第37話 夢が叶うまで……地道に


 十一月終盤の冷たい川水がぱちゃぱちゃと岩を叩く。俺は河原にチアキを呼び出していた。


「ゴメン。俺、好きな人がいるんだ。だからチアキの気持ちには応えられない」


 真っ直ぐに彼女の瞳を見つめながら、俺は正直な想いを伝えた。

 彼女との間に、今まで訪れたことのないような沈黙の時間が流れる。


「…………チアキ」


 口を閉ざしたままの彼女の名前を呼ぶ。


「……はぁー!! 夢を追いかけてる人ってのは、そんなに素敵なのかなぁー!!」


 突然、河原に反響するくらい大きな声でチアキは叫んだ。


「ユメだけにってか? どうなんだいお兄さんよ」悪人面で俺の肩に肘を乗せようとしてくるが、背が小さいので届かないらしくエルボーをキメてきた。


「痛えな! いきなり何すんだよ!」


 仰け反りつつチアキを睨み付ける。彼女の瞳は儚げで、何処か痛々しい表情をしていた。


「……二人は、もう付き合ってるの?」


「……いや」


「あたしをちゃんと振ってから、ユメちゃんに告白するってこと?」


「……まだそういうアレではないんだけど……気持ちはもう決まったから」


「……ふうん、真面目だね。でも、そういう人って社会出てから苦労すると思うよ?」


「チアキはどうして欲しかったんだよ」


「ダメだったときの保険としてキープしてもらうんでも良かったんだけどなぁ……って。ほら、あたしって慰め上手な大人の女だし?」


「……そういうこと、あんまり言わないほうがいいぞ」


「……それでも良いって思うくらい、アオハルのことが好きなんだよ。わかってよ」


 声が少しだけ震えていた。それがチアキの心の叫びなのだと思った。人の良い彼女のことだから、いくらでも善人面が出来たはずなのに。


「ま、でもあたしを振ったことは覚えといたほうがいいよ」


 石橋の上をコツコツと歩き、チアキはくるりと身を翻した。


「だって、アオハルは今に絶対後悔するんだから!」


 俺が好きなチアキらしい表情で彼女が言った。


「……最後に一つだけ聞いても良い? あたしから告白されて……迷惑だった?」

「嬉しかったよ」


 俺は素直に応えた。するとチアキは今まで見たことがないくらいに困った表情で、

「そういうの、ずるいっ」と笑みを浮かべた。


「いーい? 見てなさいよ、大学生になったら身長一七〇越えのGカップ美女になって世界征服するんだから。世の中のイケメンなんて全員あたしのもんよ……だからアオハルも頑張ってよ。夢……叶えるんでしょ。……応援、してるから」


 胸に小さな拳を押し付けられる。マンガやアニメで良く見る友情溢れるあのシーンだ。


「あの……待って。リアルでこれは恥ずかしくね?」


「…………ドゥクシ!」


「小学生男子か!」


「あ、それからフラれたら連絡してね。あたし十年くらいなら待てるから」


「なんか色々台無しにしたなおいっ!」


 ペロッと舌を出して、チアキは走り去って行った。


 * * *


 放課後の教室で、チアキが俺のスマホをじっと見つめる。画面には俺の小説のイメージイラストが映っている。


「……それで、このイラストを一緒の新人賞に提出したんだ」


 今回提出する新人賞には小説部門とイラスト部門がある。ユメの描いたイラストが俺の小説のイメージだということは選考員の誰もが知らない。


「ユメちゃんって本当に上手なんだね! もう普通にプロじゃん!」


 椅子に逆向きで座りながら、スマホの画面をじっと見つめるチアキが言った。


「ふふ、ありがとう」チアキと同じように俺の席に椅子を寄せるユメが照れ笑いを浮かべる。


「そうだろうそうだろう」頷く俺。


「なんでアンタが自慢げなのよ」


「だって相棒だもん。自慢だよ」


「むず痒くなるからヤメロ。それにしても……アオハルが小説を書くなんてなあ」


 印刷してきた俺の原稿をぺらぺらとめくりながら、眉根を寄せるチアキ。


「…………凄いなぁ」


 彼女の口からそんな言葉漏れた。……嬉しい。


「あれ、そういえばなんだっけあの、ほら……イケメンツーサイドアップ、じゃなくて……」


「なんだよその最高に気持ち悪い野郎は……サイドカーだろ?」


「ああそう。あの厳つい人との勝負はどうなったの? 負けたんでしょアオハル。そしたらユメちゃんはイラストを描くんじゃなかったっけ、その人のためだけに」


「ためだけにって言うな」大事なことだから強調しておいた。そして内心焦る。ユメが普通に俺の作品のイラスト作業を進めていたから、ほとんど忘れかけていた。


 隣のユメに視線をやると、彼女はくすりと笑ってから、答えた。


「約束はしたけど、条件付きだよ。……アオハルがデビューして、わたしがその作品の担当絵師になれてからだったら、いくらでも描きますよって」


「な……なんだよ……」一気に肩が軽くなる。


「だってアオハルが全然聞いてくれなかったんじゃん!」


 その節は本当に申し訳ありませんでした。


「……アイツに、俺を励ましてやってほしいって言ったんだってね」


「うん。そしたら凄く親身になって話を聞いてくれたよ。サイドカーさんもね、昔は新人賞にたくさん応募してたんだって。だから、アオハルの気持ちは凄くわかるって言ってた」


「……そうだったんだ」


 近年では珍しくもないネットから小説家になる奴らを、俺は勝手に見下していた。その作品が本当に面白いものなのか自ら目利きすることもせず、偏見だけで批判していたのだ。


 勝負した相手の落選作品にまで口出しをしてくるようなお節介男が、マグレで小説家になった? そんなわけがない。きっとアイツは俺なんかよりもずっと努力をしてきたんだろう。だけど、それでも……一握りの中に選ばれることは無かった。


 彼はウェブ小説の世界に足を踏み入れた。きっとそこではウェブ小説ならではの生き抜くための術や、目を惹く為のノウハウが必要だったはずだ。どれだけ頑張ったのか、それはサイドカーにしかわからない。


 その努力の末に――彼はようやく手にしたのだ。望んでいたものを。

 ――なんだ、俺と同じじゃないか。


 今更マンガ家になるのが現実的では無いからと、マンガ以外の方法で自分の物語をたくさんの人に見てもらえる小説家を選んだ俺と何も変わらない。


 妥協したわけじゃない。本当にやりたかったことの本質を見直しただけだ。

 選び、掴み取るのは自分自身だ。当然その形や道なりは人それぞれ。


 夢なんていうものは、大体の人が常に薄ぼんやりとしている。自分の叶えたい夢が、本当はどんな形をしているのか。俺たちは――それを探しながら日々生きていくのかもしれない。


 夢が叶うまで……地道に。


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