第15話 あの日、失ってしまった大切なもの
静まり返る教室。教室の置物のようにいつも喋らない奴が突然声を張るという異常事態。誰も彼もがみんな、俺に視線を注いでいた。
ずかずかと女連中の元に向かいながら、苛々した気持ちが募ってくる。
「そのマンガ好きなんだよな。それをけなされて、何平然とへらへらしてるんだよ」
「…………あたしは、別に」
「お前が眼鏡かけてたとき、教室の隅で読んでた少女マンガの作者の最新作だよな、それ」
「……えっ、ちょっと待って。何コイツ、キモいんだけど」
「お前等は黙ってろ。俺は今コイツと話をしてるんだ」
俺の言葉に萎縮した女たちは、それ以降面白くなさそうな顔で黙り込む。
「……友達の居ない女の子が、一生懸命友達を作っていくストーリーだったはずだ」
彼女たちのけなしている物語を、俺は読んだことが無かった。前作がそこそこのヒット作で、次の新作も期待されているとかでネットの記事になっているのを見たことがあるだけ。その程度の知識しか持ち合わせていない。俺が出しゃばることじゃないのかもしれない。
目の前の少女を見据える。潤んだ瞳で必死に俺を睨み付けていた。それはまるで威嚇してくる子猫のようだった。だけど、それが俺に対しての怒りではないことはわかっていた。
頭の中で、微笑ましい表情で少女マンガを読んでいた彼女と重なる。こんなに辛そうな顔で、好きな物語を否定しなくちゃいけないだなんて、そんなの悲しすぎる。
彼女の瞳を見て、俺は直感した。彼女は、悔しいのだと。
「その物語に……救われてたんじゃないのかよ」
俺がそう言った途端、チアキの瞼からつうっと綺麗な雫が流れた。が――彼女はそれをすぐに拭った。俺はそのまま隣で唖然としている女子三人に向かって言ってやる。
「物語に救われて何が悪いんだ。マンガが好きで何がいけないんだ。目がデカいからなんだよ。告白シーンが陳腐だって? 作り話なんてクサくて上等だ。お前らが何を思おうと構わないけど、それを寄ってたかって強要するな。人の物語を……笑うな!」
「はぁ……別にウチらはそんなのしてねーっつの」
「してんだよ。お前等の空気が全部そういう風にさせてんだよ! そんなもん、気の弱いヤツはすぐに萎縮するに決まってんだろ!」
「……も、もういいよ……あたし、そんな……」
俺の学ランの袖を掴むチアキ。だけど、俺はそれを振り払った。
「良くない! その物語に感動して、お前は友達を作ろうと頑張ってきたんだろ? それは最高の物語の楽しみ方だよ。物語がお前を救ったんだ。そのマンガにとってお前は最高の読者ってことだ。だからお前もその物語が好きなら、けなされてへらへら笑うのだけは絶対に辞めろ! お前のことを救ってくれた作者に、一緒にストーリーを追体験した主人公に……いや、物語の世界そのものに失礼だ!」
「何こいつ……オタク?」女連中三人組が、揃って困惑した表情を浮かべる。
「ああオタクだとも。俺は、コイツみたいに物語に背中を押されるなんてそんなドラマティックな経験したことはないけど……それでも気持ちは痛いほどわかる! 涙を誘われる切ない物語も、ほのぼのと癒やされる幸せな物語も、興奮してページをめくる手が止まらない熱い物語も、ドキドキするようなエロい物語も、衝撃的でショッキングなグロい物語も……! そのどれもが……すべての物語が……人に感動を与えてくれるんだっ!」
教室に反響するくらいの音量で、俺はそれを言い切った。
とんでもなく痛い奴だ。何を撒き散らしてやがると数秒前の自分に言いたいくらいだった。だけど、止まらなかった。次々と言葉が溢れ出てくる。もしかすると、ユメと上手くいかなかったことに対する八つ当たりも少し入っていたかもしれない。
「……キモい。もういいよ、行こう、みんな」
心底呆れたらしい顔のボス女が、ゴミでも見るような目で俺を一瞥してから、教室を立ち去って行く。それに続くように、二人の女子も逃げていく。
「……その、あ、ありがとう。庇って……くれたんだよね? あれ……でもマンガとあたし、どっちだったんだろう」
首を傾げながら、涙を拭うチアキ。
途中から熱くなって自分の話ばかりになってしまっていた気がする。
「……いや、正直……何言ったか覚えてないわ……何言ってた? 俺」
「ぷふっ。何ソレ。ヘンなの。色々君の性癖が教室中にダダ漏れだったけど」
「……まあいいや。ゴメン。あんなのでも友達で良いなら、余計なことしたかもしれない」
「ううん……もういいよ。なんか、君の心の叫びを見てたら、どうでも良くなってきたから」
「こ、心の叫びじゃないし……!」
「あはは、でも君って面白いね。同じクラスだったの今知ったよ」
チアキが軽快にけらけらと笑う。俺は、彼女のそうした笑顔を見たのは初めてだった。
「お前も大概酷い奴だな。俺はちゃんとお前のこと意識してたのに」
「そうなんだ! へえー、じゃあ声かけてくれれば良かったのに」
「いや、それはいいわ」
「なんで!?」
「なんか、同族嫌悪的な」
「あーなるほど」
「納得すんなよ」
「でも、ありがとう。今後、自分の好きなものを前に出すときは相手を選ぶことにするよ」
「それがいい」
「君とかね」
「まさかの俺だった」
この日からだった。俺が物語に偏見を持たなくなったのは。偉そうに言ってしまった手前、守らなくちゃいけない格言として心に刻んだのだ。
それ以降チアキとは良く喋るようになり、馴れ馴れしくちょっかいを出してくるようになった。最初は邪険にしていた俺だったが、三年になるころにはそれも悪くないと思えるようになっていて、気が付けば彼女は学校中で一番楽しく話の出来る相手になっていた。
ユメとのことがあったせいで女子との距離に過敏だった俺だったが、チアキは不思議と大丈夫だった。小学校のときの男子と話をするような関係に似ていたせいかもしれない。
いや……俺は、チアキに……幼い頃のユメを重ねてしまっていた。
あの日、失ってしまった大切なものが……帰ってきたような、そんな気がしたんだ。
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