第七話 つかの間のひととき

「もうムリ~~~!!」


 一階にある休憩スペースで洗濯物をたたんでいると、千鈴ちゃんがやってきて畳の上に倒れこむ。

 お疲れさまとお茶を出すも、飲むことすら億劫なのか「あ~、う~」と言葉にならないうめき声を発して、随分と疲れた顔をしている。


「アンタに会わせろ会わせろって、ほんっとマスコミの力は強いわね」

「ごめんね。手伝えればいいんだけど」

「気持ちだけ受け取っておくわ。アンタが出るとプチパニックになって店が壊れるわよ」


 話しながらようやく畳の上から起き上がりぐるぐると肩を回している。

 おじいちゃんの経営する温泉宿、天らくに行ってから早いものでもう数日が経った。

 あの日の夕刊を見たあやかしたちが翌日から続々とこの花毬屋に押しかけ、私を一目見ようとしているらしい。


「あ~、一日終わった…」

「つかれました~…」


 閉店作業を終わらせたリュカと、たまにお店を手伝っているバイトの小豆洗いの小春こはるちゃんがふらふらとおぼつかない足取りで向かってくる。二人もやはり疲れた顔だ。


「私もあの夕刊には驚きましたけど~、まさかここまでなんてぇ」


 のんびりとした話し方の小春ちゃんが近くにあった新聞を手に取る。

 『旭様の嫁はなんと西園寺の末裔!?』『大天狗の孫現る!』大きすぎる文字で見出しが書かれている。

 婚約者って言ったのに勝手に嫁にされているなんて思いつつも、内容を読むと私がむやみやたらにあやかしを祓おうとしていない事など細かく好意的に受け取ってもらえるように書かれていたが、この花毬屋に居候として住んでいることも書かれていたために今こうして三人にとても迷惑をかけてしまっているのだ。


「仕方ないわよ。まあ、西園寺って名前出ちゃったからこれでも店に来るあやかしは少ない方なんでしょうけど」

「警戒する奴も怖がる奴もそりゃあいるだろうしなー」

「もうアンタがここにいることがバレてるのはいいの、招き猫だと思うことにするわ」

「あかりさんは大きな招き猫さんです~」

「そしてリュカ、小春!今が稼ぎ時よ、新しい甘味を考えるわよ!!」


 だん、とちゃぶ台の上に千鈴ちゃんが紙とペンを置いたと同時に店の戸がガンガンと叩かれる音がした。


「え、お客さん?もう営業時間終わったよね?」

「なにか忘れ物ですかね~」

「俺ちょっと見てくるな」


 この店の店主はリュカにお客さんを任せて、もう紙に色々と書いている。その隣で小春ちゃんが「小豆入れてください~」と強請ねだっている。

 新しいメニューかあ。どんなふうになるんだろう。


「千鈴~。大和さんが来たぞ、入れていいか?」

「は?何しに来たのよ。弁償代は今度色々上乗せして請求してやろうと思ってたけど」

「やめてやれよ…。なんかあかりに用があるんだって」

「私?」


 千鈴ちゃんのがめつい一面が見えたところで、どうやら私に用事があるという大和さんの所へ向かう。

 奥の間は皆が使っているからと、店の中のテーブル席をひとつ借りて向かい合って座る。

 今日の大和さんは面頬をしていなくて顔がすべて見えている。面頬を取るとまた雰囲気が変わって少し幼めな顔つきだが、切れ長の目が印象強い。


「……」

「……」


 無言の時間が流れる。

 正直、気絶させてしまった手前気まずい所がある。


「…これ」


 気まずそうな私に気付いたのか、話を切り出したのは大和さんからだった。

 手に提げていた紙袋をテーブルの上に置いてこちらにずい、と手で押す。中を覗いてみると可愛い箱にくっきーとひらがなで書かれていた。

 この可愛い袋を大和さんが持って歩いている所を想像してすぐやめた。


「…クッキー?」

「この前できた焼き菓子専門の店の商品だ。女将がそれをもって詫びに行って来いと。あんたは榊様の孫だろ、知らなかったとはいえ無礼な事をした」

「いやいや!そんなこと言ったら私の方が!力の加減できなくて、ごめんなさい」


 もしかしたら痣になっていないだろうかと不安になり大和さんを見ると、なぜか小さく口角を上げていた。どこか懐かしむような笑い方だ。


「や、大和さん?」

「いや…。さすが親子だなと思っただけだ」

「えっ。もしかしておじいちゃん…榊さんと?」

「違う。西園寺柊一とだ」


 まさかの名前が出てきて目を丸くしてしまう。

 

「大和さんってお父さんと知り合い?」

「知り合いというほどでもないけどな。昔あいつが隠世に来た時、俺が真っ先に見つけ捕縛しようと挑んだ」

「えっ!お父さん隠世に来たことあるの!?」

「ああ。なんだ聞いていないのか?あんた、この間何を聞いたんだ」

 

 私の質問に不思議そうな顔をする。

 うそ、てっきり現世に遊びにでも行ったお母さんと出会って恋に落ちたのかと。まさかお父さんもこの隠世に来ていたなんて。


「その時あいつの術で動けなくなった。あいつは痺れさせるだけだったが…あんたは親より容赦ないな」

「本当にすいません」


 反射的にテーブルに額がくっつきそうなほど深く頭を下げる。

 心の底から申し訳ないという思いがこみ上げてくる。

 

「で?あんたはいつ現世に戻るんだ」

「あ。そういえばその話してなかった…」

「…本当に天らくで一体何を話してたんだ?」

 

 少し呆れ気味に頬杖をついて私を見る。

 三妖の二人が揃っていたのに、本当に何をしていたんだろう。聞きたいことなんでも聞けばよかった。


「大和さんって、今の門番が誰か知ってたりする?」 

「今の門番は夕霧ゆうぎり様。狐だ」

「よりによってまだ会ったことのない…」

「そうだろうな。狐たちは主に夕方からが仕事の上に、街はずれに固まって店を構えている。昼間に会うことはなかなか無いだろう」

「夕方?居酒屋とかでも経営してるの?」


 厨房の奥から何かを作る音が聞こえ始めたが、気にせず疑問を素直にぶつける。 


「違う。まあ飲食店も営んでいるらしいが、一番有名なのは妓楼ぎろうだろうな。その店を仕切る経営者の楼主ろうしゅが今の三妖の一人の女の狐だ」

「妓楼…って、夕霧様って女性の狐なんだ?」

「男もいるがもともと狐の一族は女が生まれることが多いんだ」


 妓楼ってお酒の席に女の人を向かわせてお客さんたちと遊ばせるお店だよね。狐って何となく美人のイメージが強いし、なるほど。


「ちなみに会うのは女一人じゃ無理だからな。男の連れが居ないと妓楼で働きたい者として扱われるそうだ」

「ええ!?」

「それに夕霧様の右腕の女が旭様にとくに惚れ込んでいるという噂がある」


 そういえば旭様との写真が出回った時、たしかに新聞に狐は失恋だとか書いてあった気がする。

 向こうからしたら私が邪魔で仕方ないだろう。そんなところに一人で向かうなんて無謀すぎることだと私でも理解できる。


「いっそ旭様に連れて行ってもらったらどうだ」

 

 テーブルに立てかけられている花毬屋のメニュー表を見ながら大和さんがぽつりと言う。


「えっ、大丈夫なのかなそれ」

「旭様の前であんたに手出しはできないだろ。そして旭様も三妖の一人だ、夕霧様への話もつきやすい」

「な…なるほど!さすが指揮官、冴えてる!」


 私には思いつかなかった発想に素直に褒めると、褒められ慣れていないのか少し照れくさそうに視線をそらされた。

 でもたしかに好きな人の前では好印象でありたい気持ちがあやかしにだってあるはず。恋心を利用するようでとても申し訳ないが、その方法が手っ取り早い。


「もう今日は遅いし、明日にでも旭様に連れて行ってもらおうかな」

「おい、狐の活動時間はこれからって言っただろ」

「あっ」


 店の時計を見ると時刻は夜の八時前。

 香桜堂の営業時間は分からないけれど、少し様子でも見に行こうかと思ったが最近の騒動がまだ収まっていないそんな中、夜に一人で出歩くのはまだ不安だ。


「大和さん、もう帰る?」

「ああ。俺はその菓子を渡しに来ただけだしな」

「じゃあお願い!香桜堂までついてきて!」


 顔の前で両手を合わせてお願いをする。

 大和さんの表情から「なんで俺が」という思いが伝わる。断られる前にリュカを呼んでクッキーを渡し、少し出かけてくると声をかけて店の戸を開ける。我ながら素早い対応だと思う。

 外に出た私を見て大和さんも渋々店から出てきてくれた。


「あんたここに住んで千鈴の強引さが移ってるんじゃないか?それとも生まれつきか?」

「たしかに移ったかもしれない」


 何気ない会話をしながら香桜堂への道のりを歩く。花毬屋と香桜堂はそんなに離れてはいない。歩いて十分程だが、ゆるい石畳の上り坂で慣れない下駄で足に豆ができたりした。

 香桜堂につくとまだ提灯や店内の灯りがついていて、まだ営業中ということが分かる。

 扉を開けると私を見た従業員さんたちがざわっとした後すぐに赤城さんを呼んでくれたが、要件を告げる前に大和さんと一緒に奥の従業員しか入れない部屋にぐいぐいと背中を押され案内された。

 「俺は付き添いだ、帰る!」と大和さんが言っていたが鬼の力は強い。

 普通の事務スペースのようで、香包のサンプル棚がある隣にたくさんのファイルもある、壁際に無機質な四人掛けのテーブルが置かれていてその椅子に誘導されて座る。

 

「いきなり申し訳ありませんでした。ただ店内ですとお客様があかり様を見て騒ぎ立てる可能性があったもので…」

「いえ、突然来た私が悪いので!」


 隣の椅子に座ってムスッとしている大和さんが、温かいお茶を淹れてくれている赤城さんをじろじろと見ている。

 そんなに見たら穴が開くって。


「おい、要件。さっさと言え」

「いたっ。ち、力強い!肩叩く力じゃないって!」

「は?大袈裟だな」

「いやいや…って違う違う。あの赤城さん、旭様は居ますか?」


 旭様の名前を出すと少し困ったように笑いながらお茶を置いてくれる。

 香包の香りの混じった中で深い茶葉の香りが鼻に届く。


「いらっしゃいますよ。ただ…不貞腐れておられますが…」

「え?」


 だんだんと声が小さくなった赤城さんの言葉は最後の方はほとんど聞こえなかった。聞き返そうとしたとき、部屋の扉が開いて旭様が入ってきた。

 ただその顔はムスッとしていて座っている私を必然的に見下ろす形になる。威圧感がすごい。


「あ、旭様?お久しぶりです」

「あかり、よくも数日も俺を放っておいたな」

「え?」

「婚約者とは毎日会うものだろう!」


 このあやかしは今まで恋をしたことがあるんだろうかと思う発言が今出たのではないだろうか。

 赤城さんは頭が痛いようで手で押さえているし、大和さんは目の前の事が理解できていないのかお茶を持ったままぽかんとした顔をしている。


「あの…婚約者って毎日会うものでは…」

「赤城に花毬屋に俺が行くとまた混乱の種だと止められ、あかりが来るのを今か今かと待っていたというのに…!まさかその烏天狗と浮気か!?」


 言葉を遮られキッと睨まれる。なぜ私は鬼に睨まれているんだろう。

 巻き添えを食らった大和さんが心底めんどくさいという顔をして項垂れた。


「あかりは俺の事を好きではないのか」

「待って待って。それ以前の話です。婚約者は毎日会ったりしません!」

「赤城にも何度もそう言われたが、知らんな。俺は毎日あかりに会いたい」


 な、なんてあやかしだ。ものすごい好意を伝えられていることは分かるけれどそれよりも旭様のわがままな一面が意外過ぎて。

 少し可愛いと思ってしまったのはきっと見た目とのギャップがあるからだろう。


「私も今買い物の回数も減らしてあまり花毬屋から出てないんです。大和さんも護衛として来てくれただけなので浮気とかは心配しなくていいですからね。騒動が少し落ち着いたらまた会いに来ますから」

「…本当だな」

「もちろん。それであの、今日はお願いがあって」

「なんだ。なんでも叶えてやろう」


 いそいそと近くにきてしゃがむものだから今度は私が旭様を見下ろす形になった。赤城さんが旭様の名前を呼んで慌てていたが、まったくの無視。

 なんだか鬼というより大きな犬に懐かれたみたい。


「今の門番は夕霧様なんですよね?会いに行きたいんですけど、場所が場所なだけに…だから婚約者である旭様に付いてきてほしいんです」


 あえて婚約者であるという部分を少し強調する。

 わざとらしいけれど、旭様はだんだんと嬉しそうな表情になっていく。会いに行きたいと告げた直後は渋い顔をしていたのに。

 初めて出会った時に比べるととても表情豊かになったな旭様。ではダメ押しだ。


「婚約者の旭様にしか頼めないんです」

「……そ、そうか」


 声色まで嬉しそうだ。隣からボソッと「ちょろ…」と聞こえた。大和さんにとってもこんな旭様の姿は初めて見るものかもしれない。

 すくっと立ち上がった旭様はポンポンと私の頭に手を置いて赤城さんに顔を向けた。


「いい機会だ、滅多にあの場所には行かないからな。仕事の話もついでにしてこよう」

「かしこまりました。船を出しますか?」

「いや、目立ちたくはない。朧車を呼んでくれ」


 香桜堂の裏口から外に出て大和さんとはそこでお別れをした。長く付き合わせてしまったな。

 あまり待つことなくすぐに朧車が到着し、旭様と二人で乗り込む。


「これから会う夕霧様って、どんな方なんですか」

「夕霧は天狐てんこというとても強い力を持つあやかしだな」

「狐は皆その天狐なんですか?」

「いいや。天狐は夕霧一人だ。その下に空狐くうこ白狐びゃっこなどがいるな。狐はたくさん種類が分かれているんだ」

「へえ…夕霧様の右腕の方はどんな狐ですか」

「右腕か。白狐ではなかっただろうか」


 どんな名前かと聞くと覚えていないとの事。旭様の事が好きってあやかしたちに知れ渡り、新聞にまで載るような子の名前を知らないって本当に興味が無いの?

 追われるより追う派なのかな。なんて考えていたらもう狐の営む妓楼近くに着いたみたいで朧車が止まる。

 外に出ると長い塀に囲われた街があり、格子の門から見える先には赤提灯とピンクの提灯があちこちに連なり賑わっている。酔っているのか千鳥足で歩くあやかしも見える。

 その光景はいかにも夜の街というのがふさわしい。


「あかり、目立ちたくないからな。これをつけるといい」


 門に中に入る前に渡されたのは鬼のお面だった。旭様も似たお面を隣でつけている。

 よく見ると街の中にもお面をつけたあやかしがちらほらといる。素性を隠して遊びに来ているのだろうか。

 私は鬼の面をつけて、夜の街へと足を踏み入れた。

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