第29話 デート


 デート当日、初っぱなから俺の予定は狂っていた。同居している俺たちには待ち合わせ場所が必要ない。集合場所で会ったときの挨拶とか凄い頑張って考えてたのに、俺たちはお互いの準備が終わると連れ立って家を出た。


「……本当にいいの? 全部任せちゃっても」


「あ、ああ……当然じゃないか。男がリードするのは当然のことなのだからね」


「…………なんか……口調、おかしくない?」


「そ、そんなことはないのだけどね……ふははっ、ははは……」


 引きつった笑みを浮かべながら、ユメを横目で見る。少し長めの落ち着いたスカート丈に、ニットカーディガン。心なしかいつもよりも化粧に気合いが入っているような気がする。


 かく言う俺は髪をバッサリとやってしまい、長かった前髪も眉毛にかかるくらいの短さに。いつも頭全体を温めていた温暖装置とはしばしのお別れである。眼鏡もコンタクトレンズに変更し、服装はシンプルコーデを心がけた。秋らしくベージュやブラウンなどのアースカラーを取り入れて、地味顔の俺に馴染ませてみた。目立たないけど、悪くはないとは思う。


 俺たちは最寄りのショッピングモールを目指した。併設されている映画館に向かうためだ。


「…………アオハル」


「……ん?」


「歩くの速い」


 ユメとの距離が離れてしまっていた。歩幅が違うせいかもしれない。


「ご、ごめん……」


 さりげないデートテクニックその一を早くも失敗してしまった!


「ううん。アオハル……なんか緊張してるみたいだから、無理しないでも良いのに」


「えっ?」


「でも嬉しいよ。その、今日が……デ、デートなんだって意識してもらえてるんだなって」


「そ、そりゃ……するよ」


 女の子と初めてのデートなんだし。ユメをチラリと見ると、なんだかもじもじしていた。


「……あのっ。違ってたら恥ずかしいから聞かないようにしてたんだけど……昨日さ、突然髪を切ってきたのって……もしかして今日のデートのため?」


「まあ、一応」


「…………眼鏡も?」


「コンタクトレンズにしました」――うっはめっちゃ恥ずかしい!


「……そうなんだ」


「ヘンかな?」


「ううん。凄く良いよ! でも、アオハルは眼鏡も結構似合ってると思う!」


 ユメはくすりと笑って、軽やかな足取りで俺を置いていった。


「アオハル早く~! 映画に遅れちゃうよ~!」


「えっ……そんな馬鹿な。俺のタイムスケジュールにはまだ余裕が……」因みに分刻み。


「いいからいいから~! 競争だよ~!」


 無邪気に駆け出すユメに、俺は笑みが隠せなかった。


「まったく、子供じゃないんだから……」


 それから二人で目当ての映画を観た後は近場のカフェに入った。前日に予約の電話を入れたのに、予約対応はしていないと断られたのを未だに引きずっているのは内緒だ。店員の顔を見たとき、ああこの人が俺の電話を無慈悲にも断ってくれたのかと思うと、無駄なMPを消費した気分。


 映画は俺が元々好きだったアニメ映画監督による最新作だった。結構マニアックな作品ばかり発表する人なだけに、今作はやたらと宣伝に力を入れていて、誰しもが楽しめる映画へと昇華していた。大ヒットするような気がしてならない。自分が面白いと思った作品が世間に認められていくのは、ファンとしても創作者としても嬉しいことだった。


 お互いに涙もろいタイプだったらしく、俺とユメは作中で三度も涙を流していた。それも同じシーンでだ。それが俺は妙に嬉しかった。


 ランチ後、ディナーまでに時間があったので、俺たちはショッピングモールを適当に徘徊することにした。ユメがいくつかの洋服を持って来て、試着させられた。そのたびに顎に手をやって唸っているユメがなんだか面白かった。


 そうこうしているとあっと言う間に時間は過ぎて、俺たちは予約していたレストランで夕食を楽しんだ。この頃には大分デートにも慣れ始めていて、楽しくお喋りができた気がする。


 食事を終えると俺たちは帰路に就いた。今日の良かった点と反省点を頭の中で反芻している最中、ユメが声をあげた。「あの公園懐かしい!」

 夜の公園は外灯と月明かりで青白く照らされていて、幻想的だった。


「行ってみる?」


「いいの~!?」


 ぱっと表情を輝かせたユメと階段を降りて、月夜に照らされたフジの下のベンチに座る。


「ちっちゃい頃、ここで良く遊んだよね」


 足をぱたぱたと浮かせながら、ユメが懐かしむように言った。


「運動音痴なユメに付き合うのは大変だったな」


「なっ……何それ~! なんか失礼しちゃうんですけど!」


「ユメって、結構昔のこと良く覚えてるよね」


「え~……アオハルは……覚えてくれてないってこと?」


 全部覚えてるよ。君のことが昔からずっと好きだったから――なんて言えるわけもなく。


「まあ……それなりかな」


「わたしはいっぱい覚えてるもん。アオハルとの想い出」


 少し拗ねたように頬を膨らませるユメ。そう言ってもらえると、幼少期のいくつものエピソードが浮かばれるような気がする。その一つひとつが今のユメを構成する何かになれているのなら、それだけで俺は嬉しかった。


「じゃあ、問題出そうかな」


「やった~! そういうの大好き。出して出して」


 ユメがにっこり笑って、次の俺の言葉を心待ちにしている。本当に子供みたいだ。


「ここで昔、俺たちは何かの約束をしました。それはなんでしょう」


「…………結婚の約束?」


 少しの間があったものの、ユメは迷うでもなく言い切った。

 関心したような、恥ずかしいような。色々な感情が混じった顔で俺はユメを見つめた。


「……やだ。なんか、恥ずかしくなってきた」


 ユメは顔を俯けて、手のひらを行儀良く膝の上に置いた。

「というかユメが結構な頻度でその話を持ち出すから、どこでも約束してたんだけどね」


「嘘だよ! わたしそんなに軽くないもん!」


「何かあるたびに“アオハルと結婚する”とか言ってたような気がするけど。ほら、家で一緒にマンガ描いてたときだって、マンガ家夫婦になるとか」


「それは……言ったかも」ユメが照れながら頬をポリポリと掻いた。


「今にして思えば、わたしたち子供だったね」


 彼女がそうやって冗談っぽく笑ったことで、これ以上俺たちの距離が縮まることはないのだということを思い知る。ユメは今を生きている。俺のように未練がましく過去に縋っているわけじゃないんだ。一体何を……期待しているんだか。


 ユメにバレない程度に小さな溜息をついたとき、彼女と視線が合う。


「アオハルはさ、わたしがまたこの街に戻ってきて……どう思った?」


「色々感謝してるよ。ユメと再会しなかったら、小説家を目指そうなんて思わなかったから」


「……そっか。じゃあ今度はわたしからクイズです。実はわたしがここに引っ越してきたのって、もう一つだけ理由があるんです。それってなんでしょう」


「……親御さんの都合以外にってこと?」


「うん。そうだよ」


 謎の間。ユメの言っている意味が良くわからない。他の理由……?


「えいっ」突然ユメに脇腹を小突かれた。


「わっ、ビックリした。……なんだよ」


「……なんとなく」


「……なんだ、それ」


 気まずくなる。ユメが来てからもう半年。こういうあからさまなちょっかいは初めてな気がした。妙にドキドキしてしまう。

 そして、ユメが再び俺の顔を窺うようにして言った。


「わたしね……もう一回、アオハルに会いたかったんだよ」


「俺に……? それは……どうして?」


「……知りたい?」


「うん」


「じゃあ……後ろ向いて」


 言われるがままユメに背中を向ける。


「今からその理由の一文字目を書きます。もしわかっても……口に出したらダメだよ」


「ヘンなルールだな。気になるからもう教えてよ」


「ダメでーす」


 そしてユメは俺の背中に人差し指を立てた。ゆっくりと、滑らかに何かが俺の背中に描かれる。それは、おそらくひらがなの『す』だった。


「はい。これで終わりです」


「…………もしわかっても、言っちゃいけないの?」


「……わかったの?」微笑みながら、そんなことを言われる。


「…………」

「…………」


 お互いに見つめ合ったまま俺たちは一言も喋らなかった。外灯が反射して煌めくユメの瞳はいつもより扇情的で、綺麗だった。


 隣に座るユメの生っぽい感触に触れる度、妙な気持ちになる。


 ――夏にチアキに言われた言葉を思い出す。

 小さいときからずっと一緒だった幼馴染。昔から大好きだったけど、明らかな女性的成長をして戻ってきた君に、俺はやっぱり別の意味でも惹かれている。


 とろんとした瞳のユメが、ゆっくりと瞼を閉じる。


 胸が早鐘を打つ。指先の神経まで、麻痺してしまったような間隔。

 俺は――ユメの首筋に指を通していた。


 目を閉じると、世界が真っ暗になる。それでも、ユメの温もりはそこにあった。


「――ワン!」


 突然のことに身体が硬直する。


 鳴き声のほうに目をやると、そこにはチアキが立ち尽くしていた。

 飼い犬の散歩をしていたらしい。リードを手にしたまま、呆然とこちらを眺めていた。そして――俺と目が合うや否や、すぐさま駆け出して行く。


「……あ、チアキ! 待てよ!」


 俺はベンチから立ち上がって、ユメに視線を流す。彼女は肩を縮めながら「行ってあげて」と言った。頭の中が空っぽだった俺は、チアキを追いかけた。


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