第6話 青春と夢のペンタブ
「――――ごめんね。ありがとう。本当に怖くって……」
ユメが、ぺこりと頭を下げた。その度に揺れる長い黒髪につい瞳が奪われてしまう。
「いや、全然いいって」
クールキャラを装っているわけでもないのに、なんでこんなスカシたことを言ってしまうのだろう。ユメと一言交わすたびに、背筋がざわつく。違和感がぬぐい去れない。
ざっとユメの部屋を見回す。家具なんかはウチの物がそのまま使われていたが、可愛らしい小物や、観葉植物が置かれていた。
視線を降ろすと、ダンボールの中身が少しだけ見えた。書籍類をまとめた物のようで、その多くがマンガだった。少年向けも、少女向けもバランス良く揃っている。箱の隅には大判サイズの画集が立て掛けてあった。
ユメもマンガやアニメが好きだった。俺の影響が強いかも知れないけど。
「『鋼の錬金術師』……好きなんだ」
「えっ……! あ、うんうん。好き。好きだよっ」
突然俺が言葉を繰り出すものだから、ユメも大分テンパっているらしく、やたらと身振り手振りが大きい。これで会話のきっかけを作ろうと思った、まさにそのときだった。
部屋の隅に置かれるデスクの上で、光るモニターが目に入る。
画面の中で、可愛らしい女の子がこちらに向かってパチリとウインクを飛ばしている。未だ彼女には色彩が無く、顔以外の部位に関してはかなり大雑把に描かれていた。
これは、イラストを描く前段階の状態、所謂――“ラフ”だ。
色は付いていないはずなのに、その女の子の髪が、服が、勝手に俺の頭の中で色づいていく。
「すげえ……」勝手に声が出た。
心音が高鳴っていく。もう一度デスクの上に目をやると、薄い板のようなものが置かれていた。これも知っている。ペンタブレットというやつで、パソコンに接続してデジタルのイラストを描くことのできる物だったはずだ。
「…………これ、描いたの?」
「あっ……う、うんっ」
恥ずかしそうにユメが頷いた。彼女のその反応を見て、何故だか体温が上がっていく。居ても立っても居られなかった。震えそうになる身体を必死に押さえながら、ユメに向き直る。
「めっちゃ……上手いじゃん!」
再会してから初めて、ユメの瞳を真っ直ぐ見つめながら、素直な言葉を伝えることができた。
「…………えっ、と」
戸惑いの表情を浮かべながら、ぱちぱちと瞬きの止まらないユメ。そんな彼女に気付きつつも、溢れ出てくる想いが止められなかった。
「これペンタブって言うんだよね、これでこのイラストを描いたの? まだラフの段階? オリジナル? それとも二次創作? 一体なんのイラストなの?」
ユメのぽかーん顔が加速する。ヤバい、キモかったかな。
「あっ、ゴメン。突然色々聞きすぎた。ゴメン、興奮しちゃってさ」
「興奮……なんで?」
「え? イラストが描けるなんて、凄いと思ったから」
「……これは、ソーシャルゲームのイラストのお仕事で……キャロルって花の妖精で……」
「ソシャゲの仕事……!? えっ、もしかしてプロなの!? なんてゲーム? 俺やってるかもしれない。っていうかマジですごい可愛いじゃんキャロルちゃん超可愛い」
「ほ、本当? ……ありがとう! なんか、嬉しいなぁ……すっごく嬉しい」
ユメの身体から緊張の糸が切れたのがわかった。そして、隣で一緒にモニターを覗き込む。
「これは『フラワーマジシャンガール』って作品だよ。低レアのキャラだけどね。お仕事って言っても趣味の延長線上でやってるだけだし、今回依頼が来たのだって、たまたまで――」
「すげえっ! 他にも何かイラストの仕事したことあるの?」
「企業も個人も受けたことあるよ。学校もあるし、大々的に活動してるわけじゃないから、多分わたしのお仕事の中ではこれが一番有名なタイトルかな。別にそんなに凄いことじゃ――」
「何言ってんの! それでも凄いよ! まだ十七歳なのに」
「そ、そんなに言われると……照れるっ」
ユメも俺と同じように興奮気味だった。
「実際絵を描き始めてどれくらいになるの?」
幼い頃、二人でマンガを描いていたことを思い出しながら、俺は質問した。
「イラストは小さいときから描いてたけど、デジタルに移行したのは中学生かな。SNSでイラストを上げ始めたのはここ最近だけど。そしたらお仕事の依頼が来るようになって」
「すげえ!」
「ふふ、さっきからそればっか」
ユメにくすくすと笑われてしまう。さっきから、俺の頬は上がりっぱなしだった。
「俺、イラストそんなに詳しくないけど、凄く才能あると思う。だってラフのキャロルちゃん見たとき、なんか色が見えたもん。こう、ドバッーと」
「そんなに言ってくれるなんて嬉しいな。すっごく恥ずかしいけど」
「ネットで活動してるんなら、結構人気ありそうだけど。フォロワーとかは何人くらい?」
「えっと……一二〇〇人とかくらい? わたし、自分が気に入ったやつしか上げないから、あんまり枚数公開してないし」
「凄すぎ……他のイラストも見てみたいな」
「ええ~、やだよ!」
「な、なんで!」
「は、恥ずかしい……から」
結局、ユメはイラスト投稿サイトである『ぴくもっぷ』のマイページを見せてくれた。
そこにはユメが過去に描いたであろうイラストが掲載されていた。先ほどのキャロルを見た後だと、最初に描いた一枚目からは少し素人臭さを感じたが、それでもイラストを描いた数だけ彼女の技術は向上しているように思える。マンガやライトノベルと同じように、ユメのイラストが本屋に平積みされていても俺はまったく不思議に思わない。
「いやー、これはもっと本腰入れてやったほうが良いと思うな。フォロワー万人越えの人気絵師の一人になれるって」
いつの間にか俺はデスクチェアに腰を下ろし、偉そうに腕を組んで語っていた。ユメとの会話が楽しくて、次から次へと喋りたい言葉が浮かんでくる。
「そうかなあ。でもわたしは趣味で描けるだけで満足で……」
「いや! 絶対に勿体ない! 才能ある者がその才能を無駄にするなんて、それは罪だよ!」
「ふふ、なんかすっごい熱くなってる……わたしのことなのに」
「うん。なんかさっきから身体が熱い。すごい汗掻いてる。脇汗とか凄いかも」
「やだぁ」
俺とユメは二人で笑い合っていた。まるで、昔のような気軽さで、途中まで彼女が異性であることすら忘れていた。それくらい俺は彼女のイラストに目を奪われていたし、彼女の才能に当てられたし、彼女の現在の境遇にも興味を引かれた。
――俺が行きたいと想っても行くことのできなかった世界に、ユメは片足を突っ込んでいる。
それが途轍もなく羨ましくて、同時に憧れた。俺は、夢を見続けることができなかったから。
やりもしないで、諦めた人間だから。
改めてユメの描きかけイラストに見惚れていると、隣で立っていた彼女がもじもじしていた。
「…………その」
「ん? あ、ごめん。座っちゃってた」すぐ立ち上がり、ユメにデスクチェアを向ける。
「ああ、違くて……その」
「…………?」
ユメは、偉く言いづらそうに口ごもりながら、
「…………ぁ、……アオハルはさっ」
ユメが俺の名前を呼んだ。びくっと身体が反応する。そうして呼ばれたのは、きっとあの日。俺がユメに酷いことをしたクリスマスイブの日以来だった。
「マンガとか……もう描いてないの?」
ユメの声は、若干震えていた。前髪で表情を隠しながら、身体だけをこちらに向けている。
「……描いてないよ」
ユメは手持ち無沙汰に片腕をさすりながら、「そっか」と小さく呟いた。
そんなユメの言動を目の辺りにして、俺は何故だか後ろめたい気持ちになった。
「……漠然と小さい頃からの将来なりたい夢の一つではあったけど、職業としてのマンガ家を選ぶなんてこと、中学を卒業する頃には選択肢の中に無かったよ。物語自体は媒体問わず好きだけど、俺は絵が上手なわけじゃないし、趣味だけでやっていけるほどのモチベーションも無かったしさ。マンガ家なんて……なれるのはたった一握りの存在だし、例えなれたとしてもマンガを描くだけで食べていける人はもっと少ないと思うよ」
さらに付け足す。「全然、現実的じゃない」
「……そうなんだ。昔は……あんなに好きだったのにね」
「今だってマンガは好きだよ。物語を考えるのだって好きだ。夢見がちな創作活動はやめたってだけだよ。大人になったんだ、多分」
まるで、自分自信に言い聞かせているようだった。
――俺は知ってる。夢は、追いかけていれば絶対に叶うわけじゃない。
夢のために必死になればなるほど、ダメだったときの反動は大きい。だったら、夢なんて見ないほうが良い。結局、挑戦さえしなければ嫌な思いをすることもないんだから。
物語は、きっと消費者として触れるのが一番楽しいんだ。
「……今からでも、やってみればいいのに」
ユメは少しだけ肩を下げながら、残念そうに言った。
「今からって…………」
俺はもう高校三年生だ。本当なら受験勉強に躍起になっているべきはずだ。
「今更マンガの勉強をしたところで無理に決まってる。大学通いながら活動するにしたって、就職活動の時期までにデビューできなかったらフリーターになるしかないじゃん。兼業マンガ家もいるにはいるけど、身体壊したりしたらどうするのさ。そもそもマンガはアシスタントとか雇わないといけないし、紙とペン以外にも色々金がかかるよ。それでヒット作が出せなかったらすぐ打ち切りにされちゃうし……そんなのリスクが多すぎる」
気が付くと、ユメに対して不満をぶつけているような形になってしまっていた。
「……俺は、将来を棒に振ってまでマンガ家になりたいとは思わない」
――俺は何を熱くなってるんだ。
そんなことなど知りもせず、ユメは遠い目をしながら語る。
「アオハルの作るお話、面白いのにな。わたしね、あれが好き。『カイジュウウォーズ』」
二頭身の恐竜キャラたちが、ライトセーバーを持って悪と戦う壮大なスペースオペラだ。主人公の世代交代システムを導入した初めての作品だった。画用紙に一枚絵と台詞を書き込んでいく絵本スタイルの物語だった気がする。
「いや、流石に……あれは……」
完全にパクりですよすいませんね影響受けやすくて……ていうか良くそんなもの覚えてたな。
「なんかね、アオハルは主人公たちが持ってる武器に凄いお熱でね、いっぱい作った設定とぐちゃぐちゃの下書きをわたしに見せてくるの。一人ひとり武器のデザインが全然違うから、書くときは気をつけてね! って言われたこと今でも凄い覚えてる」
「そんなこと……言ったかな」
いや言った。でも恥ずかしすぎて知らんふりしかできない。もうやめてくださいユメさん!
「……あっ! わたし良いこと思いついたよ!」
突然明るくなった表情のユメがぱかっと口を開きながら、キラキラした瞳で俺を見つめてくる。子供の頃から何度も見てきた悪戯っ子の笑みだった。
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