第4話 あの日のクリスマスイブ
零時過ぎ。俺は照明の落ちた部屋の中で、天井を見上げながら小さな溜息ばかりついている。結局あれ以来ユメと顔を合わせるのが気まずくて、風呂とトイレ以外でこの部屋を出て行くことができなかった。
「ユメの……裸」
少し頬を緩めながら一人でぼやく。ここだけ切り取られるとただの変態である。
瞼を閉じれば、思い浮かぶのはユメの柔らかそうな裸体のことばかりだった。制服の上からだとわかりにくいが、女性らしい体つきをしていた。胸も結構大きいように思えた。腰のくびれもキュッとしていて、お尻のラインも実に扇情的で……って、俺は何を考えている!
がばっと身体を起こして、煩悩を頭の中から振り払う。……そして思う。
――普通の女の子になってるんだな。
当たり前のことだけど、心も身体も彼女は十七歳になっている。胸だって膨らんでいるし、全体的に身体が柔らかそうだ。男の俺とは体格がまったく違う。それはなんでもない当然のことだ。男と女で身体が違うなんて、小学生でもわかる。
だけど、俺にとって、それはとても大きなことで、大事なことに思えた。
「もう、俺の知ってるユメじゃないのか」
そんな言葉が出たことに驚いた。未だに俺は昔の彼女を重ねようとしているらしい。
もし幼い頃の彼女のような面があれば、俺だって少しは積極的になれたかもしれない。上手に会話だってできただろう。……でも、無理だ。それは俺らしい保守的な考え方だった。
――今にして思えば、ユメは、本当に愛らしい子だった。
家がお隣同士だった俺とユメは、物心つく頃にはもう友達だった。だから実際いつからユメと仲良くなったのか、一切覚えていない。両親の話では、赤ん坊の頃からお互いの家を行き来していたから、本当に家族のように育ったらしい。
幼い頃のユメは、とにかく俺と一緒に居ることが何よりも楽しかったらしく、いつもどんなときでも仔犬みたいに俺の後を付いてきたし、何をするにも自分もやりたいと真似をしたがった。そして自分の意見が通らないと駄々をこねて泣きじゃくるわがままな子でもあった。
小学生高学年になるまで、俺たちの関係が変わることはなかった。でも、年齢が二桁になってくると男子と女子の区別というものが明確にわかってくる。異性とのふれあいに多少なりとも“恥じらい”を覚え始めるのが普通だ。俺には男の友達がたくさん増えたし、ユメだってそうだった。だから、俺たちが一緒に居る時間は減っていった。
俺はユメのことをちゃんと女子だと思っていたし、ある程度の距離を保つようにしていた。他の友達が居るときは極力喋らないようにしたし、「ユメ」と名前で呼ぶことも控えていた。みんなの前で名前を呼ばなければいけない状況下では「おい」とか「お前」で通していた。周囲の連中に冷やかされるのが嫌だったからだ。
だけど、ユメは違った。
彼女は幼い頃から一切変わらなかった。俺のことを「アオハル~アオハル~」と親しげに呼び続け、周囲の目など気にすることなく平気で飛びついてくるし、放課後は男子の友達と約束があると言っているのに、「じゃあユメもアオハルたちと遊びたい!」などと言うのだ。当然俺はダメだと言った。「どうして?」としょげた表情のユメが未だに忘れられない。まだ小学生だった俺は、その理由を答えることができなかった。
そういった出来事が長く続くと、恋愛話に興味を抱き始めてきたであろうおませな小学生女子から質問されるのだ。
「アオハルくんってユメちゃんのこと好きなの?」
そしてとある日、俺は我慢出来ずに彼女に言った。頼むから、学校では俺のことを名前で呼ばないで欲しい。くっついてくるのも禁止。何か用があるなら放課後にウチに来いと。
そのときのことは今でも良く覚えている。ユメは俺の言葉の意図などまったく理解していないようで、きょとんとしていた。せっかくの決意が無駄に終わったことに落胆しながらも、中学生になれば自然とわかってくれるかな、と俺はどこかで期待していた。
しかし、中学生になってもユメの態度は一向に改善されなかった。
小学校で六年間ずっと一緒だったクラスが初めて別になったせいか、ユメは休み時間には必ず俺の教室へやってきたし、手に入れたばかりの携帯電話はユメの連絡通知ばかりだった。
俺を驚かすために背後から迫ってぎゅっと抱きついてきたり、目隠しをされたり、幼い頃からの行動を未だに辞めなかった。その度に俺は腹が立っていた。でもあまり強く突き放すのも可哀想だったから、できる限りオブラートに包んで「やめろ」と伝えていたが、ユメの対応は一切変わらなかった。当然周囲のクラスメイトから妙な視線を浴びることは日常茶飯事で、俺はそれが死ぬほど嫌だった。
そして、“あの日”が訪れる。中学一年生の冬――クリスマスイブだ。
学校は普通に授業で、ちょうど昼休みが訪れたときだった。教室の扉からにこにこ笑顔のユメが顔をひょっこりと出すと、クラスの連中が「フィアンセが来たぞ」と俺を茶化した。その何気ない一言が俺の何かを刺激したらしく、身体が熱くなったことを覚えている。
俺とユメは、誕生日とクリスマスをお互いの家で祝う決まりがある。それは家同士のしきたりみたいなものだったから、あまり強くは言えなかったし、身内しかいないことから俺も素直に受け入れていた。
だけど――、
幸せそうな表情で教室に入ってくるユメは、背中に何かを隠していた。俺はすぐに感づいた。――クリスマスプレゼントだ。
俺にはユメの行動がとても理解できないものだった。……なんで学校に持ってきてるんだ?
そして俺の席までやってきたユメが言う。
「アオハル~! メリークリスマスだよ! はいっ! どうぞ!」
百点満点の笑みで、ユメは小綺麗にラッピングされた赤と緑の包みを俺の前に差し出した。
「……おおおおお! ヒューヒュー!」
当然のように冷やかしに入るクラスの連中。教室の中は黄色い声援で満たされていた。
「…………」
このときの俺の気持ちを、理解してくれるやつがいるだろうか。
嬉しかった。中学生になっても変わらない関係のまま俺を思ってくれる幼馴染の気持ちが。
俺は、ユメのことが好きだった。
親友で幼馴染であるユメのことを、いつの間にか女の子として気にいっていたのだ。
だけど――、
「…………いらない」
喧騒の中、俺は小声でぼやいた。
「……え?」
「だから、いらないって言ってるんだよっ!」
そしてユメの手元からプレゼントを奪い取り、それを廊下に向かって投げつけた。壁に叩きつけられるプレゼントを横目に、俺は逃げるようにその場を走り去った。
頭の中は真っ白だった。ユメの表情を見ることができなかった。
俺はユメのことを一人の女の子として見ていたのに、彼女は違ったのだろう。俺のことはあくまでも近所の幼馴染で、仲の良い親友。異性として――男として見られてはいなかったんだ。それが――俺は悔しかったのかもしれない。
そして、そのまま流れるようにユメの転校が決まったのだ。
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