第1章:正義も、悪も

第1話:怪人のお仕事(人事課の場合)

 なかなか決まらないな、次のターゲット。


 テーブルに所狭しと並べられたリストを眺め、僕は学ランのホックを外しながらため息をつく。ソファに背中を預けると、革がぎゅっと小さな悲鳴を上げた。マグカップを取り口元で傾けるが、一向に液体は流れてこず、コーヒーの香りが鼻孔を優しくくすぐるだけだった。とっくに中身は飲み干しており、この動作をするのはもう五回目だ。新しいコーヒーを飲みたいのだが、粉末はあってもお湯の調達ができない。

 この部屋には加熱器具が皆無である。リサイクルショップで手に入れたIHコンロは、買ってすぐに壊れてしまった。


 さっきフェニックスが立ち寄った時、もう一杯コーヒーを作ってもらえば良かった。あるいは羽の一本でも拝借していれば、延々と燃え続けるから焚火の代わりになったのに。


『俺の不死の炎は、戦いで傷ついた仲間を癒し、命に灯を与えるためのものだ。家電の代用品扱いなんて言語道断だぜ。テメエが赤の他人なら、今すぐ俺の業火で焼き尽くしてあかの他人にしてやるところだ、ケケ』


 なんて怒られるかもしれないが。それでも結局、毎回お湯を提供してくれるんだけど。

 

 近々出所予定の暴行犯、いじめを受け自殺未遂した女子高生、旦那の両親から奴隷のように虐げられている主婦、元警察官のインテリヤクザ……。どれも素質は充分なのだが、いかんせん情報が不足している。情報化社会とはいえ、このご時世に特定個人の情報をいち高校生が仕入れるのは容易ではない。

 

 もちろん、上に頼みこめば方法はいくらでもあるのだが、これは僕の仕事だ。やつらに借りは作りたくない。


「今回はずいぶんと苦戦しているようだね、課長くん」


 テーブルを挟んだ向かいのソファにうつ伏せになりながら、くぐもった声を投げかけてきたのは、他部署の同僚である。


「手伝うつもりがないなら、さっさと帰ってくださいよ。集中できません」

「仕事の妨げになるほど、私は魅力的かい?」


 クッションに埋めた顔をこちらに向け、意地悪く笑う。

 動揺を悟られぬよう、僕は床に落ちたリストを拾う振りをして、ゆっくり顔を背けた。


 彼女の名はミモリ。それが本名なのか、コードネームなのか、怪人としての真名なのかは知らない。人間でいうなら、見た目は二十代中盤といったところか。購入したばかりのIHコンロを壊したのは、この女である。稼働中の機器のコンセント部分に、あろうことかカフェオレをこぼしてしまったのだ。この人は働かないどころか、いつも邪魔ばかりする。


 ミモリの外見を一言で言い表すなら、人間離れした美しさ、だろうか。別に角や翼が生えていたり、足が十本あったりするわけではないが、人間とは根本的に放っているオーラが異なるのだ。肩からこぼれるラピスラズリのような深青の髪は、身につけている黒のカチューシャにも負けない艶を放っている。くっきりとした目鼻立ちは意志の強さを体現しているようで、実際彼女が謝ったりしょげたりしている姿を見たことがない。眉は細くきりっとしており、ちょっと怒られただけでも二割増しで申し訳ない気持ちになる。いつもポンチョを纏っているものの、胸の膨らみや腰のラインにはメリハリがあって、プロポーションはモデル顔負けだ。もしや下は全裸なのではと疑ったこともあるが、基本ノースリーブとタイトスカートである。ストッキング、カチューシャ、ポンチョ、衣類に装飾品はすべて黒で統一されており、まるで闇の使者だ。実際そうなんだけど。


 ここはマンションの一室だが、れっきとした魔王軍の支部である。


 僕は魔王軍人事二課の課長という役割を担っている、正真正銘悪の手先だ。表向きはただの高校二年生だが、学校に提出しているここの住所は、秘密基地なのだ。


 七年前、僕の両親は目の前で怪人に殺された。


 そのまま僕も殺せば良かったのになぜか拉致られて、あろうことかこの歳まで育てられてしまったのだ。洗脳教育のようなものも受けたし、特に倫理学は重点的に教えられた。


 七年に及ぶ魔王軍の懸命な子育ての結果、


 正義は滅べ!

 悪よ栄えろ!


 ……という思想には至らなかった。


 それほど虐げられることもなく、食事や風呂もしっかり与えてくれ、高校にも通わせてもらっている。彼らはいわば親代わりのようなもので、恨みはあるものの感謝もしている。


 衣食住の提供は、もちろん罪滅ぼしなどではない。

 代わりに、僕には特別任務が課せられている。


 それは、怪人を発掘すること。


 世にはびこる怪人たちは、ボウフラや細菌のように自然発生するものではない。明確な悪意によって生み出される。

 病院で看護師に優しくしてもらった小さな子どもが同じ仕事を志すように、怪人という「職業」も、悪意に感化され、飲み込まれ、飲み込むことによって誕生する。僕は看護師役として、人に悪意の種を撒くのである。


 これをなぜ人間の僕がやるのかといえば、怪人化した元人間に自我が残っているケースはほとんどなく、自分で考え、対話をするだけの知能が残っていないからだ。ゆえに僕のような、特殊な事情を抱えた人間が怪人側につき、知恵と勇気を絞って対象を「堕落」……闇墜ちさせるというパターンも存在する。そして誕生した怪人は街で暴れ回り、やがて駆けつけたヒーローによって撃退される。世の中はこの繰り返しだ。


 僕は未成年とはいえそれなりの成績を収め、三か月前からは人事二課の課長という重責を与えられ、このマンションの一室をあてがわれた。新事務所のため、ここのスタッフは僕一人である。そもそも人事二課自体、組織改編に伴い税金対策として生まれたものなので、今後部下ができる予定もない。


 六畳のワンルームというスペースは決して広くはないものの、この部屋には冷蔵庫、コピー機、洗濯機、ノートパソコン、ソファにテーブルと必要なものは一通り揃っており、高校生の一人暮らしと考えれば充分すぎるくらいだ。友達や彼女を呼ぶつもりもないし(そもそもいないし)、寝る時はソファで横になればいい。


「だからあなたが来ると狭くて狭くてしょうがないんですよ」


 この黒装束の女は、僕の仕事部屋にいつも入り浸っている。本社にいた頃は廊下ですれ違っても会釈すらしなかったのに。

 

 仕事を手伝うわけでもなく、雑誌を読んだりお菓子を食べたりして、たまにちょっかいをかけてくる。はじめは監視役かと勘繰ったが、おやつの後に爆睡するようなスパイはいないだろう。

 

 ミモリはテーブルに散らばった紙の一枚を手に取り、仔細を読み上げる。


鬼形香火おにがたこうか。当時:英都えいと大学二年生。痴情のもつれからサークルの先輩を路地裏で暴行し、殺人未遂で起訴、懲役三年の実刑。初犯の割に重いが、順調にいけば一か月後に仮出所か。他は声優の卵にキャバ嬢にバツ三の毒女……君はつくづく女好きだな」

「隙を見つけやすい人をピックアップしたら、たまたま女性だっただけですよ」

「隙のある女を狙う、と。フレーズだけ聞けば、ナンパ師のようだな」

「ナンパどころか、女友達すらいませんよ」

「ならば練習に私を口説いてみるか?」


 僕の隣に移動し、蠱惑的な上目遣いで見つめてくるミモリ。顔が近い。口から漏れた吐息が僕の首にかかる。太ももに温もりがあると思ったら、彼女の細く小さな手が乗っていた。


「魔王の愛人をナンパする馬鹿がどこにいるんですか」


 ミモリの手を払い、僕はわざとらしくうんざりした顔をする。


「僕は軍に雇われている身、もっと言えばさらわれているんです。社内恋愛、しかも不倫なんてご法度ですよ。追い出されるだけなら構いませんが、拷問なんて御免ですからね」


 実際、規律違反を犯した同僚が八つ裂きにされたり大型怪人のエサにされたりした光景を何度も目撃している。


「つまらん男だ。だが、確かにあいつは意外と嫉妬深いからな」

「魔王の女を寝取るなんて、ある意味勇者ですよ」


 仕事もロクにしない、美貌だけの女がどうして魔王軍にいるのかといえば、その美貌を武器に第九十九代目魔王の愛人となったからに他ならない。

 魔王とは、企業でいうところの社長だ。社長は日夜会合に出たり、新事業の準備に東奔西走したりするもので、会社にいることはほとんどない。つまり、ミモリは一日の大半を持て余しているのである。

 魔王の女が僕のもとへ足しげく通うのは単なる暇つぶしか、それとも別の目的があるのか、理由は知らない。訊きたいとも思わないし、素直に教えてくれるはずもないだろう。今は、単なる物好きのお姉さんとでも捉えておくことにする。


 僕をからかうことに飽きたのか、ミモリは隣に腰かけたままスマホでテレビを観始めた。


 ようやく仕事を再開できる。早いところ次のターゲットを選び出し、交友関係の調査やら怪人の発注やらに移りたいのだ。今期の数字目標は今のところ問題なく達成できそうだが、新事務所に移ったとたんに数字が下がってしまうのは心象的にも良くないし、変なサボり癖がつきそうで怖い。

 だが一度途切れた集中力を取り戻すのは容易なことではなく、僕の耳は、ついつい隣のテレビの内容を拾おうとしてしまう。


【先日の消費税十五パーセント法案の採決で乱闘中に転倒し、入院していた野党の松森氏が今日退院しました。報道陣に対し松森氏は『あんな強行採決が認められるなんて、先進国の議員として到底許せるものではない。阿藤総理こそ真の大魔王だ』とコメントし……】


【女性を美しくするエステティシャン。美味しいパンを焼くパン屋さん。子どものために毎日頑張るパパとママ。『人は誰だって、ヒーローになれる。』~全国英雄振興協会~】


 チャンネルを切り替えるたびに、正義あるいは悪を押しつける言葉が次々に流れてくる。うんざりだ。こんな濁流の渦中のような世界で、自分の価値観など確立できるのだろうか。


【十一位は、花村ちぐさで『キミが好きだよ♪~LOVE ME FOREVER~』。デビューから九作続いていたシングル曲初登場トップテン入りの記録がここで途絶えました。今週は女性シンガーの新曲のリリースが多かったということもありますが、やはり栄枯盛衰といいますか、時代の変化を感じますね~。

 同時発売の写真集も、若手の勢いに押されてか、初動は過去の二冊に比べるとだいぶ落ちているみたいです。ぶっちゃけ俺も、今回の写真集は買ってないんですよ。なんかもう一捻りほしいというか、もうすぐ十八歳を迎えるわけですし、ここで一皮剥けてくれないかなって期待もありますね】


 最近始まった、MCの辛口コメントが売りの音楽番組だ。こんな風にトップテン圏外だけじゃなく、第一位のアーティストにまで無理やり噛みついて、それが妙に的を射ているということでじわじわ人気を集めているらしい。このMCの本業は投資家で、「金は腐るほど持っているから、芸能活動は完全に趣味」と公言しており、はじめはアンチも多かったが、現在では素人代表のご意見番として、あちこちの番組に引っ張りだこだ。


 今回ディスられた十一位の女も、完全な叩かれ損である。これが歌手やアイドルならまだ仕方がないのかもしれないが、彼女の本業はヒーローである。


 花村ちぐさ。


 当時十五歳でデビューし、史上最年少女性ヒーローとして脚光を集めた。当然メディアが放っておくはずもなく、「美しすぎるヒーロー」として、アイドルのような扱われ方をしてきた。歌手デビュー、写真集、CM、レギュラー番組、握手会、ハイタッチ会、始球式、一日警察署長エトセトラ。


 国も味をしめたのか、花村ちぐさ以降、若手女性ヒーローの発掘に注力するようになった。  


 現在では百を超えるティーンヒーローが偶像的活躍をしている。そのあおりを受けてか、近頃の花村ちぐさはだいぶ「落ち着いて」いるらしい。一時期はホテルを転々としていたというが、今なら実家で毎日ゆっくり睡眠をとることができるだろう。


「そんなにこの子が気になるか?」


 ミモリの言葉で、はっと我に返る。いつの間にか食い入るようにテレビを観ていたらしい。


「……いえ」

「『もしも花村ちぐさが同級生だったら』なんて妄想を、どれだけの男子がしただろうな。夏服、ジャージ、スクール水着、文化祭のコスプレが拝み放題。さぞ毎日がバラ色だろうな」

「この子はアイドルじゃなくてヒーローですよ」

「関係ない。確かにヒーローとして一定の活躍を収めているのかもしれないが、肩書きは自称ではなく他称によって確定する。アイドルヒーローという存在は、『会いに行けるアイドル』よりも身近で、強さと美しさを併せ持っている。何よりやつらは人類の味方だ。ファンを、国民を、ないがしろにもできず、好意の受け取り拒否はできない」

「ずいぶん辛口ですね。あのMCより」

「私は危惧しているのだよ。こんな商売を続けていたら、いずれしっぺ返しがくる」

「商売と言い切りましたか」

「違いないだろう? 私たちと同じように」


 ミモリはスマホを置き、僕に向き直る。くっきりとした二重瞼は、彫刻刀で彫った芸術品のように滑らかな線を描いている。アーモンド形の瞳は吸い込まれそうなほどに澄んでいて、真っ黒で、吸い込まれそうに、引き込まれそうに、飲み込まれそうになる。


 僕たちがやっているのはいわば「怪人ごっこ」だ。本気で世界を支配しようなんて考えちゃいないし、むしろ面倒くさいくらいだ。同僚がヒーローに殺されたって悔しくなんかないし、むしろ当然の報いだとさえ思う。僕だっていずれ不幸な死を遂げるに違いない。


「その時が来たら、潔く自決する覚悟くらいはありますよ」


 僕はいわば裏方なので、ヒーローと直接対決をしたことがない。命がけで戦う彼らの雄姿を目の前にしたら、少しは考えも変わるかもしれない。でもそんな時は今後訪れることはないだろう。いくら「ごっこ」とはいえ、こちら側も本気だ。魔王様と直属の四天王が本気を出せば、この国を壊滅に陥れるだけの力は持っている。


「万が一ヒーローと同級生になることがあったら、逆に親友になれるかもしれませんね」


 この翌日、花村ちぐさが僕の通う高校に転入してきたと知った時、思わず笑ってしまった。

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