第十一話 訳あり雪うさぎ
先日、美雲さんと約束した花毬屋のお菓子を差し入れしようと店が閉まっている日中に妓楼におつかいとして向かった。昼間の街は静かで、誰一人歩いてはいない。
私がお客じゃないという事がひと目見て分かるように、花毬屋の従業員制服に初めて腕を通した。小豆色の矢柄の着物にからし色の前掛けをつけたスタイル。
どちらも落ち着いた色なので派手でなくてとても可愛い。
「あれ?あかりさん!?」
「ナナちゃんもう起きてるの?早いね~」
店の扉を開けるとナナちゃんがもう起きてフロントの掃除をしていた。訳を話して差し入れを持ってきた事を伝えていると、美雲さんが眼鏡を掛けたでっぷりとしたおじさんを連れて応接室から現れた。
「やっぱりあんたの声だったか!あれ、一人なのかい?」
「今日は美雲さんへのおつかいなので。というか…」
失礼だと分かっているが美雲さんをじっと見てしまう。
ばっちりメイクに髪も綺麗に結い、紫の着物を着て完璧に仕上がっている美雲さん。目が奪われないはずがない。この前のすっぴんの姿でも透明感があって美人だったけれど、今日は妖艶な美女だ。
芸妓ナンバーワンのあやかしが美雲さんだという事は来る前に千鈴ちゃんが教えてくれた。
惚けている私を見て可笑しそうに小さく笑う。その姿も綺麗。
「ちょうどよかったよ。私の上客なんだけど、困ってる事があるらしくてね」
そう言いながら隣のおじさんの背を叩く。とても痛そうな音が鳴った。
「ええと、あなたが西園寺あかりさんですか。私は化け狸の
「い、依頼?花毬屋じゃなく私にですか?」
私の話って何だろうと思いつつも、末吉さんから告げられた言葉にぱちぱちと瞬きをする。
差し入れを厨に持って行こうとしていたナナちゃんも内容が気になるのか立ち止まってしまった。
「はい。私の家に何か住みついてるようなのです」
「…私祓い屋でもあやかしや霊とか専門なので、虫とか動物専門の駆除の人に」
「いえいえ!虫とかではないんです。人の形をしているのに、どこを探しても見つからない。どこかを走っている音が聞こえるのに姿が見えないんです」
「ね?変だろ?きっと悪戯なあやかしの仕業かと思ってねえ」
人の形をしているとなれば確かにあやかしかもしれない。でも姿が見えないってどういう事だろう。
透明人間とかそういう事?そもそも待って、透明人間ってあやかしなの?
思考が脱線し始めた私にまた末吉さんが話しかける。
「もう長らく安眠出来ていないのです。家には家族もいますし…お願いします。もちろん謝礼はきっちりと」
「やります!!」
元気に返事をしたのは私ではない。フロント番のナナちゃんだ。
ぎょっとしている私の腕を掴んで、まるでひそひそ話をするように後ろを向かせる。
「ちょっとナナちゃん!?」
「あかりさん!あのおっちゃん美雲さんの上客やねんで!?そのあやかしが謝礼て、大金に決まってるやん!やり!やらな損やで!」
関西弁でまくし立てられる。
ナナちゃんは私の事を思って依頼を受けろと言う。
確かに自分で自由にできるお金があるというのはありがたいことだし、ここであやかしを助けたら少しずつでも私の事を認めてもらえるだろうか。
気にしてない振りをしながらも、やはり先日のお婆さんの言葉と視線が頭によぎる。
それを振り払おうとぶんぶんと首を振ってから、目の前の末吉さんに向き直る。
「分かりました。その依頼受けます」
そんなわけで末吉さんの家へと来た私。
妓楼から北へ向かって朧車で約三十分。山や田んぼが沢山ある緑一色の景色の中にぽつぽつと茅葺きの家がある場所。
「私の家はこちらです」
案内されたのは茅葺屋根の大きな家。玄関も窓も開け放たれているが、防犯を気にしなくてもいいほど空気も美味しくてのどかな所だ。
その開け放たれた玄関から小さな豆狸が三匹たたっと走ってこちらに寄って来る。
こ、ころころしていてかわいい!
「おとうさんおかえり~!」
「ただいま。お客さんを連れてきたよ。まだ家の中にあやかしはいるかい?」
駆け寄ってきた一匹を抱き上げる末吉さん。嬉しそうに末吉さんに擦り寄る姿は微笑ましい以外の何でもない。
「いるー」
「いるよー」
可愛いらしい声で私たちの足元をくるくると回る。狸ってこんなに可愛かったっけ…。
狸の可愛さを噛み締めつつ袖から白い
「末吉さん、もう家の中には原因のあやかししか居ないんですね?」
「はい。妻は今…今…」
「えっごめんなさい。私何か…」
一気に悲しそうな声色になる。まさか悲しい出来事でもあって、思い出させてしまったんじゃ。
「おかあさんじっかにいったよ~」
「よくあるよ~」
「うん、それでおとうさんがむかえにいってかえってくる~」
「お、お前たち!!」
よく実家に帰るんだ…なんだか聞いちゃいけないような事を聞いた気がする。
慌てて末吉さんが三匹を捕まえようとするも遊んでもらえると思ったのか鬼ごっこが始まった。それを横目に見ながら落ちていた細長い木の棒を手に取る。
「この家の中に…すぐに見つかりそうなのに、本当にどんなあやかしなんだろう」
ガリガリと家を囲うように地面に木の棒で円を描く。所々記号や文字を書いて準備は終わり。
ふう、と息を吐いて集中してから私の力を込める。
すると地面の文字から細長い布のような光が沢山出てきて編むように交差する。
「わー!なにこれー」
「きれいー!」
術が気になったのか鬼ごっこをやめて私の足元に並ぶ豆狸たち。末吉さんは息切れ切れだ。
「これは光の檻、あやかしを閉じ込める術だよ」
「へー!」
今は家よりも断然大きな光の檻をだんだんと縮めていく。あやかし以外には反応しないので、家を壊すことなくするすると家に吸い込まれるように縮む。もうすっかり外から光の檻は見えなくなった。
「あ、居た」
見えないけれど感覚は私にきちんと伝わっている。
檻になにかが引っ掛かる感覚。そのあやかしが逃げないように檻を最小限にして捕まえる。
「捕まえました。家の中に入ってもいいですか?」
「も、もちろんです。どうぞ」
末吉さんの許可を貰って家に上がらせてもらう。感覚を辿って扉を開けると、そこは囲炉裏のある居間だった。
「…え?」
たしかに捕まえた、今も捕まえている手応えがある。なのに。
「いない…?」
見渡す限り妖の姿はない。もしかしてどこかに隠れているのか、と家具の上や横を探すも居ない。
どうして?逃がした?もし悪いあやかしなら、とサアッと青ざめる。
「ねーなんかいたー」
「!」
その声に振り替えると豆狸の中の一匹がころころと白い何かを転がして遊んでいた。
よく見るとそれは見知ったもので。
「う、うさぎ?」
お饅頭ほどの小さなうさぎがぷるぷると震えていた。白い体、赤い瞳。
その体にはしっかりと光の檻が巻き付いている。ということは。
「雪うさぎとは気が付きませんでしたな…なるほど、気が付かないのも納得です」
「雪うさぎって冬に見かけるものですか?」
「はい。東の国のあやかしですが北の国に限りなく近い小島に住んでいるんです。ただその島から出るなんてことは滅多に聞かないですが…」
隠世では雪うさぎもあやかしの一種なんだ。随分可愛いあやかしだなあ。
床に転がって身動きできない雪うさぎを手に乗せる。ひんやりしているが溶ける様子はなくて少し安心。
「ねえ、喋れる?」
「……」
「急に捕まえてごめんね。でもなんでこの家に住み着いたか聞きたいの」
手の上でもごもごと動く姿は不謹慎ながらとても可愛い。緩みそうになる頬を引き締める。
「…僕はまだ死にたくない!」
小さな白い体から発せられた言葉。それは心の底からの願い。
手から逃れるように必死に動いてぽてっと畳の上に落ちる。逃げ出したいのだろうが術のせいで思うように動けないのだろう。
「今無理に動くと光の檻に妖力奪われちゃうよ…!」
「まだ死ねない、死にたくない、いやだ」
こちらの話が耳に入っていないのか混乱したように呟いている。
その近くに末吉さんが座りこむ。
「なら、あかりさんに守ってもらうといい」
末吉さんの提案に目を丸くする。思わず膝立ちの姿勢から正座に。
「西園寺という祓い屋のことは知ってるかい?」
「…知ってる、田舎の村でも噂が流れてる」
「その末裔の娘さんだよ。ただ、この子は良いあやかしには危害を加えないお人だ」
すると赤いつぶらな瞳が私をじっと見る。
「僕を殺さない?」
「そんなことしないよ。君が悪いあやかしなら、考えなきゃいけないけれど」
「僕は悪さをしない。この家も、安心できたから隠れさせてもらっただけ…」
どことなく反省しているような雰囲気に、すっと術を解く。
急に動けるようになった感覚に驚いているのか、ぴょこぴょこ畳の上を跳ねて確認しているかと思えば私に向き直ってぼふんと人の姿へ変化した。
白い肌に白い髪、赤い瞳を持った幼い子供の姿。まだ十歳ほどだろうか?見た目ではリュカと同じくらいだ。
「…僕の名前は
目の前に小指を出される。これはもしかして指切りだろうか。
あやかしでも指切りするんだ、と親近感を覚えつつ自分の小指を絡める。
「いいよ。指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
「嘘ついたら本当に飲ませるからね」
なんだろう。破る事はないけれど、あやかし相手だからか言葉の重みが違う。
「末吉さん、とりあえず花毬屋に戻ります。私も居候の身なので」
「わかりました。本当にありがとうございます。今朧車を呼んできます」
電話を掛けに隣の部屋へ行った末吉さんに豆狸三匹もついていく。
ふわっと開け放たれた縁側から風が入ってくる。だけど今日は暑い。妓楼への道も暑くて汗ばんだくらいだ。
「ねえ、暑くない?雪うさぎって寒い所に住んでるんでしょ?」
大人しく隣でちょこんと座っている真白くんに話しかける。
この辺りは寒くないし、住みにくいのではないだろうか。
「…これ」
私の問いかけにきょとんとしたあと、真白くんの手の平で淡い水色の光が溢れたと思ったらそこには氷のイヤリングが二つ。
宝石のようにキラキラしていて見入ってしまう。
「つけたらいいよ。溶けないし、涼しいから」
「私に?」
「あかりは髪を上げてるから良く似合うと思う。体温調節してくれるから便利だよ」
さらりと褒められたような気がする。二重の意味を込めてお礼を言い耳にイヤリングをつけた瞬間ひんやりとした冷気が体を包んだ。先ほどまでの熱気が逃げたみたい。
すごい、なんて便利なんだろう。よく見ると真白くんも両耳に小さく丸い氷のピアスをしている。
北の国に近い小島に住んでたのに、何でこんなところにまで一人で来たんだろう。さっきの様子だと悪さをしに来たわけでは無さそうだし多分訳ありなんだろうな。
「お二人とも、朧車がもう来ますよ」
相変わらず早い朧車の到着に、慌てて家から出る。
別れる時に真白くんが末吉さんに謝って、この事件は円満に解決した。
帰りの朧車の中では黙っている時間が続いたが、ぐう、という真白くんのお腹の虫が鳴いたことをきっかけに好きな食べ物の話など他愛も無い事を話し始めた。
すっかり夕方になり、花毬屋に着くころにはお互いもう遠慮なく接するようになっていた。
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