第34話 アオハルと一緒に


 夜、帰宅するとリビングでソファに座っていた母さんが言った。


「ユメちゃん、今夜ご飯いらないんだって。なんか元気ないみたいなんだけど、知ってる?」


 深夜零時を迎えると、俺は台所でおにぎりを握った。不格好なおにぎりと麦茶を一緒にお盆に乗せて、二階のユメの部屋へ。


「……アオハルだけど、いる?」


「……どうしたの?」疲れた表情のユメが顔を出す。


「軽食だけど、お腹に入れときなよ」


「アオハルが作ってくれたの……? わあ、嬉しいっ」


 お盆を手渡すと、ユメがにこりと笑った。


「何かあったの?」


「うーん……ちょっとだけ、詰まってるというか……締め切り、今日でちょっと焦ってるの」


「仕事絵?」


「うん。ソシャゲのイラスト。キャラのラフ画、ボツばっかり出されちゃって」


「……ちょっと見せてみてよ」


「でも……もう遅いし」


「いいよ、別に」


 ユメの部屋に入り、モニターを見つめる。蝶の形を模したヘアピンをしている女の子のラフが描かれていた。


「なんでダメなんだって?」


「既存のゲームに似たようなキャラクターがいるんだって。それで、一週間くらい試行錯誤してたんだけど、なんか、悩めば悩むだけ方向性がわからなくなってきちゃって……」


 モニターの端に表示されていたキャラクターの仕様書に目を通す。蝶が好きな昆虫博士という設定らしい。


「その……今回のお仕事、かなり人気のゲームみたいで……依頼が来たときは凄く嬉しかったんだけど、お客さんの指示もかなり細かいし、ボツを出される度に自分が否定されてるみたいに思っちゃって……なんか、楽しくなくて。わたし……もうこのお仕事やりたくないっ」


 カーディガンの袖で、ユメが目元を擦った。今気が付いたが、何度も泣きはらした跡がある。


「ダメだよね。お金もらってるプロなのに、こんなんじゃ」


「プロである以上、仕事を投げ出しちゃうのは良くないね」


「そうだよね……でも、なんか、わたしもうなんにも考えられなくて……っ」


 消え入りそうな涙声だった。大分……弱っているらしい。


「……そしたらさ、この蝶のヘアピン、ネックレスにしちゃおうよ。……で、頭が寂しくなっちゃうから、そっちには他の……そうだな、蝶が好きだっていうんなら、バタフライ帽子でも被らせてみたら良い」


 俺の言葉に、ユメがポカンとした顔を向けてくる。


「でもこの子、昆虫博士なんだよ……? もっとこう、学者帽みたいなほうが……」


「それこそありふれてるじゃない。ここはあえて外したほうが、俺は面白いと思う」


 ユメが瞳を瞑り、沈黙する。


「…………待って。今描き足してみても良い? アオハル、そこにいてね」


「別に逃げないよ」俺は笑いながら言う。

 デスクチェアに座ったユメが、消しては描き足してラフを修正していく。


「胸元がリボンからネックレスに変わったから、ブラウスじゃないほうが良いんじゃない?」


「あー、タートルネックとか可愛いかも」


「ちょっと描いてみなよ」


 その場での思いつきを二人で膨らませながら、デザインを進化させていく。そうこうしていると、だんだんそのキャラクターの内面が不思議と反映されてきた。


「……凄い。わたし、こんなデザイン全然思いつかなかった」


 モニターを見つめながら、ユメがうっとりしたように言う。


「そんなときもあるよ。俺だって――」


 言葉を濁す。俺は……もう小説家を諦めたんだ。


「アオハルありがとう、凄い頼りになった!」


「役に立ったんなら良かったよ」


 踵を返し、部屋を出て行こうとすると――服の袖を掴まれた。


「……待って。アオハル行かないで」


「……なんで」


 部屋の時計は深夜の一時になっていた。当然、俺たち以外の音は何も聞こえない。

 しばらく沈黙が流れる。それから、ユメの声が聞こえてきた。


「…………アオハル、夢……諦めないでっ」


「…………」


「……わたし、アオハルと一緒に夢を追いかけたいよ! アオハルと一緒に小説やイラストのことで切磋琢磨し合えることが何より楽しいの! 一緒に頑張れるのが、幸せなのっ」


 胸の中に優しい言葉がすっと流れてくる。彼女の声音から、嘘でないとわかる。


「……俺にとってのユメはそうだよ。……でも、ユメにとっての俺は違うと思う」


 自分で言っていて悲しくなる。何故なら、俺とユメは釣り合わないからだ。


「俺はユメから力をもらってばかりだ。でも、俺からはユメにあげられない」


 河原でユメに言われたことを思い出す。クリエイターとしてのユメの苦悩を、俺は考えようともしなかった。もうプロだからと、圧倒的に自分が下の立場だと、ユメにサポートされることばかりを考えていたんだ。そんな俺が――彼女の力になれているとは思えない。


「……どうして、そんなこと言うの? 今回だって、アオハルのアドバイスがなかったら、この子は完成しなかったのに!」


 感情を剥き出しにしたユメが、声を上げる。


「俺は……ユメにおんぶにだっこ状態だから」


「違うよ……そんなこと、言わないでよ……っ」


「ユメは優しいから、そう言ってくれるんだ。でも、それじゃいつまでも俺は……」


 それ以上は言葉が続かなかった。ユメの腕を振りほどく。


「ユメ」


「……何?」


「涙を流したぶんだけ、人は夢に近づけるんだと思うよ」


「……アオハルだって、泣いてるじゃん。だから……近づけるよ」


 泣きべそ顔のユメが、涙声で言った。


「…………そういえば、イラスト描くんだって? イケメンサイドカーに」


「……うん。でも――」


「そっか。じゃあ頑張って。応援してる」


 ユメの言葉を無理矢理遮り、そのまま去ろうとしたとき。


「待ってアオハル!」ユメの声が部屋中に響き渡る。「話を聞いてよ。わたしは――」


「聞きたくない! だって……! だって俺はもうっ……」


 目を見開いて唇を噛む。そうしていると、また泣きそうになってしまう。

 もう諦めたはずなのに、どこまでも格好悪い奴だなと自分で自分を嘲笑ってやりたい。そのままユメを置いて、俺は自室へ逃げた。


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