第九話 不思議なあやかし

 目が覚めて飛び込んできた光景は天井の木目。視線だけ動かして周りを伺う。

 意識を失う前の応接間ではない、どうやらどこかの一室に寝かされているようだ。


「外傷は無し。ひとまずはよかった…えっ?」


 起き上がろうと手をついたとき、袖から何かがバラバラと畳の上に落ちる。よく見るとそれはこの街に入るときに旭様に貰ったお面の破片だった。

 見事にまあ、バキバキに割れている。倒れた時に全体重で乗っかってしまったんだろうか。

 

「弁償かなあ、なんだか高そう」


 破片を全部集めるも、このまま持って移動するには少々危険だ。

 包めるものなどないだろうかと部屋を見渡しても本当に何も置いていない。

 

「あれ?」


 他の部屋に何かあるかなと部屋の隅に破片を置いて部屋を出ようとするも、開かない。そう、襖がびくともしないのだ。

 初めは指先で何かが引っ掛かっているのかと伺うように力を入れていたが開く気配がなく、最終的には体が斜めになるまで力をかけるがうんともすんとも。指の方が痛くなってきた。

 ど、どうなってるの。


「誰か!いないの!?」


 叫んでも返事はない上に、襖を叩いても反響しているような音も聞こえない。

 どうしよう、ここがどこなのか検討もつかない。女の子一人で私を運ぶとすればそんなに遠くまでは連れて行けないとは思うけれど。

 ただ、自分に忠実で口の固い力持ちなあやかし、朧車などに乗せられてしまえばどこへでも運べてしまう。どれほど眠っていたか分からないから、とても遠くまで運ばれていたりすると。と考えると急に不安に駆られる。


「……ん。何この匂い」


 燻った香りが鼻を掠めた。そして周りからぱちぱちと小さな音がする。嫌な予感がして振り向くと、さっきまで何ともなかった部屋が火に包まれていた。

 天井にも届きそうな火がメラメラと立ち上り四方八方を埋め尽くしている。

 ほんの少し。ほんの少し襖の方を向いていただけなのに何この有様は?


「ちょっと、出して!火事だと私以外も危ないでしょ!?ねえ!!」


 私の他にこの近くにあやかしが居るかは不明だけれど。こんなところで焼死なんてたまったもんじゃない。

 どんどんと襖を叩くも本当にびくともしない。火は回る一方で焦りが出始める。一か八かこの部屋自体があやかしかもしれないと疑って術を使ってみる事に。

 私の術は対あやかしで対建物ではないけれど、もう藁にも縋る思いだ。大和さんに使った術を襖に向かって、穴が空けと念じながら使うもその思いは虚しく消えた。

 襖にもどこにも穴は空いていない。


「だ、だめか…」

 

 火花の音が大きくなり慌ててお面の破片を手に取って火の回りが一番遅い部屋の真ん中に立つ。

 部屋中に火の手が回るのは時間の問題だろう。火柱はもう私の背を超えて、じりじりと私を追い詰め蠢いているように錯覚する。

 熱い、もうだめかもしれない。まさかあやかしの世界に来て死因が焼死なんて。花毬屋の全メニュー食べておくんだった。

 後悔が浮かび始めたところで、いよいよ火が目の前に迫ってきて意識も朦朧としてくる。息も荒くなって目の前が大きくぐにゃりと歪む。ああ、ここまでか。


「………あ、れ」


 熱さがない。それどころか爽やかな風が頬を撫でる。

 そっと目を開けば燃えていた部屋はそこにはなく、どこまでも広がる野原だった。足元はふかふかした芝生。その上に裸足で立つ私。

 どこからか鳥のさえずりが聞こえる。

 呆然としながらくるりと後ろを見ると、真後ろに男性が立っていた。それもぴったりと。


「ぎゃあ!?」


 我ながらとんでもない悲鳴が出た。

 咄嗟に距離を取ろうとするも足がもつれて尻もちをつく。真後ろに立っていた男性をおのずと見上げると、その男性も前かがみになって私を見下ろしてきた。


「誰ですか!?」

「誰だ君は?」


 目の前の男性、何かのあやかしと声が重なる。

 深緑の袴に袖なしの灰色の羽織。羽織と同じ色のくたびれた丸い縁付きの帽子。全体的にくすんだ印象を持ち昔の小説家や探偵をイメージさせるが、それを着ているあやかしがとんでもなく美人だ。

 膝あたりまである銀色の長い髪は毛先に向かって水色を含んでいて、肩の辺りで緩くひとつに結んである。額には丸い水色の宝石のようなものがひとつ埋め込まれて、その左右に紅でツタのような模様が描かれている。金縁の丸眼鏡の奥にある瞳は光の加減で黄色にも緑にも見える。不思議な色。


「あ~。妖術の気配がして親が子供を叱るために閉じ込めたかな~って思ってたけど中から妖術じゃない妙な気配を感じたからね~。つい手を出してしまったよ」


 笑いながらポリポリと帽子の上から頭をかく。


「あ、あのあなたが助けてくれたんですか?」

「まあ、そうなっちゃうかな。ダメだよいい歳して親を怒らせちゃ」


 まるで子供に言い聞かせるような言葉使い。まさかこのあやかしは私が悪さをしてここに閉じ込められていたと本気で思ってる?


「親に閉じ込められたなんて可愛いものじゃないです!狐に閉じ込められて、あやうく焼死するところで…!」

「おや、それは大変だったね」

「思ってないでしょ絶対」


 しゃがんで私が落とした仮面の破片をちょいちょいとつつきながら話を流し聞きしている。

 どこか掴みどころがない、なんなんだろうこのあやかしは。


「でもあの術の感じだとまやかしを見せられてたんだよ君。その炎も本物じゃない、きっと驚かせるためのものだよ」

「え…でも実際に熱かったです!」

「錯覚させるものだからね~。じゃあ物は燃えてた?天井は崩れてきてたかい?」


 その言葉にハッとさせられる。たしかに熱かった、噎せそうなほど炎は大きかった。

 だけど壁や襖、天井は?燃えていなかった。お面だって燃えていない。

 口に手を当てて考えている私を面白そうに見て質問を投げかけてくる。


「それで?君はどこから来たんだい」

「え、あ。狐の営む妓楼に居たんですけど、その時に色々あって…」

「へえ。君は芸妓だったか!いやあ~、審査が緩くなったのかなあ」

「違います!というかさらっと貶した!?」


 ニコニコとしている笑顔もどこか胡散臭く思えてきた。

 目を細めて警戒心剥き出しで相手を見ていると、お面の破片を一つもって立ち上がった。そして私の前に立つと破片にちょんと人差し指を触れさせる。


「さあ、ご主人様のところへお帰り。君もね、西園寺あかりくん」

「えっ」


 あなた私の事知ってたの。と聞く前にだんだんとそのあやかしとの距離が離れていく。

 周りの空間が歪み目まぐるしく変わるのに、体感はまるで水の膜の中にいるように緩やか。私の周りにも割れた破片が浮いている。その膜がぱちんと割れた感覚がした瞬間、重力が一斉に圧し掛かってくるように私はどこかに放り出された。


「きゃっ!?」

「い、いたた…」


 後頭部にふかっとした感覚と、体の上にばらばらと破片が落ちてくる感覚が同時に来る。強めに放り出された割には痛みはない、そしてまた見えるのは天井の木目とぶら下がる小さなシャンデリア。それには見覚えがある。

 四方八方の壁には金色が見える、という事はここは。と視線をさ迷わせていると突然顔を覗き込まれる。


「!?」

「…あかり?」


 聞きなれた声に、見慣れた顔。言葉の通り飛び起きる。

 そこは妓楼の応接間で向かい合うソファに旭様とミキという子が座っていた。さっきの女の子らしい悲鳴はこの子だったんだ。


「な、なんで、どこから…閉じ込めたはずなのに」


 旭様の座る長いソファに突然私が飛び込んできたからか、少し声が震えてお化けでも見るような目を私に向ける。


「独特なあやかしが助けてくれたの。というか旭様が居るのに、そんなこと言っていいの?」


 確かこの子は旭様が好きだったはず。その前で閉じ込めたなんて言ったら自分が犯人ってバラしたようなもの。

 

「今ちょうどその話をしていたのだ。あかりが姿を消して半日ほど経つからな」

「えっ。そんなに!?」


 でもたしかに野原に降りた時、外は青空だった。ということは眠り薬であの部屋で朝まで熟睡してたって事?ず、図太いな私。

 

「あかりが体調が悪くなったから、俺に告げず先に帰ったと昨夜言ってきたがあれは全て嘘なんだな」

「……は…はい…」


 可愛そうに思えてくるくらいか細い声で返事をする。視線は自分の膝のあたりを見ているようで耳と尻尾はぺしゃんと元気がない。今にも泣きだしそうだ。


「あかりが俺の嫁だと知っての行動か?そして、大天狗の孫だとも」

「あ、あの…それは…」

「何だ」


 何か言おうとしたが淡白な声の旭様が聞き返すと、視線を横に流して脅えたように黙り込んでしまった。空気がとてつもなく重い。

 あと私と旭様って婚約者のはずなのにもう堂々と嫁って言いきったな今。


「これは大問題だな。報告させてもらう」

「そっ、それは!」

「待って旭様。夕霧様には言わないであげてください」


 だんまりな態度に痺れを切らした旭様がため息をついて立とうとするが袖を引っ張って阻止する。

 その私の行動にいち早く反応したのは旭様ではなくミキという子だった。涙を大きな目に溜めて、羞恥と怒りで顔が赤くなっている。


「なによぉ!情けをかけたつもり!?」

「そんなつもりないよ。だって実際に怖い思いはさせられたもの」

「ならどうしてよ!屈辱を与えて楽しんでるのねぇ!?」

「話を聞いて。好きな人の前で自分の罪を認めることはとても勇気がいる。その勇気は凄いことだと思う」


 今回は旭様がほぼ犯人に目星を立てていたみたいだけれど。

 私にした行動を探って行けば旭様の事が"好き"というただその強い気持ちから来るものだ。その気持ちが少し歪んだ方へずれてしまった。


「あかり、甘いぞ」

「いえいえ旭様。私もタダでは許しません」

「んん?」

「狐の右腕っていう立場のこのミキちゃんに貸しを作っておけば、いずれ何かの力になってくれるかもしれませんし」


 唐突に告げた内容に、旭様も目を真ん丸にしている。ミキちゃんもあれほど勢いが良かったのに固まってしまった。

 とても良い案だと思ったのだけれど。


「なんというか…したたかだな。あかり」

「な、なんてやつなのよぉ」


 口元を袖で隠して私を見つめる旭様に、赤かった顔は今や青い顔でおののいて私を見るミキちゃん。

 術も何も使っていないのにあやかしを脅えさせる事ができてしまった。なによなによ、旭様だっておじいちゃんに何か貸しを作ってたくせに!


「ほら!とにかく私は無事、ミキちゃんも私も旭様もいつも通りの日常に戻るの!解散!」


 ぱんと手を叩き破片を拾って袖に入れ、旭様の手を引いて外へ出る。すでに太陽が高く昇っていて賑わっていた夜の街は眠りについていた。

 堂々と道の真ん中を旭様に背中に手を添えられて歩きながら袖からお面の破片をひとつ取り出す。


「旭様ごめんなさい。お面ダメにしちゃって」

「なに気にするな。それより、あかりの事を助けてくれたあやかしとはどんな奴だ?礼をせねばな」

「変わったあやかしでした。掴みどころがなくて、でも私の事は知ってたみたいでした」

「そりゃあ、あの新聞を読めばあかりの事は皆知っているだろう」


 何故か得意げな顔をする旭様。そういえば。


「旭様、新聞記者に私の事嫁って言ったんでしょう?婚約者じゃなかったんですか!」

「婚約者のその先は嫁だろう?」

「形だけって言ったじゃないですか!嫁と婚約者は私の中ではだいぶ違います!!」

 

 まったく悪びれていないし、むしろ純粋すぎる目を向けられる。

 朧車が待つ門の外まで、私たちはずっと嫁と婚約者の違いで口論していたのだった。

 そのために私を助けてくれたあの不思議なあやかしの事は二人とも自然と忘れてしまっていた。

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