第2話 幼馴染って
今朝の転校生は、確かに叶咲夢と言った。
髪型や体つきは大分変わっている気もするけど、あの泣きぼくろに、顔立ち。
「……マジで本人?」
教室の窓に映る自分の姿を見つめながら、一人ぼやく。
本当ならホームルームが終わってすぐに彼女と話したかった。そして“あの日”のことを謝りたかった。授業中に彼女との想い出を夢に見るくらいには後ろめたい気持ちでいっぱいなのだから。だけど……こうもいきなり来られては……その、困る。
瞼にかかるくらい伸びた前髪を摘まみながら、俺は少しだけ憂鬱になった。
今の自分の姿を、ユメに見られたくなかった。彼女と良く遊んでいたときは俺もそれなりに活動的なタイプで、髪もスポーツ刈りで、とにかく爽やかな感じだった。
ところがどっこい今の俺はというと、長い前髪と眼鏡がトレードマークの完全なる根暗野郎。親に髪切れってしつこく言われる系男子だ。
友達だってそんなに多くない。というか……チアキくらいなものだ。そんな奴と幼馴染だったということが発覚したら、美少女になってしまった彼女の沽券に関わる。
教室の隅で、チラリと視線を幼馴染のユメへ向ける。転校初日だというのに、もう女子友達を作って和気藹々と会話の中に溶け込んでいた。
――あの頃は、あんなに俺に引っ付いてたのにな……。
子供の頃のユメはのほほんとした性格だったから、ああいう社交的な場面を目にすると、まるで別人のように思える。そんな光景に少しの寂しさを覚えたけど、もう高校三年生だ。……変わっていて当然なんだ。俺が今の俺であるように。
結局帰りのホームルームが始まっても俺は彼女と一回も会話をしなかった。ロクに顔も合わせてない。だけど……“あの日”俺がユメにした酷いことについてだけは謝りたい。
ユメとの関係を元に戻したいとか、そういうわけじゃなくて、後悔しているからこそ、少し大人になった今だからこそ、そうしたいんだ。一人の人間として。
――本当にできるだろうか。こういうのって、序盤大事じゃない? だったら、もう今すぐにでも突撃して……って無理に決まってるかそんなこと。
はあ、と深く溜息をついたときだった。一瞬、ユメと目が合う。俺は瞬時に長い前髪で表情を隠した。そのまま流れるように、再度窓に映る自分の姿を確認する。
髪、切ろうかな――って何を考えているんだバカか俺は。今のタイミングで髪を短くしてみろ。あいつ美少女転校生が来たから髪切ってきたぞ! なんか可能性感じちゃってるんじゃねえの!? みたいな感じになっちゃうじゃないか。そんなの恥ずかし過ぎる!
ポケットの中でスマホが震えた。どうやらクラスのグループチャット(一応クラス全員が登録しているが、実際は一部の人気者たちの独壇場)にユメが加入したらしい。内容を見る限り、さっそくクラス中の人気を博したようだ。
『みんなよろしくね!』という文面のあとに可愛い犬のキャラクタースタンプが流れてきた。
ふと視線を上げる。ユメを含んだ女子集団は、もう居なくなっていた。
――そうだよ。幼馴染と言っても、今はもう他人みたいなものなんだから。俺がそんなに緊張するのもおかしな話だ。同じクラスなら、いつか謝る機会だってあるだろう。
悩みの種を頭の片隅に放り捨てて、教室の扉まで歩いて行く。すると――、
肩がぶつかった。
「あ、ゴメン」咄嗟に口から言葉が出た。だけど、その相手は――、
「あっ…………」
――幼馴染のユメだった。
「…………」
「…………」
訪れる沈黙。これは想像以上にヤバいぞ。何も言えない。
次第にやってくる焦りから冷や汗がぶわっと出てくる。俺は引きつった笑みを浮かべながら、
「……じゃ、じゃあ」
逃げるように、くるりと身を返す。
「…………待ってっ!」
まさかのユメの叫びに、びくりと身体が固まる。
そっと彼女のほうを振り返ると、ユメは胸に手を当てたまま、ぎゅっと瞼を瞑っていた。
「ま、またね」
そのぎこちない笑顔を見て、不覚にも俺の胸はきゅっと締め付けられてしまった。
* * *
家の前にトラックが止まっていた。
表には母親が立っていて、俺に気が付くと笑顔で手を振ってくる。
「母さん、なんなのこのトラックは」
「おかえり、少年」
何故かニヤニヤしている母親から再びトラックに視線を移そうとしたとき、我が家の中から誰かが出てくる。
長い黒髪が春風に揺れてさらりと靡く。少しだけ短めのスカートを押さえながら、一人の女の子が俺と母さんのところへ。
夕日に反射して潤んだ琥珀色の瞳が、まっすぐに俺を見つめてくる。その魅力に吸い寄せられて、俺は転校してきてからようやくユメと目を合わせることができた。
「ユメちゃん、今日から一年間ウチで暮らすことになるから」
俺とユメの間に立っていた母さんがしれっと言った。
「…………なっ」
「……お、お世話になります」
俺の対面で、もじもじと恥ずかしそうにユメが頭を下げた。
目が点になる。マジで意味がわからなかった。
「ほら、びっくりしてる暇ないわよ。アンタもさっさと荷物運んで」
「ええ、ちょっと待って――まだ詳しい話を」
「え? 何よ、転校の理由まだユメちゃんから聞いてないの?」
「聞いて……ないけど?」
若干ユメのほうを見ながら言ってしまう。……何コレ凄い気まずいんですけど。
「ユメちゃんの御両親ね、海外に転勤するんですって。ほら、二年くらい前に帰ってきたことは話したでしょ? でもまた一年転勤なんですって。もうやんなっちゃうわね、転勤族って」
「二年前に一度帰って来てることすら聞いてないんですけど?」
母さんは、「あら、そうだっけ」とすっとぼけ始めた。言い返してやろうと思ったところで母親の言葉が続く。
「で、たった一年だし、ユメちゃんもやっぱり日本に居たいからってことで、預かることになったってわけよ」
チラリとユメを見上げる。目が合う。恥ずかしくてすぐに反らしてしまう。
そんな俺たち二人の微妙な距離感を知ってか知らずか、母親がパンと手のひらを叩いた。
「はいはい。さっさと終わらせて今日はユメちゃんの歓迎パーティーをやるから」
まだちゃんと挨拶すらしていないのに――そう思いつつも、仕事を振られてしまう。
「……ゴメンなさい。迷惑をかけて」
ユメが申し訳なさそうに小声で言ってきた。返事をするのが恥ずかしかった俺は、せっかく声をかけてくれたのに、聞こえないふりをした。
あれれ、幼馴染ってこんなにも気まずいものだったっけ……?
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