第14話:新天地
「ここ……ですか?」
じめっとしたにおいが鼻をつく。目の前の雑居ビルは直射日光が当たらないのか、ところどころ苔が生えている。壁の塗装はほとんど剥がれており、排水管に入った亀裂も深い。地震が起きれば簡単に全壊してしまうだろう。一階部分の看板も錆びついていて、店名が読み取れない。「GA E」というアルファベットがプレートで埋め込まれているが、おそらく三文字目の「M」は落ちてしまったと推測できる。店内を覗くと、数台のUFOキャッチャーと二張の太鼓が目についた。
つまり、ここはゲームセンターだ。
「責任者を呼んでくる、ちょっと待っていろ」
「え、あの」
置き去りをくらい、棒立ちになる。
わたしはこれまでの人生で、ゲームセンターに行ったことがない。デパートの隅にあるゲームコーナーや修学旅行で泊まった旅館の遊戯室なら訪れたことはあるが、お金がなかったので友達がプレイするのを横で眺めていた。
保護司さんが店から出てくる。横には、赤いジャンパーを羽織ったポニーテールのお姉さんが並んでいる。
「この女が、これから君がお世話になる店の店長だ」
「あなたが鬼形さんね? あたしが『この女』こと店長です。よろしくね」
手が差し伸べられる。迷いのない、堂々とした振る舞い。わたしは逡巡の後、ゆっくりと手を握り返す。
「お、鬼形香火です。これからお世話になります」
「こちらこそ。ちょうど人手が欲しかったところだしね。ミモリちゃんの頼みとあっちゃ断れないし」
からからと陽気に笑う。屈託のない、見ていて気持ちのいい表情だ。
年齢は二十代後半くらいだろうか。メイクは最低限しかしていないものの、かなり美形で男装でもしたらコアなファンがつきそうだ。太い眉もガサツな印象を与えることなく、むしろチャームポイントに思える。彫りの深い顔つきと豪快な挙動は、ゲームセンターよりも工事現場や漁船が似合いそうだ。あと、布越しにでもわかるほどにおっぱいが大きい。これは保護司……ミモリさんにも言えることだけど。
「お二人は知り合いなんですか?」
「知り合いというか、命の恩人かな」
「命の恩人……ですか?」
「この辺にショッピングモールがあったのは知ってる?」
あまりお客さんが来なくて、いつ閉鎖してもおかしくないと噂されていた気がする。そういえばわたしが入所する直前に映画館が完成した記憶が。
「あそこでちょっと前に怪人が暴れる騒ぎがあってね。ちょうどその日は休みで服を買いに行こうとしていたんだよ。そしたらモールの前にいたミモリちゃんがいきなり『今は入らない方がいいぞ』って話しかけてきたの」
びっくりしたなあ、と話す店長は、友達との思い出を語るようだった。
「怪人よりもミモリちゃんが怖くて、出直すことにしたの。だって出入り口で仁王立ちしてるんだもん。他に寄りたい店もあったしね。そしたら直後にまさかの四堕羅襲来だよ」
「よ、ヨンダラー、ですか?」
「四堕羅。魔王軍の大幹部だよ。たまたま居合わせたヒーローが退治したらしいけど、現場に居合わせたお客さんでPTSDに診断された人が続出したって話。あの時ミモリちゃんが警告してくれなかったら、確実に巻き込まれてたよ」
なぜミモリさんはそんな忠告をしたのだろう。まるで、これからモール内で何が起きるか知っていたみたいだ。
「たまたまアルケニーがモールに忍び込む瞬間を目撃していてね」
よくわからないが、二人はそれをきっかけに交流を持つようになったらしい。そしてその時の恩返しが、わたしへの住まいと仕事の提供というわけだ。
「では私はこれで失礼しよう。たまには様子を見にくるから安心しろ」
そう言って、ミモリさんは颯爽と車に乗ってしまった。
「じゃあとりあえず、荷物置こっか?」
「は、はい」
気になることは山ほどあるが、まずは目の前のことを一つずつ。仮釈放中は誠実に、真摯に、ひたむきに、まじめに過ごさなければ塀の中に逆戻りだ。こっち側の世界では、どんな辛い体験も必ず将来の糧になる。
これまでの人間関係も、信頼も、希望も、すべてを失ったわたしに恐れるべきものはない。
ただ、一点を除いては。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます