第三話(令和二十年)

 定年を迎えたのを機に、福島の田舎に引っ越した。平成二十三年の大地震からすっかり復興を遂げた浜通りは、冬でも雪が少なく住みやすい場所だった。


「そろそろ来るのか?」

「さっき高速を降りたって言ってたから、もう来るんじゃないですかね」

 昭子がそう言い終わったのを見計らったように、玄関の引き戸がガラガラと音を立てた。

「じいちゃんばあちゃん、来たよ!」

 手にタブレット端末を持った令次れいじが駆け込んでくる。

「お、来たか」

 両手を広げて待ち構えたが、令次は目もくれず一目散にソファに駆け上った。すぐにタブレットの画面に目を落とす。

「令次! じいちゃんたちにちゃんと挨拶したのか?」

「したよ」と顔を上げずに答える。

「じゃあ、手洗いうがいして来い」

 令次は舌打ちをすると、「いまいいところなのに」と名残惜しそうにタブレットをテーブルの上に置いて洗面所に消えた。

「すみません、お義父さん」と翔平の嫁が申し訳なさそうな表情を浮かべる。「最近はタブレットでゲームばっかりで……」

「そういう時代なんだ。仕方ないさ」と私は笑った。


 昭子たちが夕食の準備に取りかかり、翔平がテレビで野球を見始めると、私は手持ち無沙汰になった。黙々とタブレットに見入っている令次を見て、ふと不思議に思った。ゲームをしているという割には、画面を睨みつけているばかりで手を動かそうとしない。

「令次は何のゲームをしているんだ?」

「チェスだよ、チェス」

 その返事に、心臓がどくりと大きく波打った。

「……チェスって、あのチェスか?」

「時代は繰り返すって言うの? 古き良きボードゲームがいま人気なんだってさ」と翔平がテレビを見つめたまま言う。

 令次が持つタブレットを覗き込んだ。カラフルな装飾や不自然なほど目が大きなキャラクターが脇を飾っていたが、チェス盤も駒も、私が知っているものと変わらなかった。


 私はどこか晴れ晴れとした気持ちで二階に上がると、クローゼットから大きくて重い箱を取り出し、リビングへと戻った。

「令次」

 相変わらず顔を上げない孫に向かって続ける。「おじいちゃんの宝物を見てくれないか?」


 ピロン。メッセージの着信を知らせる間の抜けた音が、時代遅れな携帯電話から鳴った。




 令和二十年。六十七歳の夏の話だ。

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