第35話 物語はすべて
学校から自室へ帰ってくると、ベッドに畳まれた洗濯物が置いてあった。夢を追いかけてようが諦めようが、俺の基本的な生活は何一つ変わらないんだなということを実感する。
見覚えのない色の布が山の中に挟まっていた。俺はそれを指で摘まみ、引き出してみた。
ユメの下着だった。
先日泣きじゃくっていたユメの表情を思い出すと、邪な気分もおきない。
綺麗に畳んで、彼女の部屋を訪れることにした。ノックはしない。ユメはさきほど母さんの買い物に駆り出されたばかりだった。
ベッドの上に綺麗に畳まれた洗濯物の山を発見。山半ばにそっと下着を差し込み、何事も無かったように踵を返す。
足を止める。何故だかデスク上のモニターが気になった。席を離れてしばらく時間が経っていたのだろう。画面は真っ暗だった。
イケメンサイドカーとの案件を進めている最中かもしれない。だとしたら、そんなもの見たくはなかった。ユメのイラスト自体はもちろん見たいのだけど、気持ち的に。
勝者の輝く姿を見るのが嫌だった。そう思った瞬間、自分はなんて小さな人間なのだろうと反省する。そうだ。そもそも俺はもう小説を書かない。なら、なんだっていいじゃないか。昨日だって、ユメに言ってしまえば良かったんだ。それなのに、理屈だけでは上手くいかない。
悶々としながら歩き出したとき、足をデスクにぶつかけてしまい、マウスが動いた。
ぱっとモニターが真っ白になる。俺の瞳に飛び込んできたものは――、
文章だった。見覚えのある下手くそ過ぎる文章。
あまりのことに混乱した俺は、その“小説投稿サイト”のマイページへ向かった。
『わんわんこ』というアカウント名が表示される。脳裏にあった点と点が――線で繋がる。
俺はすぐに履歴リストから、感想履歴の一覧に飛ぶ。
投稿者:わんわんこ 【2013年 06月 15日】
作品読みました! ずっと好きだったけど、恥ずかしさからヒロインのことを突き放してしまった主人公の男の子の気持ちが痛いほど伝わってきます!
実を言うと、わたしも幼馴染の子と同じような経験をしたことがあったので、時々ハッとさせられたり、あのときああすれば良かったな、なんて思ってしまいました。男子視点で描かれている恋愛小説なので、凄く新鮮で色んな発見があり勝手に胸が痛くなったりしちゃってます! 決してハッピーエンドじゃないですが、主人公の繊細な気持ちが作者さんによって丁寧に描かれていて、とても心に残りました。ときに笑ったり、ときには泣かされたりして……素晴らしい物語だと思います。
出来ることなら、この二人が幸せになってくれるような続編が読んでみたいなあ……なんてワガママを考えてしまうわたしを許して下さい(笑)
投稿者:わんわんこ 【2017年 04月 02日】
四年ぶりに読みました。また、泣いてしまいました。
こうしてまた読ませて頂いたのは、とあるきっかけで疎遠になってしまった幼馴染と再開する機会があるせいかもしれません。あの頃の気持ちに戻って懐かしみながらページを捲りました。少しだけ大人になったであろう自分が、もう一度この作品に手を伸ばす必要があるのなら、それは今だと思ったからです。
何故相手の気持ちを考えてあげられなかったのだろう。自分はどれだけ子供だったのだろうと、後悔の念が次から次へとやってきます。その姿はこの作品の主人公のようです。
いっぱい後悔をしました。たくさん考えました。この作品に、凄く勇気を頂きました。
中学生のときにこの物語に出会っていなかったら、今のわたしにはなれていなかったかもしれません。なので、この場を借りて作者様にお礼を言わせてください。
本当にありがとうございます。緊張しますけど、生まれ変わった(と思っている)自分を見てもらって、大好きな幼馴染とあの頃のような仲良しになりたいです。驚かれなければ良いのですが……。高校デビューだと思われないかな。ちょっとだけ怖いです。
最後に、今まで背中を押して頂いてありがとうございます。
自分と似たような人がいるんだな、世界って狭いなくらいに思っていた。
まさか――その相手が――ユメだったなんて。
「……なんでっ」
最初にやって来た感情は、途轍もない恥ずかしさだった。あの小説は、言ってしまえば俺の黒歴史ノートも同然なのである。顔も名前も知らない人間が相手だからこそ公開できるポエム。
そして次にやってきたのは、あの頃ひたむきに物語に向き合っていた自分の気持ちだった。
中学一年の後悔から、俺はそのときの無念を物語にしてみようと思い立った。作中で登場するキャラクターやイベントは、ある程度脚色しつつもそのほとんどが中学生時代の俺の世界で構成され、主人公とヒロインはまんま俺とユメである。
口で言えなかったユメへの想いを、素直に真っ直ぐ下手くそな文章に載せていた。
文頭に空白を入れることも、文末を「。」で終わらせることすら出来ていなかった国語力が貧弱すぎる俺の初めての物語。………………でも、楽しかった。
湯水のように湧き出てくる俺の物語を、たくさんの人に読んでもらいたかった。
物語を書くのが、とにかく楽しくてしょうがなかったんだ。それなのに……目指す目標になった途端、失敗したときの辛さがずっと強くなった。好きなことを仕事にすると、それを好きでなくなってしまうと言われているのは、こういうことなんだなと思った。
マウスでユメの書いてくれた感想を追いかけていると、開いているウィンドウとは別に、とあるソフトが起動していることに気が付く。ユメが愛用しているお絵かきソフトだった。何気なくそれを突いてみる。
画面いっぱいに広がったのは、一枚のイラスト。
美しいフジの下のベンチで、少年少女が背中合わせの状態で憂いの表情を浮かべている。朱色と紫色で幻想的に塗られた夕焼け空は、俺とユメが好きだった公園からの景色。
ユメは、四年前の俺の物語にイラストを描いてくれていたのだ。
俺は思った。
ユメが読者だったことには驚いたが、俺の書いた作品を読んで面白いと思ってくれて、イメージイラストを描いてくれた。死ぬほど嬉しいに決まってる。他に例えようが無いくらいの感情の渦に飲み込まれる。
夢を諦めるのも道だとチアキに言われたように、他の道でも幸せになれるのかもしれない。
でも――、ユメに出会って言われたあの言葉で芽生えた、俺のこの気持ちは本物だ。
――やっぱり小説家になりたい。どうしようもなく、物語を作る人になりたい。
我ながら単純な性格をしていると思った。
夢は降ってくるものじゃない。自ら掴み取らなくちゃいけないものだ。始めから絶対に無理だとレッテルを貼ってしまっている人もいるかもしれない。
でも、諦めたらなれない。言い訳を作ってしまった時点で、夢は潰えてしまう。
だからこそ、迷ったときにはその夢をもう一度見つめ直したら良い。本当に自分の叶えたい夢がなんなのか。
幼い頃のユメの言葉が蘇る。
――二人が大人になったら、一緒にマンガ家になってマンガ家夫婦になろうね!
結局、俺たちは二人ともマンガ家を目指していない。
俺は本当にマンガ家になりたいわけじゃなかった。チアキが言っていたように、別の道が意外なところに転がっていたのだ。だって考えもしないだろう。漢字の読み書きや日本語の文法さえ怪しい俺が、小説家を目指すだなんて。
創作した物語を色んな人に見てもらう人になりたかったのだから、脚本家でも、絵本作家だって良かったのだ。だから、別に焦らなくて良いんだ。幸い、小説家なんて何歳になったってなることができる。今、ここで結論を急ぐ必要なんてないんだ。
夢は――自分で選ぶものなんだから。
身体がみるみる熱を帯びていく。頭がぐるぐると巡り続けている。
俺は歩き出していた。自室の扉を開け、座り慣れたデスクチェアに腰を下ろす。マウスを操作し、新しいテキストデータを作成する。
そこには――何をどれだけ書いたって構わない魔法の紙があった。キーボードに指を乗せる。漢字もロクに書けない俺が、正しい文字を書くために手助けをしてくれる魔法のペンだ。
最高の作業環境が揃っていた。あとは面白い物語を執筆するだけだ。それが誰かに求められれば、俺は小説家になることができる。
一度や二度じゃ認められないかも知れない。ならば十作品、百作品と書けばいいだけのことだ。俺の頭の中には、それ以上のアイデアが詰まっている。足りなくなったら、また考えれば良い。どんな話だっていくらでも考えられる。嬉しいことに、俺は“物語狂”なのだから。
筆を進める。悩む必要なんて無い。現時点で作品の矛盾点なんてまどろっこしいものは気にしなくて良い。とにかく物語を前へ、前へ。書きたいように書きまくる。
後で死ぬほど推敲してブラッシュアップしていけばいいだけだ。作品を提出するまで、その物語は完成していないのだから。
途中で、主人公の気持ちがどうしてもわからなくなってしまった。何故この行動を取ろうするのか、何故そのような台詞を吐くのか。上手に理解してあげられなくなってしまった。
その答えは俺の頭の中に無数に散らばっていた。きっとそのどれもが正解で、どれもが不正解だ。だからこそ、作者である俺は悩んでしまう。このキャラクターがどういう人間で、どんなことを思い、何のために行動するキャラクターなのか見失ってしまう。答えは無限に存在する。それを制することは……ほとんど不可能に近い。
だから、俺は“何がそのキャラクターをそうさせるのか”考えてみた。すると、不思議とすんなり納得することができた。その上で、何故主人公がヒロインのことを傷付けてしまうのか、頭の中のキャラクターたちを集めて小会議を開いた。
各々が好き勝手な意見を言ってくれやがる。そして、そのすべてが面白く感じる。それぞれが活き活きしているように思った。その中で、それらに共通していたものを摘み取っていた結果――残った答えはとてもシンプルなものだった。
ああそうか、と俺はモニターに微笑みながら、執筆を進めた。
作者にとって、創作した物語は自分の子供であり、恋人であり、敵であり親友だ。また、自分自身でもある。
創作家の創り上げる物語というのは、作品の中で数十年と生きてきたキャラクターたちのほんの一瞬でしかない。最も刺激的で、最も面白い部分。作者はそこを取り上げるのだ。
そんな限定的な登場人物の心理を理解することは、とても複雑で難しいことだ。でも、同時にどのキャラクターも心の底にはその人ならではの“生き方”を持っている。
作者にできるのは、自分の分身一人ひとりの“生き方”を精一杯聞いてあげることだけだ。
――物語はすべて。そこには、俺のすべてがあるんだ。
新作の執筆を始めてから、どれほど経ったのだろう。今が何時なのかさえ、俺にはわからない。いや、興味も無い。
今は、物語を書きたいという欲求だけに従って生きている。新たな世界を創っているときに、ほかのことなんて考えられないのだから。
とにかく今は――物語を書くのが楽しい。
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