第八話 狐の楼主
空気に飲まれそう。独特な雰囲気で賑わう街の端を歩きながらそう感じた。
どこからか香る甘い香り、酔った男の笑い声、琴や三味線の音も聞こえてくる。すれ違う狐のあやかしたちはやはり皆美人で可愛い。ふらふらと歩くあやかしにぶつからないように旭様について歩く。
「ん?」
年季も存在感もある建物が多い中、カフェのような外観のお店がひとつあり目が自然とそちらを向く。
この街の雰囲気から浮いていると言えばしっくりくるが、その店には長蛇の列ができていた。店の看板には『コンコン浪漫』と書かれている。かわいい名前だ。
飲食店なのかな、狐が経営するお店ならやっぱりお稲荷さんとかが主だったり。
「あかり、着いたぞ。何があるか分からんからな、警戒はしておけ」
「あっ、はい!」
危ない危ないぼーっとしてた。勝手な想像をかき消してとある建物へと入る。
外観は三階建てで、大きさはもちろんあちこちに提灯がぶら下がっているため夜の街でひときわ目立つ。看板は掛かっておらず、なんという名前の店なのかは分からなかった。
「いらっしゃいませ~!」
青く長い髪をポニーテールにした女の子がお店に入った私たちに駆け寄ってくる。頭にピンと立った耳がついている、この子も狐だろうか?
履物を脱いで赤い絨毯に上がるとその女の子が靴を下駄箱にしまってくれる。蓋などがついていないものなので履物の数でどれだけ賑わっているかが分かる。あと五人来たら下駄箱は満員だ。
「本日、
聞こえた言葉に「お」と反応する。内容ではなくイントネーション。まるで関西弁のようだ。
「ああ、いえ客ではなく夕霧に用がありまして」
すっとお面を外してにこやかに笑う旭様。顔を見せた方が早いと思ったのだろうか。お面の下を見て旭様!と嬉しそうに声を上げる。
受付にある内線で確認を取ってくれている女の子を待つ旭様の後ろでこっそりとお面を外して着物の袖に入れる。幸いフロントにはお客さんも誰もいないので騒がれることもなさそうだ。
確認が取れたのか旭様と話していた女の子が私の顔を見て近付いてくる。
「あんたもしかして、西園寺あかりさん?旭様とおるってことは…あの新聞の内容ってほんまやったん!」
「当たり前ですよ。デマなど流しません」
「うちの店でもみんな騒いで、仕事どころやなかったんですよ!」
楽しそうに話す姿は噂好きな女子そのもの。コロコロと表情が変わって見ていて飽きない。その話をにこにこと営業モードの旭様が聞いている。
このままでは質問攻めにあいそうだと察した私は話を元に戻した。
「そ、それよりここはお客さん来たら目立つから案内を…!」
促すと「あっごめんなさい」と笑って案内してくれる。
夕霧様が居るのは一番上の階の部屋。三階に行くまでエレベーターなどはなく大きな階段を上がっていく。
時折すれ違う綺麗な着物を着たあやかしたちはきゃっと黄色い声を上げた後、私に気付くと声を潜めた。
「え、あの女まさか西園寺あかり?」
「こんな所に来るなんて図太いわね。何を考えてるのかしら」
ヒソヒソと聞こえてくる内容はあまり気分が良いものではない。
否定的な意見も当たり前にあるだろうとは思っていたけれど。
「こちらです!」
その声に自然と俯きがちだった顔を上げると、目の前には狐の絵が描かれている金色の襖が飛び込んできた。
ど、ど派手。大迫力だ。
「夕霧様。旭様と西園寺あかり様がいらっしゃいました」
「入れ」
部屋の中から綺麗な声が聞こえた。落ち着きがあって、少し艶もある低めの声。
襖を開けてくれた女の子にお礼を言って中に入ると、何畳なのかと思うほど広い部屋には家具と言えるものがほぼなく、かろうじて机と座布団。そして赤く大きなベッド。壁には狐のお面が飾られていた。
襖で仕切られたりはしていない上に物は少ないが、所々金色で装飾されているので不思議な威圧感がある。
「隠世を賑わせている当人達が、我に何の用か?」
金色の長いストレートヘアに赤味がかった瞳を持つ美女が、気怠そうに大きなクッションに背を預けベッドに座っている。
少し着崩し露出した白い肩と着物の裾から投げ出された足が色気を出して、頭にある狐の耳とふわふわした大きな九つの尻尾も可愛さを添えるどころか怪しく揺らめいている。
思わず頬が赤くなるのを感じる。女の私でも色気に当てられてしまうほど。
そんな私を見てふっと小さく笑みを浮かべた。
「まあ、まずはよく来た。座るがよい」
来客が良くあるのかベッドの近くには厚みのある座布団が二つ並べられている。それに遠慮なく胡坐で座る旭様。もう営業モードはおしまいみたい。
失礼しますと一言告げて座布団に座る。うわ、ふかふか。
「それで話だが。あかりがお前に話があるというから連れてきた」
旭様が切り出すと夕霧様の視線が私に向く。しゃんと自然と背筋が伸びる。
なんだか今になって緊張してきた。
「単刀直入に言います。現世への門を開いて欲しいんです」
「ああ。そなたは現世の人間じゃったのう…いや、半妖だな」
くすくすと可笑しそうに笑う。
半妖。人間とあやかしの子供、なるほどそうなるのか。
「だが行ったところでどうするのだ。あちらで家族が待っているなどと言う理由かえ?」
「いえ、父も母も亡くなりましたから。その上友人もいないですし…って、え」
驚いたような顔の二人の目が私に集まる。その視線に思わず正座した足を組み変えた。
何度か瞬きをした後、旭様が私に問いかける。
「西園寺柊一は、死んだのか?」
「はい、一年前に。交通事故でした」
一瞬間が空く。部屋の外から琴の綺麗な音色が聞こえてくる。
二人が一瞬目配せしあったように見えた。
「では、なぜ帰りたいと申す。家族もおらぬのだろうに」
「父の形見とかも、そのままなんです。隠世に来たのがいきなりすぎて…せめて、家にもう一度だけ帰りたい」
ふむ、と旭様がなにか考えるようなそぶりをする。
「…隠世へ、度々迷い込む人間は居るがあかりは何がきっかけで隠世へ来たんだ?」
「大学に行こうとしていたら、お父さんから貰ったお守りのブレスレットが千切れて。それで黒い円みたいなのに飲み込まれて気がついたら隠世に」
「なるほど……それは本当にお守りだったのだろうな」
何か言いたげにこちらを見た旭様の言葉をまるで覆い隠すように夕霧様が言葉を放つ。
「よい。わかった。だが通りたければ、我を納得させるものを持ってくるのだ」
「納得って、お金とかですか?」
「金などいらぬ。そうよなあ…ならばあれが欲しい」
「なんでしょうか」
「玉手箱」
夕霧様の唇が綺麗な弧を描く。その表情は純粋に楽しそうで、いじめっ子のようだと思った。
それにしても予想もしていなかったお願いが飛び出た。
「玉手箱って、浦島太郎のですか?あれは絵本のお話で」
「浦島太郎の物語は、現世に言った亀のあやかしが浦島太郎という男に助けられ隠世に連れてくる話だ」
「ええっ!」
まさかあれが隠世が舞台の話だったなんて!でも、たしかに思い返せば…どこか納得のいくところはあるかもしれない。
「じゃ、じゃあ竜宮城は隠世にあるんですか!?」
「あるぞ。西の国に住む人魚の国が竜宮城だと言われているが、人魚は過去に起こった誘拐事件以来どこかへ消えたと聞く。行くとしても手配などで時間がかかる事は夕霧、お前も分かるだろう。時間をくれるな」
「よいよい。その娘がどれほど足掻くか楽しみなものよの」
口元に袖を当てて満足そうに笑う姿はやはり美しいものだ。
無理難題を出された気はするものの、どこか憎めない。もしかして耳と尻尾があるからなのか、と悩む。
「ただ我を満足させられたところで門は開くが通行証は出んぞ」
「え?」
さらりと大事なことを言う夕霧様。門は開くが通行証は出ない?
どういうことかと隣に顔を向けると視線に気付いた旭様がコホンと咳をした。
「現世に行くには、通行証と呼ばれるものが必要になる。それを持たず門を通れば何が起こるか分からん。最悪命さえ落とす事もある」
伏し目がちにどこか寂しさを含んだ声で話す。もしかすると過去に誰か…?
だがすぐに安心させるように私に笑みを向ける。
「まあ通行証の事はまたおいおいだ。あと夕霧、少し仕事の話がしたいんだが」
「我もそなたに少し用ができた」
「それなら私は外で待ってます」
二人は何も言わなかったが、私は居てはいけないと思った。きっと大事な話だろう、私が聞いていいものではない。
「ならば応接間にでも案内させよう」
夕霧様がぱんぱんと手を叩くと、すぐに部屋の外から「はい」と返事が聞こえる。ずっと待機していたのだろうか。
来る時に案内してくれた女の子にまた案内される。名前はナナと言うらしい。
左右に障子が連なってどの部屋からも賑わう声を聞きながら長い廊下を歩いていると、少し先にある部屋の障子が開き一人の女の子が出てきた。
髪の毛は胸上あたりまでで白くてふわふわとウェーブして、頭には狐の耳とメイドさんがつけるようなひらひらしたカチューシャの端に赤い飾り紐がついている。ピンクを基調とした着物は所々手が加えられてあり、一言で言うならフリルがたくさんついた和風メイド。
めちゃくちゃその子に似合っているし、とっても可愛い。じっと見ていたら目が合って近付いてきた。どうしよう見すぎて失礼だったかも。
「ナナ、あなた受付はどうしたのかしら?」
「みっ、ミキ様!」
「もうすぐ予約客が来る頃よ。戻りなさい。この方は旭様の奥方よね、私が案内するわ」
ナナちゃんに受付に戻るように指示している姿を見ると、偉い女の子なんだろうか。
「ではご案内いたしますわ」
ふわりと髪とスカートを翻して私に向き直る。ついでに尻尾も揺れる。
にこりと笑顔を向けられたけれど、何故か一瞬寒気がした。
何分歩いただろうか。ミキ様と呼ばれた女の子について歩いているが、だんだんと人の気配が無くなっていく。いえ、あやかしの気配ね。
少し不安を感じているとようやく立ち止まりとある部屋に通される。中は洋間の造りで、テーブルと二人掛けのソファが二つある。逆に言えばそれしかない。
店の端っこの部屋だろう。なんていったって廊下の少し先は壁で行き止まり。あんなに騒がしい声もあまり届かない場所だ。
「どうぞ。私は仕事がありますので失礼いたします」
「あ、ありがとうございます…」
にこにこと手早くお茶を淹れてくれてささっと部屋を出ていく。お茶はとてもいい香りで、口をつけるとじわっと旨味が広がる。
大きく部屋を見渡しても何もなくて、少しだけ薄暗い。知らない店で一人きりとなるとやはり少し怖いものがある。
窓に近付いて街並みを見下ろすと、道行く女のあやかしは皆綺麗な着物を着ていてとても華がある。
現世では着物にはなかなか触れる機会もなかったけれど、隠世に来てから毎日千鈴ちゃんの厳しい指導のおかげで一人で着物も着られるようになった。とても成長した。
「あれっ、さっきの」
街を眺めていると長蛇の列ができているあの『コンコン浪漫』にさっきのミキ様という子が入っていくのが見えた。列に並んでいた男のあやかしたちは皆手を振ったりジャンプしたりと興奮しているようだ。まるでアイドル。
「わっ!?」
何かが襖にぶつかり、ガタンッと大きな音がした。さっきまで静かだった部屋に響いた唐突な音に驚く。
恐る恐る襖を開くと長い黒髪をそのままにした女性が廊下に座り込んでいた。よく見なくても分かる、顔は蒼白で息は荒い。見るからに具合が悪いのだろう。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ら…誰かいたなんて…ここはいつも私の隠れ場なのに…」
なんとか絞り出しているような声。喋るたびにゼェゼェと息が切れている。
とりあえず部屋の中のソファに寝かせたが、このあやかしは病気で苦しんでいるわけじゃなさそう。
一目見た時から気付いた。"ソレ"に。
「あなたには、だいぶ厄介なのが憑いているみたいですね」
祓い屋っていうものは何もあやかし専門という事ではない。怨みが強い
目の前のこのあやかしには生霊がついている。それも強い強い執着。
生霊や怨念の形は様々だけれど、こいつは透き通った黒く丸い体に両目と手足がついたものだけれど、禍々しさは今まで見てきた中では飛び抜けている。
「言葉は通じてもここまでになると、離れる気はさらさらないよね」
なら仕方ないとひとつ息を吐く。
女性に楽にしていてくださいと告げて集中する。印を結び、ぶつぶつと呪文を唱える。何か察したのか生霊がうごうごと蠢くそのたびに女性が苦し気に呻く。
「滅」
印を結んだ指先を生霊に向かい素早く振りかざす。とたんに生霊が甲高い悲鳴を出したあと、さぁっと静かに消えていく。後には何も残らない。
「どうですか。少し楽にはなりましたか」
きょとんとしている女性に声をかける。ゆっくりと起き上がって体の調子を確認しているみたいだ。
「楽どころか…こんなにも違うなんて」
「よかったです。でもまだ少しは安静にしていてくださいね」
「さっきの変な術…噂の西園寺柊一の娘なんだろ、噂でもちきりさ」
「すいません、怖かったですよね」
あやかし相手に、許可も取らず急に印を結んだのは反省しかない。自分を攻撃されると思われても仕方ない行為だ。
自分の行動に思わず額に手を当てる。
「ははっ、私は歳だけは食ってるからね。そんなことで怖がりはしないよ。それにしてもあんた、なんでこんなとこにいんだい?」
「今旭様と夕霧様がお話されてて。それが終わるのを待っているんです」
「…誰に案内されたんだい」
「ええと、ミキ様って呼ばれている女の子に」
答えると「ああ…あの子が…」なんて首を軽く左右に振る。もしかしてここは、やはり応接間などではないのだろうか。
「あんたもそんな凄い力を持っておきながら馬鹿だね。こんなホコリっぽくて離れてる場所、ほいほいついて来ちゃいけないよ。…あの子もバレたら痛い目見ると分かっているんだろうが、心が言うことを聞かないんだろうねえ」
「心?」
女性が「そうさ」と自分の胸に手を置き、小さく微笑む。
なぜだかくらりと少し目がくらんだ。このあやかしの魅力なのだろうか?
「恋とはそういうものだろう。あの子は旭様にとことん惚れているからねえ」
「惚れてるって、まさかあの子が右腕の白狐!?」
「知らずにいたのかい。危ないねえ、女の嫉妬は怖いんだよ」
「よく覚えておきます…」
「不安だねえ。まだ顔が初心な小娘だ、もしや政略結婚なのかい?」
「ち、違います!」
さっきまで苦しんでいた姿はどこへやら。楽しそうに観察するように見てくる。
安静になんていったけれどこれほど楽しそうにおしゃべりできるなら心配ないかもしれない。
「さて、祓ってくれてありがとうよ。お礼に今度遊びにおいで、美雲の知り合いだといえば酷い扱いは受けないだろうよ。まあ女一人じゃ来れないがねえ」
美雲、あれ。その名前どこかで。だけどもやもやとして思い出せない。
「じゃあ、仕事としてきます。お祓いだったり、花鞠屋も差し入れメニューとかあるみたいですし頼んでいただければお持ちしますよ」
「ほんとかい!ならおすすめでも頼もうかね!あの店は美味しいと噂でね。行きたいんだが何せ昼は寝てる生活だ。働く時間にはもうそちらさんが終わっていてねえ…」
ぱっと花が咲いたような顔になる。甘いものが好きなんだろうか、可愛らしいあやかしだ。
花毬屋への注文を受け、私の生い立ちについて根掘り葉掘り聞いてくる美雲さんをかわしつつフロントまで向かう。どうやら本当の応接間は一階の受付の近くにあるみたい。
美雲さんはフロント近くまで案内してくれたところで、すっぴんを客に見られるのは絶対に嫌とそそくさと部屋に戻っていった。
応接間の中に入ると、中はまた金色が主になっていてギラギラしている。なにもかも高級そうでさっきの部屋とは確かに大違いだ。
「ふあ~…」
ソファに座るとなぜかどっと眠気が押し寄せてきた。つい大きなあくびが出る。
まさか力を使ったから?でも今まで眠気が来るなんてなかったのに。それにこんなところで眠るわけにはいかない。
とても重い瞼を必死で持ち上げながら気を紛らわせるために部屋の中にある置物や絵画を眺めるも、全てがぼやけて窓の外の提灯の光もぶれる。
ふらふら歩いていると、スパンと襖が音を立てて開けられる。
「なんで、なんでここにいんのよ」
そこには白い狐の耳と尻尾を持った、ミキ様と呼ばれた子。夕霧様の右腕がいた。
私を見る目はとても冷たくて、怒りからなのか狐の耳がぷるぷると震えているように見えた。
「あらぁ?でもその様子じゃあ効いてるみたいね?」
「……」
なにが。と言いたいのに眠気で言葉が上手く出ない。すごく、眠い。
限界が近く感じて思わずその場に座り込む。
「さすが効くわねあの店の薬は。西園寺っていっても本当に記事の通り甘い考えの女なのねあんた。警戒心無くお茶を飲んでくれたみたいで嬉しいわあ~?」
着物の合わせから小さな小瓶を出し、ゆらゆら揺らす姿を見て薬を盛られたんだと気付いた。
旭様に警戒しておくようにって言われたのに、やってしまった。ごめんなさい。
心の中で謝りながら、クスクスと笑う声を遠くに聞きつつ私の体はゆっくりと倒れ、意識を手放した。
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