぞ!」
レマはほっと胸をなでおろすと、ユノアの手を引いて近づいてきた。当のユノアはまだオレンジを味わっている。
「あら、でもそれはきっと大丈夫ですよと申し上げたではないですか。」
「は?!」
反射的に声を返すアネストに、仕方ないなとでも言いたげにレマはため息をつく。
「私が先程、きっと大丈夫ですよと言ったのはこのことですよ?ユノアは腕が立つんです。」
そう言ってふわりと笑って見せる。
「じゃあ一人で旅できるだろーが!」
どがっと座り込むと地の草をこぶしでたたいた。
くそ、喉が渇いてきた。
自分でも拗ねているだけなのは分かっていた。相手を異国から来た女の子というだけで、鍛錬を積んでいる自分よりは弱いだろうと決めつけていた。いや、それ以外の可能性など頭に浮かばなかった。相手の力量を完全に見誤ったのだ。それを『聞いていない』で済ませてくれる敵など、いるはずもないのに。
こんな言い訳、クオに聞かれたら呆れ散らかされる。
「こんなかわいい女の子が“魔法使い”だなんて、どんな悪いやつらに狙われることか・・・」
「それは俺がついてたって同じことだろ・・・」
また同じ文句だ。ひねりがない。言葉の幼稚さに自分でも赤面する。
「ユノアはちょっと世間知らずというか・・・この国になれていませんし。何より・・・」
そろそろ限界な予感はしていた。レマは決して甘くない。アネストの言質は捉えるし、通したい事があれば相手の隙を逃さない。
「自分で身を守れる力があって、ユノアが行きたいのであれば、連れて行ってくださるんですよね?」
まさか王子に二言はありませんよねと、幻聴が聞こえるようだった。アネストはまた同じ個所をガシャガシャと掻いて、前髪をぎゅっとつかんだ。
すべて自分の浅はかさが招いた結果だ。
通り抜ける風の精がアネストの首元を冷やしてくれる。くすくすと嘲笑が聞こえたが無視をした。
仰ぎ見る空はどこまでも青い。今日は漂う雲もいつもより遠く感じ、長い時間をかけてこの国を見渡して回っているようだ。お前にはできねぇことだろうな、と太陽の神エディが絶え間なく輝いている。
そうだ、神々が俺のことを見ている。だらしないことは出来ない。
さっきより軽くなった腰を上げ、ユノアを見ふえた。
「アネストだ。目的地の分からない旅をしている。本気で一緒に来るか。」
身体はそっぽを向いていた。自覚はなかったがアネストの照れ隠しだった。
「うん。」
それだけ答えたユノアは、アネストには目もくれずレマに向かって何度も感謝を告げていた。
――――――
ユノアはレマが言っていた通り寡黙だった。川沿いを歩いているときも何も言わずアネストの後ろをついてきたし、街中に入ってアネストが国民から頭を下げられていても特に何も言ってこなかった。
日も暮れたころ、アネストが目的としていたこの国最大の図書館にたどり着いた。
「こ、これはアネスト様・・!」
慌てて出てきた館長が両膝を折って両手を組んだ。
「突然済まない館長、今日は俺個人で伺っただけなんだ。どうか顔を上げてほしい。」
ユノアは後ろで図書館の大きさに圧倒されている。見上げる限り施された彫刻の壁。木とレンガが混ざり合った構造の建物は、始まりの戦争より前から建っていたという話だ。
「は、はぁ・・・」
おずおずと立ち上がった館長はユノアをちらりと見たが特に触れてこなかった。
「ちょっと調べ物をしたいんだが・・・」
そう言いかけたが、建物の奥で司書たちが明かりを消しているのが見えた。
「今日はもうしまいか・・・」
街ゆく人並みもまばらだ。敷かれたレンガが街灯の炎を淡く反射している。
「お調べ物ですか・・・?アネスト様でしたらいつでもお使いいただいて結構ですよ。今明かりを・・・」
「ぁ、いや、いいんだ。明日また出直そう。」
奥に入りかけた館長が振り向く。
館長には子供が2人いると昔言っていたか・・・初めて会った時よりずいぶんふくよかになった。薄暗い館内で本を読んでいるからか、ずっとつけている丸いメガネがこめかみに食い込み気味だ。
よろしいのですか?と恐る恐る尋ねる館長を右手で制し、アネストはマントを翻した。相変わらず建物を見上げているユノアを呼ぶ。
「おい、ぼうっとしてないで行くぞ。」
その声に従順についてくるが、視線は図書館にとらわれたままだった。
レマからもらった幾何かの食料と、市場で買ったものを食べるために川辺まで戻ってきた。河から少し離れた森の下で木をくべていると、ユノアが人差し指をそっと近づけた。
薪の下の方からちりちりとくすぶりだした炎は、あっという間に大きくなっていった。
「・・・便利だな、お前。」
木のはぜる音と、鼻腔の奥をついてくる焼けたにおいが心を穏やかにする。顔に当たる熱も今は瞼を閉じさせるような安らぎを与えてくれた。
木の串に干し肉や魚を刺して焼けるのを待つ。背負っていたリュックからご丁寧に敷物を出して、座り込んだユノアがやっと口を開いた。
「ねぇ・・・あなたって偉い人なの?」
一度も聞かれたことのない質問だった。思わず目が見開かれる。
「・・・いや、俺自身が偉いわけじゃ・・・」
「じゃあどこかの御曹司?みんなあなたをアネスト様と呼ぶじゃない。」
御曹司・・・ある意味間違ってはいない。しかしアネストのことを見ても王子だと分からないということは、異国から来たというのは本当らしい。
隣を流れる河の音が優しく響く。その水の冷たさまで伝わってきそうだ。
「・・・まぁそんなところだ。」
ごまかすと怪訝そうにユノアが見つめてきた。
「レマさんが、あなたに付いていけば心配ないって言ってたけど・・・そんなに顔がきくの?」
道中に聞けばよかったものを。あんなに無口だったのになぜ今になってこんなに質問してくるのか。
「俺の顔が広いわけじゃない。親が・・・先祖が偉かっただけだ。」
手持無沙汰になり肉の串を回す。当然まだ焼けてなどいない。
「お前こそ、誰を探しにこの国に来たんだ。この国に移民はほとんどいないぞ。」
苦し紛れに振った話だったが、ユノアを黙らせることには成功した。
この国は四方を高い山々に囲まれているため、山を越えてまで入国してくる人はほとんどいない。そもそも他国に侵襲されない、それが戦いの神シャローとの約束だ。
「・・・約束しているの。顔も名前も知らないけど・・・会いに行かなければいけない。」
「は・・・?」
思わずユノアのことを凝視した。その目は伏せられ、たき火の炎をも見ようとはしていない。地の土を、川岸から混じる石たちを見ているのか。
この広い国で名前も顔も分からない人を探すのは、この土から一つの雪結晶を探し出すようなものに感じられた。
「顔も名前も分からないやつをどうやってみつけるんだ。手がかりくらいあるんだろうな。」
語気がつい荒くなる。こんな小さい体で、一人きりで、なぜそんな途方もないことを。
「分かる。見れば分かるの、この人だって。」
「見れば分かる?なんで言い切れる・・・」
膝を抱えだしたユノアをこれ以上問い詰めるのには、心が痛かった。
「・・・あなたも珍しい髪の色をしているのね。」
足の裏をさすっていたユノアが、膝に頭をゆだねてアネストを眺めた。
「あ、あぁ・・・やっぱりお前の国でも、珍しい髪色か?」
しかしその目はすぐにまた伏せられた。ため息をついたユノアの顔が、次第に歪んでいく。
「・・・お前、もしかして足痛いのか?」
ぴくっとユノアの肩が揺れた。アネストは立ち上がると、その足を取り靴を脱がせた。
「ちょっと触らな・・・!」
抵抗しようとしたが、その痛さに言葉が途切れた。
ふくらはぎは硬く張り、足底の皮がむけ血がにじんでいる。
「な、いつからこんな事に・・・なんで早く言わないんだよ。」
勢いよく足を引っ込ませられる。また陶器のような肌が赤く染まっているのは、炎に照らされているからだけではない。暗くてはっきりとは見えないが、ところどころ傷があるようだ。
ぐっと噤まれた唇は、春に咲く花びらのように色づいている。背けられた目が、悔しそうに細められた。
「・・・山越えの時にしくじったのが、開いただけ。それに・・・自分の身を自分で守れないやつは、連れて行かないんでしょ。」
アネストの口は重力にだらしなくぶらさがった。
意地を張って放った言葉を、またこの子も意地で・・・。
「それで歩いているとき無口だったのか・・・?」
目を背けたまま口を少し尖らせ、膝小僧をするっと撫でた。
「歩くの早いなんて、言いたくないし・・・追いつくのに必死だったから。」
不思議と頭を掻く気にはなれず、代わりにため息が出た。マントの裏地をナイフで引き裂いて、河の水に付ける。やはり夜になるとかなり冷たい。ひたひたになった布を絞って、ユノアの元まで戻った。
「立てるか?傷口は一度洗った方がいい。冷たいけど我慢しろよ。」
手を引くと思った以上に軽く、ユノアの踵が宙に浮いた。驚いて思わず手を離す。ユノアは引っ張られた腕をさすって、歩けるとだけつぶやいた。しかし血のにじむ素足でこの石だらけの川岸を歩かせるのは酷だった。
「・・・運んでもいいか?」
一応気を遣って確認をする。女性を運ぶときは慎重にと母セラヴィからきつく言われていた。甲斐甲斐しくひざを折り、手を差し伸べた方がいいのだろうか。しかしここはお城ではないし、ユノアはアネストが王子であることに気づいていない。
「は、運ぶってどうやって」
明らかに警戒しているユノアを見下ろして、まぁいっかと思考をやめた。左腕にユノアの腰を乗せるとその体は軽々とアネストに抱き上げられた。
「ちょ、ちょっと何よこの恥ずかしい体勢・・!」
「黙って運ばれろ。お姫様抱っこにするぞ。」
「やっ・・・」
その後も、触らないでと黙っていろの押し問答が夜の森に響き続けた。
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