第8話 これが、今の距離
「い、いいよ。入って」
若干緊張しながらドアに向かって答えた。ドアノブが回るのを待つ傍ら、自らの部屋を見渡す。壁一面の本棚には、俺の秘蔵コレクションが収められている。
少年マンガ、少女マンガ、青年マンガ、週刊誌、一般文芸小説、ライトノベル、好きな映画やアニメのブルーレイディスクやDVD、レトロから最新まで揃えたゲームソフト、その攻略本。ざっとその数は二千を超える。すべて俺の宝物だ。
カチャリとドアが開き、おずおずとユメが室内に入ってくる。
「わぁ……凄い部屋。本がこんなにいっぱい!」
深夜一時を越えたせいか、特有のテンションが降りてきたらしいユメは楽しげな表情だ。
「ファンタジー、SF、コメディ、ホラー、サスペンス、ラブストーリー、ヒューマンドラマ。色んなジャンルの作品揃ってると思うよ」
「ほえー、わぁーすごいなあ~、なんだか夢の部屋みたい」
「ここは俺の部屋だよ」
「わかってるよそんなこと! ダジャレじゃないから!」
「ごめんごめん」軽く笑いながら、俺も彼女の横に並んだ。ユメは、じいっと棚を端から端まで凝視しながら、口を開いた。
「少女マンガとかも読むんだ。『ハチミツとクローバー』とか『君に届け』とか」
「面白ければなんでも読むよ。つまらない理由で面白い作品に触れられないのは嫌だし」
「ふふ、根っからの物語好きなんだね」
「でも俺、元々小説って嫌いだったんだ。っていうか、活字自体が苦手でさ。小難しそうじゃん。国語は今でも嫌いだし」
「……えっと、アオハルは……小説家目指すんだよね?」
少し不安になったらしいユメが、上目づかいでこちらを見てくる。
「目指すよ。“物語をつくる人”になるために、俺が今から目指せるもので一番可能性があるのは小説家だと思う」
そして、本棚から大好きな一冊を手に取った。
「中二のころ、金も無いし面白いマンガを求めて良く古本屋に通ってたんだ。で、なんとなくふら~っと小説コーナーに入っちゃって――この本に出会った」
俺はユメにハードカバーの本を手渡す。
「何百冊とある背表紙の中で凄い目立ってたんだ。……で、気になったしとりあえず買ってみたんだ。それで家に帰って、柄にも無く小説を読み始めたら……夜になってた」
「そんなに面白かったんだ」
「うん。あんまり売れてる作家ってわけじゃないんだけどね。文章も思ったより難しくなかったからスラスラ読めたし……っていうかもうページをめくる手が止まらなくて。これは短編集だったんだけど、一つひとつの物語がホラーだったりミステリだったり、ときには切なくて。映像が無いからこそのどんでん返しに、マンガでは味わえない衝撃を受けたんだ。それで、初めて小説って面白いんだって思った。で、同じ作者の作品からハマり始めて、他の作家の小説にも手を出し始めたんだよ。だから、一般文芸で俺が持っているのは、ミステリとかホラーが多いかな」
「へえ……でもさあ、あんまりライトノベルの数は多くないんだね」
本棚の背表紙をじーっと眺めながら、ユメが訊ねてくる。
「それは、俺がラノベを読むようになったのがここ最近のことだからかな」
「どうして? 同じ小説だし、ラノベも読んだりしたんじゃないの?」
「当時はラノベを低俗なものだと決めつけてたんだ。小説っていうのは落ち着いていて知的なイメージがあったし、当時俺は昔の洋画にもハマってたから、難解なメッセージ性や作品のテーマみたいなものを深読みしたいタイプだった。作品にもよるけど、ラノベは一般文芸作品よりもマンガに近くて、それだったら俺はマンガを読むよって思ったんだ。意識が高かったんだよ、あの頃の俺。国語の成績悪いクセにさ。でも中学生ってそんなもんじゃない?」
「……厨二病ってやつかな」
「やめてください……」
「でも、じゃあどうしてラノベを好きになったの?」
「……うーん……それはちょっと言うの恥ずかしいんだけど」
「ええやだやだ知りたいよ!」
「そんなこと言われてもこっちがやだよ!」
結局笑いながら、俺は中二の頃に起こったある出来事によって物語に対してつまらない偏見を持たない“雑色系”になれたことを話した。
「あと、ファンだった一般文芸作家のデビュー作がライトノベルのレーベルから出版されたって後から知って、ああこういうラノベもあるんだなって思ったことも大きいかな。それで、『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『とある飛空士の追憶』を読み始めて、ラノベって面白いんだって思った。寧ろ、一般文芸作品より文章が易しかったし、俺は読みやすかった」
「……国語の成績『1』なんだもんね」
「それは言わない約束……」
「小説の本文が楽しみだなあ……わたし」
「うっ……マジで書けるかわかんないからね。ウェブ小説で少し書いてたって言っても、文章作法とか一切知らないし、情景描写とかほとんど皆無のポエムみたいなものだったんだから」
「ていうか、それ読みたいんだけど」
「ダ、ダメ! それだけはマジで絶対無い!」
「むう……ケチ~!」
「まあ大体そんな感じだよ、ラノベにハマったのは。……で、今ではとにかく守備範囲が広くなったっていうか、雑食系に進化したってわけです」
「ふ~ん……この本棚見てると、そんな感じするね。本当に色んなのがある」
うーむと顎に手をやるユメを横目に、俺はテレビを点けた。
「――というわけで、勉強も兼ねてちょっとアニメでも観てみようか」
「アニメって……深夜アニメ?」
「うん。丁度始まる時間だから」と言いつつ、俺は液晶テレビの対面にあるベッドに腰を下ろす。近くで棒のようになっているユメに目をやって、「隣、座りなよ」と勧める。
「あ……う、うん、じゃあ」
少し遠慮した様子で、一人ぶんくらいのスペースを空けてユメが座った。
ふわりと柔らかいベッドに振動が伝わる。俺が寝起きする場所に十七歳になったユメが座っているという事実に、なんだか胸が熱くなる。
昔は身体をくっつけていたから、少しの寂しさを覚えるけれど、これは俺たちが大人になったという証明でもあるのだと思う。
これが、今の俺たちの距離なんだ。
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