第25話 夢破れた人
せっかく来たのだから、大人しく海イベントを満喫することにした。ビーチボールと浮き輪を膨らませ、波打ち際で遊んでからもう少し深いところまで進んだ。
女の子二人に混じるのは正直恥ずかしかったけれど、テンションは上がる。楽しいのも間違いない。だけど、それを表に出すのが俺は苦手だった。
最初にバテたのはユメで、次に俺だった。チアキは一人になっても知らない子供たちが作った砂の城遊びに付き合っていた。身体は人一倍ちっさいのに、本当にパワフルなヤツだ。
一足先にシートで休憩しているユメの元に向かおうとした俺に、チアキは「焼きそばとブルーハワイかき氷とラムネ食べたいから買っといて!」と注文を投げつけてきた。
古びた海の家は客があまりいなかった。人混み嫌いの俺としてはとても助かる。
――かき氷、ユメはいちごが好きだったな、と思い出しながら、財布を片手にカウンターに並んだとき、「あれ。お前アオハル……?」と懐かしい声が聞こえてきた。
目の前の青年は、俺の従兄弟である冬樹陽一(ふゆきよういち)だった。
「……ヨウ兄!? なんでここに」
「ここ、俺の実家がやってんだよ。毎回この時期になると手伝いさせられてるんだ」
確かに、言われてみればヨウ兄はこの辺に住んでいると聞いたことがある。
「いやあ、それにしても久しぶりだなあ。背、伸びたなぁお前。今は高校……三年生?」
「当たり。ヨウ兄のほうは大学卒業してから何を――」
口から出た言葉を途中で飲み込む。遠慮しがちにヨウ兄を見つめると、彼はにっと笑った。
「ははっ、二十四歳の情けないフリーターだよ。そろそろ就職しないとダメだよなぁ。いくらなんでも」何処か遠い目をしながら、「で、注文は?」と聞いてきた。
三人分注文する。
「友達と来てんの? 誰? 女の子?」
「あー……まあ……そうなんだけど」
「へえ、お前もそんな歳になったわけか~」
ニヤニヤ笑いながら、ヨウ兄がカウンターから出てくる。
「ちょっとだけ話さない? 最近のお前のこと聞きたいし」
* * *
ヨウ兄は俺の憧れの人だった。
そして、夢を叶えるということがどれだけ大変なのかを教えてくれた相手でもある。
ヨウ兄はアニメにとても詳しかった。それも、当時小学生だった俺が見ていたような夕方放送の子供向け作品ではなくて、深夜にやっているような大人のアニメを。メッセージ性が高く、難解でハードボイルドな作品をたくさん紹介してもらった。
ヨウ兄が声優を目指しているのだと知って、俺も声優について一緒に勉強した。アニメのキャラクターに声を当てている人が声優という職業なのだと知ったのもこのときだった。好きなことについて語るヨウ兄はとてもキラキラしていたし、素敵で格好いいと思っていた。俺が声優になったら、最初にサインを書いてやる! という約束もしてくれたっけ。
声優になるためには専用の養成所に通わなくちゃいけないらしくて、当時ヨウ兄は大学生をやりながらそこに通っていた。お金もかかるからアルバイトも平行しながら。この頃の俺は、ヨウ兄は大変なんだなくらいにしか思っていなかった。
ちょうどユメが転校してしまった中学一年生の頃だった。しばらくぶりにヨウ兄が家にやって来て、俺ははしゃいでいた。
「ヨウ兄、ヨウ兄! 声優にはもうなった!?」
――で、ヨウ兄は困った表情で笑いながらこう言うのだ。
「声優になるのはもう諦めた」
率直な感想は「え、なんで?」だった。あんなに嬉しそうに声優の話をしていたヨウ兄が、何故そんなことを言うのかがわからなかった。エンディングクレジットで名前の付かないような脇役を三役ほどもらったことはあったらしい。でも、人気が出ることもなく、彼はオーディションへも参加しなくなってしまった。
――耐えられなかったそうだ。
自分より若い連中がどんどん新しい舞台に進んでいるのに、自分だけ底辺にうずくまったままでいることが。そう言う人間はたくさん居ると思うのだけど、ヨウ兄は踏ん張れなかった。そのとき初めて、俺はヨウ兄が荒野で戦ってきたんだということを知った。彼は努力をしなかったわけじゃない。寧ろ人一倍頑張っていた。頑張り屋な性格なのは知ってるから。でも、運が悪かった。タイミングに、チャンスに恵まれなかった。
そして、これがきっと一番大きいのだと思う。
ヨウ兄の声優としての実力は知らないけど、彼は“圧倒的に足りなかったのだ”。
貪欲なまでの、夢を叶えたいという当たり前の感情が。意思が。
誰もがなりたいと願うような華のある世界では、そこにいる全員が最前線に立ちたいと願っている。だけど、実際にその舞台に上がれる人間は限られている。
より優れた人間が舞台に立てる。――それは戦いなのだ。
優れた人間になるには、自らを磨くしかない。どんなに辛い環境下でも、努力し、挑戦し続けなければ。一ヶ月? 一年? 十年? それは夢が叶うときまでわからない。
そのタイミングがやって来る前に、ヨウ兄は諦めてしまった。
ヨウ兄は言った。「本気でやりたいわけじゃなかったのかもな」
「そうなんだ」平然と返した俺だったけど、内心のインパクトはかなり大きかった。
夢って――そんなに頑張ってもなれないものなんだ。だったら……俺がマンガ家になんてなれるわけがないよな。
中学二年になる頃には、そう決めつけていた。薄ぼんやりとした夢だと自覚しながらも、ユメ以外に語ったことの無い俺のちっぽけな夢は、こうして消え去ったのだ。
「――――俺、今……小説家を目指してるんだ」
俺はそんなことを口走っていた。
「……マジで?」
ヨウ兄は笑うでもなく素の声で返して来た。
「幼馴染の……ユメって覚えてるかな。一回だけ一緒に遊んでもらったことあるんだけど」
「ああー、覚えてる覚えてる。アオハルのことやたらと大好きだったあの子」
「……ま、まあそうだった。そいつ、中学のとき転校しちゃったんだけど、最近またこっちに帰ってきてて……それで、その……ウチに今同居してて」
ヨウ兄は飲んでいたラムネを盛大に吹き出した。構わず続ける。
「ライトノベルってわかるかな? その子、ああいう感じの絵が描けるイラストレーターになってたんだ。で、言われたんだよ。「アオハル、小説家になりなよ」って」
今でも忘れられない。身体中が熱くなって、全身に血液が巡るあの感覚を。
「……ヨウ兄には今初めて言うけど、俺子供のとき漠然とマンガ家になりたかったんだ。でも、現実的な性格になったのか元々保守的なのか、そもそも今から絵の勉強したところで上手くなるわけないとか、ずっとデビューできなかったらどうしようとか、色々考えて……結局諦めちゃった。でも、再会したユメが言うんだよ。小説家ならそんなリスクないじゃんって。……てか実は俺国語全然できないんだけどさ――……」
それ以降も俺はぺらぺらとユメとの出来事を喋っていた。ヨウ兄はときに驚き、笑いながら、俺の話を聞いてくれていた。
「それはもう運命だな」茶化すでもなく、ヨウ兄は真面目な顔でそんなことを言った。
「ユメちゃんは、きっとお前の夢を叶えるために引っ越してきたんじゃないか?」
「はは、なんだそれ、それこそラノベみたい」
「いいじゃん。寧ろそれを題材にしろよ、ベストセラー間違いなしだぜ先生。それにしても、アオハルが小説家かあ……まあ、お前確かにストーリーへの食いつき凄かったもんなあ」
「おかげさまで」
「そっか……夢かぁ……」
彼の瞳は、一体何を見ているのだろうか。
「ヨウ兄は……その……もう……声優は」
こんな話を持ち出した理由の一つに、彼がまた夢を志して欲しいという思いがあった。
俺が今こうして夢を追いかけることができているのは、色々な縁が重なった結果だ。
そして、それはヨウ兄のおかげでもある。ヨウ兄は、夢を目指すことが素敵なものだと教えてくれた最初の人だったから。だから……また、頑張って欲しかった。
「……俺は、もう――いいかな」
その言葉は、軽やかな雰囲気の店内で、とても強い意思を持った重い言葉だった。
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