第30話 あたしだって……
人気の無い脇道で立ち止まるチアキに追い付くと、彼女はくるりと俺のほうを向いた。
チアキは泣いていた。大きな瞳の縁が濡れている。
「……チアキ」
「……なんで、追いかけてきたの」
まるで少年のように、袖で涙を拭いながら訊ねてくる。
「そりゃ追いかけるよ。突然、逃げ出すんだから」
「……逃げるよ。だって二人、キスしてたんだから」
「そんなこと、してないって!」
「……どうだか」
目のやり場に困って、チアキの連れている犬に目をやる。潤んだ瞳で俺を見つめながら、きゅーんと愛らしく鳴いていた。
「なんで髪切ってんの? 眼鏡外してんの? 服だって新品じゃん。デートだから?」
「……い、イメチェンだよ」
「……大好きな彼女のために?」
「お前な、しつこいぞ。俺たちは付き合ってなんかないってば」
「そんなの信じられると思う? だって同居してるんだよ? それも、あんなに女の子女の子してる可愛い幼馴染の子が。あたしが男だったら、絶対にほっとかない」
「感情的になり過ぎだぞ。それは……お前の意見だろ」
「お前って……言わないでよっ!!」
チアキの悲鳴のような叫びが響き渡る。
「お前お前って言われるたびに、あたし女の子の自覚が無くなっていくよ。あんまり気にしてないようにしてたけど、ホントはすっごい傷付いてるから! そういうの!」
もの凄い剣幕で一方的に責められたせいかもしれない。俺は逆上した。
「……なんでお前にそんなこと言われる筋合いがあるんだ! 別にどうだっていいことだろ!? お前には関係ないじゃねえか!」
かっとなって飛び出た言葉に俺はすぐ後悔した。海水浴に行ったあの日から、チアキの気持ちに気が付いていたのに。だけど、抑えが効かなかった。
「……アオハルのことが……好きだからだよっ」
チアキはぐしゅぐしゅの顔になって、その場で泣き声を上げてしまった。
「中二の頃から、ずっとずっと気になってた。気付いたらいっつもアオハルのことを目で追ってたし、ウザがられるってわかってても意地悪したくなっちゃうし……でも、あたしはほら、こんなキャラだから……アオハルに振り向いてもらえるなんて思わなかった。ううん、別にそれでいいと思ってたの。男友達みたいに、アオハルの側に居られるのも幸せだったから。アオハル、女の子の友達とか居なかったし。でも…………ユメちゃんが来てからは違った」
泣きはらした目を隠すようにしながら、チアキは溢れ出てくる涙を拭う。
「すぐヘンだなって思ったよ。アオハル、明らかにユメちゃんのこと意識してたから。それで同居してるとか聞いたときは……その、焦ったの。だっていきなりあたしよりもずっと距離の近い女の子が出てくるなんて、反則だって思ったんだもん。このまま二人が付き合ったりしたらどうしようって……夜も眠れなかった」
――そんなに、俺のことを……。
「でもね、あたし性格悪かったみたい。二人の関係がなんでもないんだってわかっても……そんなわけないって疑ってたから。アオハルはユメちゃんのことが好きなんだって思った。でも、それでもあたしはアオハルの隣に居たかったの」
困ったように。自虐的な笑みで。
「……あたしの恋の予定は狂いまくりだよ。ヘンに距離が近いせいで、アオハルに好きって言いづらくなっちゃった。女の子だと思われてないことくらい知ってたし、真面目に告白したところで多分テキトーに流されるだけだなって。それに……アオハルに嫌われちゃうかもしれない。元の関係に戻れないのは、絶対に嫌だったの」
顔を上げたチアキは、俺のほうへ近づいてくる。
「でもさ、それでもアオハルを取られたくないって気持ちはやっぱあったの。しばらく時間を置いて色々考えてみたけど、やっぱり……好き、だったから。その、あたしのこと……女の子として見て欲しいなって……思っちゃったの」
涙で濡らした顔をぐいっと上げてくる。
「ねえ……幼馴染の想い出ってそんなに大事? ユメちゃんのどういうところが好き? それってあたしじゃ無理なのかな。悪いところがあるなら全部直すし、……胸を大きくとかはちょっと無理かもしれないけど……できる限り女の子っぽく頑張るから!」
「チアキ……」
俺を見たチアキは、また泣き出しそうな悲しい顔で唇を噛んだ。
「あたしだって……あたしだってアオハルの幼馴染になりたかったよ! ちっちゃいときからアオハルと出会いたかった! でもそんなの無理じゃん! あたしどうすればいいの? 突然こんなことになって、あたしは凄い嫌なヤツになっちゃって! こんなの、悲しすぎるよ」
それは決して叶うことの無い彼女の願いだった。チアキの想いは知っていた。だけど、こうして本人の口から聞くことで、何処かふわふわしていた真実が現実のものになっていく。
傷付きやすいところや女の子らしい一面があることを俺は今日初めて知った。……彼女の気持ちを理解してあげられなかった。
「ゴメンね、アオハル。でも、あたし……まだ諦めきれないから」
そう言ってチアキは立ち去っていた。俺は、もう彼女を追いかけることができなかった。
* * *
とても静かな深夜なのに、自分の心臓の音だけがやけに鮮明に聞こえてくる。
――アオハルのことが……好きだからだよっ。
一体どれくらい悩んでいたんだろう。きっと、それはとても長い時間だったに違いない。
だけど――チアキの泣き顔と一緒に頭に浮かぶのは、公園でのユメの表情だった。
俺の心の奥底にはいつもユメが居る。いつからそこに居るのかは良くわからない。子供のときからだったのか、同居を初めてからなのか。だけど、確かにそこに居る。
俺は――俺は――。
頭の中がごちゃごちゃと回転を続ける。そこには正解など存在しなかった。
翌日から、ユメやチアキとは気まずくなってしまった。最低限の会話以外でお互いに口を聞くことは無かった。目線も合わせなかった。
それから月日は経ち――俺たちの関係は修復しないまま、新人賞の結果が届いた。
結果は、一次選考落選だった。
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