第5話 幸せを運ぶゴキブリ
朝食を食べていると、身支度を終えたユメが降りてきた。セーラー服のスカートを揺らしながらダイニングテーブルまでやってくると、お尻にそっと手をやりながら席に着いた。
「…………おはよう」
「…………うん」
うんってなんだよ。おはようって言えよ! しかし心の葛藤も虚しくそれ以降の会話は無かった。黙々と二人で朝食を食べる。昨日のことがあったせいか、今日はとことん気まずい。
絶対にバレないレベルで、チラリとユメのほうを一瞥する。風呂場で目が合ったときと雰囲気が少しだけ違う。
――化粧するようになったんだな。
高校生にもなれば女子生徒も軽めのメイクくらいはするのだろう。ウチのクラスの連中にも、している奴は多い。
と、そこで俺の頭にとある問題点が浮かんだ。
あれ、このまま行くと――俺とユメは一緒に登校することになるんじゃないだろうか。
それ自体は正直途轍もなく嬉しい。女子と一緒に学校に行くだなんて、まるで恋愛アニメみたいな展開じゃないか。でも、そんなの耐えられると思いますか? 今の俺に。否、無理ですね。味噌汁を啜りながら、俺は彼女との登校時間をずらすことを決心する。
「ほら、アオハルも早く支度しちゃいなさいよ。いっつもギリギリなんだから。二人で一緒に学校行くんでしょ?」
墓穴を用意してくれるな、母よ。
「…………あっ、それは……」
ユメがチラリとこちらに視線を向けてくる。俺は全力で目を反らしてから立ち上がった。
「俺、まだ結構時間かかるし」
そう言うと、ユメも察してくれたらしく慌てたように母親に向き直る。
「えっと、わたしも……ちょっと朝から友達と約束してるから……」
「もうお友達できたの? ユメちゃんって社交的なのねえ。ウチのアオハルとは大違い」
ケラケラと笑う母親を尻目に二階へ上がり、身支度を開始した。
ユメは、無事に家を出たらしい。なんだかほっとする。
* * *
教室に到着すると、ユメは窓際最後列の主人公席である俺とは真逆の席で女子トークに花を咲かせていた。とりあえずクラスのみんなと仲良くやれているようで良かった。
鞄を机にかけると、どっと疲れがやってきた。机に突っ伏しながらホームルームのチャイムを待っていると、俺の頭にリュックが乗っかった。
「ふぁっきゅーあいらーびゅー。昨日、ケモケモ寝落ちしたっしょ」
リュックを退かして顔を上げると、不機嫌そうな表情のチアキがそこに居た。ケモケモというのは、俺たちがプレイしているMMORPGのことだ。正式名称を、ケモケモファンタジー14。
「あー、ごめん」
「まったく、あのあと大変だったんだぞー! ダンジョン回そうねって話してたのにいつものメンバー解散になっちゃうし、その後あたしがソロで行ったパーティーはめっちゃギスりまくるしさ。絶対あいつ掲示板で晒されてると思う。†クラウド†とか言う人、本当最悪だった」
「†クラウド†はヤバいな……」
「マジマジ。スクショ撮っといたから、今夜送っとくね」
「頼むわ」
チアキと話していると自然と気持ちが軽くなった。チアキはいつも楽しそうに話をしてくれる。だから、チアキと二人で居るといつも居心地が良い。ムカつくことも多いけど。
「で、どしたの? 今日はいつにも増して可哀想な感じだけど」
「何その言い方。めっちゃ寂しいヤツみたいじゃん俺」
「え? 実際そうじゃない。アオハルあたししか友達居ないじゃん」
「痛って……傷付いた……心臓を無数の刃物で無残にも斬りつけられたわ……」
「いいから、そういうの」
むすっとした表情でチアキに視線を送ると、何故だか彼女もこちらをじっと見つめてきた。
普段あまり意識もしていないが、チアキは性格も明るく親しみやすいし、嫌みが無くサバサバしているからか男女問わず人気がある。幼い雰囲気の顔立ちもなかなかどうして可愛らしい。そんな彼女に見つめられると、それはそれで気になってしまう。
「さっき転校生のことじーっと見てなかった?」
「は!? み、見てないけど?」
「…………ふうーん」
「なんだよ、その間は」
「べっつにー」
唇を尖らせたチアキに「おいこのオクトパス野郎」とツッコんでやると、「透明色の炭吐くぞこら!」と唾を吐く体勢に入り始めた。
「汚ねっ! ふざけんなてめ、女子だろうが!」
「現代のJK……舐めんなよ?」
「お前の将来が心配だわ……」
チアキは「うっさい」と笑ってから、俺の髪の毛を一本引き千切って行きやがった。
悲鳴を上げる俺にクラス中の注目が集まる。それを見ていたチアキが楽しそうに「じゃあまた今夜ね」と手を振ってきた。
その台詞、なんかエロく聞こえるからやめて下さい。
* * *
魂でも抜かれたみたいに自室のベッドに倒れ込んで、油ぎった眼鏡を外し、目元を摘まむ。
――他人のことで、こんなに頭を働かせたのは久しぶりだ。
ホームルーム。授業中。休み時間。放課後と――隙あらばユメの後ろ姿や横顔を盗み見ていたけど、……本当に綺麗になったと思う。素直に可愛いな、女の子だなって思う。クラスの男子連中も放っておかないだろう。ユメは明らかに美少女に分類されるルックスだ。
――彼氏とか、いるんだろうか。
昨日母親が質問していたせいか、気になってしまう。この同居を機会に昔みたいに仲良くなって、ユメと付き合ったりするという神展開は訪れないものだろうか。
「はあ……」とても辛い溜息が漏れ出る。
本当に気持ち悪い奴だな俺は。久しぶりに会った幼馴染が可愛く成長していたからって、最低なことばかり考えてる。ユメの中身が、俺が好きだった彼女のままだとは限らない。いや、寧ろ現時点でかなり性格は変わってるように見える。それは、俺も同じだけど。
結局、外見だけしか見てないじゃないか。俺が普段小バカにしているような、そこら辺のDQN連中となんにも変わらない。それどころか俺はユメの心に傷を負わせた悪人だ。こんなことを考える資格は無いし、ユメに近づこうだなんて気がどうかしている。
俺は最低だ。だけど――それでも。
「…………謝らないとな。…………そこだけは」
自分自身に言い聞かせるように。ゆっくりと、はっきり言い切った。
眼鏡をかけ直し、身体を起こそうとしたときだった。
「わっ……わぁああぁぁ!!」
素っ頓狂で甲高い悲鳴が家に響き渡った。そして俺の部屋の扉が突然開き――、
「ゴキブリ!! ゴキブリ!! ゴキブリ!!」
まるでこの世の終わりを見て来たような表情のユメが、その名前を連呼してきた。
「え……!? はっ……?」
ベッドに寝そべりながら、ぽかんとした顔でユメを見上げる。大分焦っているようで、元々大きかった瞳がさらに見開かれている。
「…………ゴ、ゴキブリ……が、出たのっ…………」
俺と目を合わせてから、ユメは気が付いたように乱れた黒髪をささっと撫でつけた。やがて俺から視線を微妙に外し、小さく唇を動かす。
「…………その、やっつけて……ほしい」
「……いいけど」
自然と出た言葉がそれだった。俺の声音は少し低めで、もしかしたら冷たい人間だと思われてしまったかもしれない。もっと明るく返せないのかこのバカたれめ!
俺は何事もなかったかのようにベッドから起き上がり、ユメの部屋まで歩いた。急いで出てきたせいか扉は開きっぱなしのままで、部屋の中が見える。まだダンボールでいっぱいだった。
彼女が昨日眠ったであろう部屋。そう思うと、この部屋だけ我が家じゃないみたいだ。
とりあえず廊下に常備されている撃退用スプレーと、新聞紙ソード、トイレットペーパーを調達し、戦地に赴く俺。
後ろを振り向くと、ユメが開いた扉からひょっこりと顔だけ出して様子を窺っている。
「ベ、ベッドの下……!」
ぴしっと指を指しながら、必死に訴えかけてくるユメ。
「とりあえずやってみる」
ドキドキしながら、スプレー缶のボタンをプッシュ。
「…………やっつけた?」
いつの間にか、ユメは俺の横で顔を傾けていた。
「いや……わからな――」その瞬間。カサカサ――と黒塗りのボディの触覚野郎が姿を現した。
「わっ! うわあああああぁ!」
ユメはまるでダメージを受けたときの戦闘ボイスみたいな悲鳴をあげながら、俺を盾にしてゴキブリから身を隠す。俺はだんだんゴキブリよりもユメのほうが気になってきた。
「ぬわわわわぁ! なんかコッチ来たんだけど! 凄いコッチ来たんだけど! やだ!」
「お、落ち着きなって……多分、声に反応してんじゃないかな」
「えっ……!? そなの? ……なんかわたし……恥ずかしい……ってまたきたぁぁ!!」
その後もゴキくんがカサカサするたびにユメのバカデカい声が我が家に響いた。
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