第13話 文庫本クンカ
俺とユメは、思い切り手を伸ばせばなんとか触れ合えるくらいの距離を保ったまま、帰路についた。書店から自宅までは約十分。その間、特に会話は無かった。
家ではあれほど喋れるのに、いざ外に出てみればこれだ。幼い頃はそんなこともなかったのに、お互いだいぶ世間体を気にするタイプになってしまったようだ。
今日の放課後もそうだったけど、俺は未だにユメが「アオハル~、一緒に帰ろうよ~!」なんて呑気に声をかけてくるかも、なんて思ってしまっている。
彼女のイラストを見たあの日から、昔みたいな距離感に戻れたかと思っていたのに……。ユメが子供のときのような対応を取ってくれることを、俺はどこか期待していたのかもしれない。
――いや、そんなに一緒に登下校したいなら、自分から声をかけろよ。受け身の男なんて、フィクションでもリアルでもロクな奴じゃない。
「…………今年の春は……温かくて良いね」
「あ、ああ……確かに良い春風かも」
「……気持ちいいよね」
「うん」
本当に喋ること無いときに出てくる禁忌のワードが早くも出てしまった。「寒い」とか「温かい」とか、そこから展開する会話の流れなんか大体決まり切ってる。
……数分経過。普通に気まずいな。いくらなんでもお互い遠慮しすぎな気もする。かつて素っ裸で身体を洗いっこしていたことが嘘のようだ。あれか。俺の文庫本クンカが原因なのか!?
家に帰れば、また普通に喋れるんだろうか。なんだか不安になってきた。
「あ、……ねえ、ねえってば」
「…………え?」
振り返る俺の袖が、控えめにくいっと引かれる。
「……お家、通り過ぎちゃうよ?」
「あ、ああ……ゴメン。なんか考えごとしてて……あはは」
もの凄く恥ずかしくなって、途端に顔が熱くなる。
ユメは、俺の袖を離さないまま唇を動かした。
「教室でさ……あの」
「……ん?」
そのときだった。俺の肩に、ポンと何かが乗っかる。
「ふぁっきゅーあいらーびゅっー!!」
振り向くと、にたにたした表情のチアキが特有の挨拶をかましてきた。
咄嗟のことに驚いたユメが、俺の袖から手を離す。
「チ、チアキ……お前、一体いつから!」
まさか、俺の人生史上でもなかなかの汚点、文庫本クンカ事件から後を付けていたんじゃないだろうな!? これでは密かな楽しみである文庫本クンカができなくなるではないか!
「クックック……ずっと見ていたわよ。深淵の底からね……てーのは嘘で、暇だったから付いてきた。本屋から二人が出てくるところが見えたから」
「……なんだ、良かった」
「……何が良かったの?」眉間に眉を寄せながら、チアキが訊ねてくる。
俺が唸りながら言い訳を考えていると、チアキがユメと俺を交互に見てから、「もしかして……二人って……」と口を動かし始めたので、俺は早急にそれを遮ることにした。
「あ! そうだチアキ、とりあえずウチ上がってけよ。そういえば母さんがこの間買ってきてくれたケーキがあるんだった。ほら、さっさと行こう」
「は、ちょっと!? あんまり押さないでよっ」
チアキのリュックに触れながら、玄関の扉までの道を進んでいく。途中でユメにもチラリと視線を送る。彼女は頷いたりはしなかったが、空気を読んでくれたようだった。
* * *
チアキをダイニングチェアに座らせて、冷蔵庫からケーキを用意している間にユメが紅茶を煎れるのを手伝ってくれた。なんだか夫婦みたいだな。
三人分のティーセットをテーブルに運ぶと、チアキは面白くなさそうにカップに指を通した。
「それで、なんで叶咲さんまで居るの? この家、アオハルん家だよね?」
いつもより目が鋭い気がしてならない。
「あ、ああ……それは――」
俺はチラリとユメに目をやる。どこか緊張したような面持ちで立っている彼女は、俺側の席か、チアキ側の席、どちらに座ろうか迷っているようだった。
――これ以上の言い逃れは出来ない。
俺は自分の隣の席を引いて「早く座りなよ」とユメに催促してから、「彼女、今ウチに居候中なんだ。一年間だけだけど。両親が海外に転勤してるからさ」と言い切った。
「居候……ってことは、親戚か何かってこと?」
チアキの表情が少しだけ穏やかなものになる。ユメは肩を狭くしながら俺の隣に座った。
「いや…………幼馴染なんだ。小さいとき、隣の家に住んでた」
「幼馴染……へえ、叶咲さんは何歳くらいまでこっちに?」
チアキが、話し相手を俺からユメに変えた。ユメがびくりと反応する。
「えっと、中学一年生のときまで。そのときも親が海外に転勤しちゃって。今回は……その、わたしは行きたくなくて……それで、色々あってここに住まわせてもらうことになったの」
「ふーん……」紅茶を喉に流し込みながら、チラチラ俺とユメを見比べるチアキ。
「なんかさ、ヤバくない? 同じ屋根の下で年頃の男女が一緒に暮らしてるってさ」
「や、ヤバくねーよ! お前が考えてるようなことは絶対に無いから」
言いながら、ユメが越してきた初日には彼女の裸を見てしまったことを思い出す。
「なーんか……アオハルがムキになってるのが逆に怪しいんですけどー」
「ムキになんかなってないってば!」
「あ、なるほど。だからケモケモ14も一緒にできないってわけか。はいはいわかった」
「お前な、しつこいぞ!」
「……じゃあ、二人は本当になんでもないの?」
チアキが若干口ごもりながら、ぼそぼそと言葉を零す。
「…………あ、ああ」
「……そっか。わかったよ! 部外者のくせに詮索したりしてゴメンね。叶咲さんも、アオハルも。完全にあたしの趣味です」
チアキがひょうひょうとした感じに戻り、片手をゴメンの形にして顔の前で何度か振った。
「でもさー酷くないー? そんなビッグイベントがあったんならあたしに言ってくれても良いじゃん! これでも友達の居ないアオハルの一番の親友だと思ってるつもりなんですけど! まったくもう。チアキちゃん心配しちゃったじゃないのよう! ここ最近のアオハルは……なんかその、ヘンだったからさー」
「そ、そうかな。心配かけたんならゴメン。それと……チアキ、このことはあんまり学校では言わないでくれると……その、助かるというか」
学校で俺たち二人の関係をおおっぴらにするのは、なんだか嫌だった。でも、だからって秘匿することに一体なんの意味があるのだろう。……ユメは、どう思っているのかな。
「……二人はなんでもないんだから、良いタイミングでさらっと言っちゃったほうがいいと思うんだけど。だって、一年も居るんでしょ?」
「それは……まあ、そうなんだけどさ――」
曖昧な返事をしている最中、家の扉が開く。母親が帰ってきたらしい。
俺とユメは、二人で共通の夢を追いかけていることをチアキに告白しなかった。
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