第六話 旅籠 天らく

『お父さん、お母さんってどんなひとだったの?』

『素敵な人だよ。あかりはお母さんのいい所を受け継いだね』

『それってこの髪と目のいろ?』

『ははは。うん、そうだね。でもそれだけじゃないさ』

『そうなの?』

『今のあかりには難しいかもしれないからね。もう少し大きくなったら分かるよ』


 微笑んで頭を撫でてくれた父。

 この記憶はたしか、私が小学校に上がった頃だっただろうか。

 



 ガタンと朧車がひとつ大きく揺れ、どこかに停まった感覚を感じ記憶を辿るのを止めて目を開く。

 誰一人動かずどうするかと赤城さんと顔を見合わせた時、朧車についている引き戸が外から開けられ新鮮な空気が入ってくる。


「つきました」


 誰かの声が聞こえ引き戸の近くにいたリュカを先頭に皆降りて行く。

 そういえば寝間着だから足袋も何も履いていない。裸足だ。と不安になるもすぐ傍で待機していた烏天狗の一人が赤い下駄を差し出してくれた。

 花毬屋では見かけない下駄、わざわざ用意をしてくれたのだろうか。

 ありがたく履いて外に出ると真っ先に目に入ってきたのは青空に映える満開の桜。

 その桜が左右に長く連なる桜並木の道の先には香桜堂よりもずっと大きな、古き良き時代を感じさせる木の魅力が活かされた建物があった。


旅籠はたご てんらく。東の国一番の温泉宿だ」

「温泉宿…!」

「この宿に泊まるために、わざわざ足を運ぶ者もいる」

 

 説明をしつつ黒の羽織を私の肩に羽織らせてくれる。

 寝間着の私を気遣ってくれたのだろうか、旭様の体温が羽織りに移っていてほんのり温かい。

 お礼を言って落ちないようにしっかりと肩にかける。この辺りはなんだか風が強い。


「天らくって仕事でしか入ったことないわ…!」

「南の国にまで噂は届いてたけど、で、でっけー…」


 少し後ろで二人も天らくを見上げていた。

 有名な宿でも、地元だから足を運ぶことはあまりないのだろうか。


「東の国のあやかしたちはあんまり泊まらないの?」

「泊まるしアタシも泊まりたいわよ!一度は泊まりたい宿ベストスリーに入ってるんだから!けど予約なんてすぐ埋まって、今じゃ何ヵ月待ちか…」


 ぺらぺらといつもの調子で話している途中で、私の力の事で言い合っていたとふと思い出したのか気まずそうに目をそらす。

 

「あかり~こっちじゃぞ!」


 榊さんは空気を一瞬で変える天才かもしれない。

 天らくへの入り口から手を振る榊さんの元へ石畳の上をカラコロと下駄を鳴らし向かう。

 近付くとより分かる、東の国一番の温泉宿という存在感。


「榊さんってすごい人なんだ」

「おじいちゃんと呼んでくれあかり!ふふっそうじゃろ?偉いんじゃよわし」


 嬉しそうな榊さんに案内され宿の中に入ると、ずらりと並んだ小豆色の着物を着た仲居さんたちに歓迎され広い部屋に通された。

 部屋の真ん中に置かれている大きな木の机を囲むようにそれぞれ座る。仲居さんがついて来ようとしたが大事な話をするからか榊さんが断っていた。

 今部屋には私含め六人だ。


「さて…どこから話すかのう」

 

 接客業の癖なのか千鈴ちゃんが部屋に備えついてあるポットを使って全員分のお茶をいれてくれているのを横目に、腕を組んで口を開く榊さん。

 小柄だからか座布団を三枚重ねて座っている。


「私は孫っていう事がどういうことなのか知りたい」

「孫は孫じゃ。わしの娘の子ということじゃ」

「詳しく話してくれないとおじいちゃんって呼ばないからね」

「な、なんてことを!」


 一気に慌てふためく榊さんを見て旭様はまた密かに笑っているし、赤城さんとリュカはどうすればいいか分からないという顔をしている。


「だが、本当にそのままの事じゃ。わしの娘があかりの父…西園寺さいおんじ柊一しゅういちと恋をし、子をなした」

「さ、西園寺!?」


 私にとっては聞きなれた父の名前、でも千鈴ちゃんたちにとっては声を上げるほどの名前だったらしい。旭様は表情が読めないけれど。


「西園寺とは…あの一族でしょうか」

「そうじゃ。あやかしの敵と言って良い、西園寺じゃ」


 赤城さんの問いかけにあっさりと頷く。

 自然と私へ集まってくる視線にごくりと唾を飲む。私を見る目はどこか怯えが含まれているように感じる。


「たしかに私は西園寺あかりです。でもあやかしの敵なんて、父はそんな人じゃない。私は父に色々教わったし仕事を一番近くで見ていたけど、耳にタコができるくらい父の口癖はあやかしを大切にしろだった」


 父は優しい人だ、それだけは私が一番よく知っている。

 私の言葉に少し戸惑うような顔をする千鈴ちゃんや赤城さん。揺らぐというよりも、そんな事はありえないといったような表情だ。

 

「隠世では"西園寺に出会うと生きて帰れぬ"と言う噂が浸透するほど警戒する名。知らぬものはおらぬだろう。あやかしならば問答無用で祓う血も涙もない奴らじゃと」

「そんなこと!」

「ないと言いきれるか?現世に人の噂も七十五日という言葉があるじゃろう。長い年月を生きるあやかしにとって、噂などはすぐに消えてなくなるひと時のもの。それがずっと伝わっているこの意味が分かるか?」

「それは…」


 無意識に強く握りしめていた手に視線を落とす。妙な言葉の重み、信憑性がある。

 そんなことないと私が言いきれないのは、父以外の西園寺という存在に出会った事がないからだ。

 西園寺は祓い屋。あやかしを大切にしていた父とは正反対に、他の西園寺の人たちがあやかしを酷く扱っていたらと考えるだけでぞっとする。


「…父以外の西園寺の人に、私は会ったことがない。だから今この瞬間も現世のどこかであやかしたちに酷い事をしているかもしれない」


 考えてみればあやかしにとっては西園寺という存在だけで近寄りたくもないのだ。自分を祓える力を持ったそんな存在が、私が、隠世へきてしまった。

 だけど来なければ何も知らずこの先も生きていたかもしれない。

 隠世があることも知らず、お母さんがあやかしだということも知らず…。


「……父が、あやかしを大切にするように言っていた理由が今ならなんとなく分かる気がする」

「ほう」

「あやかしである、私のお母さんを愛したから」


 風が部屋の窓を揺らす音が響く。

 目を丸くした榊さんの方に体ごと向きなおる。


「お母さんに出会うまでのお父さんの事は私は知らない。だから酷い事もしていたかもしれない。だけどお母さんに出会ってからは…あやかしとの共存を願っていた」

「き、共存じゃと!?」

「祓い屋をしていたけれど、きっとあれも今思うと他の祓い屋の目に止まる前にあやかしを逃がすため」

「そ、そんな事信じられん!」

「信じられないって言いきれる?榊さんはお父さんの傍にずっといたわけじゃないでしょう?」


 さっき私が言葉が出なかったように、今度は榊さんが言い淀む。

 この短時間で揚げ足を取ったり取られたり、まるで口喧嘩。それを祖父と名乗るあやかしと繰り広げているのだから、なんだか変な図だ。


「あかりはその力をどう使うんだ」

「え?」

「隠世と現世での事を言い合ってもらちが明かない。今大事なのはこの隠世に居る西園寺一族のあかりがその力をどう扱うかだ。違うか?」

 

 心の奥までも見透かされるのではと思うほど綺麗な黄色い瞳がじっと私を見つめる。

 まるで囚われたように視線も逸らせず、身動きひとつ取れない。

 

「私は…この力であやかしを傷つけたりはしたくない。使ってもその、護身術とかで。人だって人に困らされてるようにあやかしだってあやかしに困っていることはあるだろうし……そう、悪いあやかし専門の祓い屋になる!」


 まるで幼い子のように、今の私は良いことを思いついたと言わんばかりに目をキラキラと輝かせているのだろう。

 私の答えにこの場にいる全員が驚きの目をしている。


「こんな答えじゃまだ皆にとって、不安かな」

「ふっ…あはははは!」


 急に笑い始めた千鈴ちゃんに今度は私がぽかんとしてしまう。

 ひー、と涙が出るまでたっぷり笑った後に深呼吸をひとつ。


「アタシ何を警戒してたのかしら。バカみたいだわ!」

「ち、千鈴!旭様や榊様の前だぞ…!」

「は~…ずっと気が張ってたのよ。疲れちゃった」


 自分でいれたお茶をぐいっと一気飲みをする、その素の態度は隠世で数日を過ごした私には一番見慣れた姿で、心の底から安心感がどっと押し寄せた。

 二人と前のように話せなくなるのではとどこかで覚悟していたために、目頭が熱くなってくる。

 いつの間にかこの二人は私の心にこんなに住み着いていた。


「大天狗。これ以上の話し合いは野暮だな」

「う、うむ…そうじゃのう…」


 営業モードではなく優しい微笑みを浮かべている旭様に、小さく息を吐いて頭をかく榊さん。

 赤城さんもどこか安堵をしているように見える。


「では記者を呼ぶか。今からじゃと夕刊にねじ込めるかのう…」


 座布団の上に立って部屋に置かれた時計をちらりと見る榊さん。

 夕刊という言葉にはっとし溢れそうだった涙が引っ込む。


「ま、待って!結婚の話が残ってる!」

「忘れてはいなかったか…」


 残念そうにため息をつく旭様。いや、実は今の今まで忘れていたけれど。

 旭様は人間とあやかしという一番の大問題を問題ないと言っていた。つまりそれは私の中に流れる血が半分あやかしのものだと確信を持っていたから。


「旭様、私が西園寺の一族で榊さんの孫だから嫁にしたいって事なんですか?そうですよね?」

「こら決めつけるな。今朝も言ったが好きでもない者にこんなことを言うほど暇ではないのだぞ」

「…なにがきっかけですか」

「興味を持ったのはあかりが香桜堂であやかしを祓っていたことだな」

「み、見てたんですか!?」


 まさか見られていたなんて。祓う前にきちんと周りを見て確認したのに、気配を消すのが上手い。

 さすが三妖というべきなのか。


「見られていたのはもう仕方ないです。というか嫁にしてどうするんですか、頭から食べるんですか」

「馬鹿を言え。そんなことをしたら無くなってしまうだろう」

「…でも三妖なら許嫁とかいるんじゃないんですか」


 こんなにも有名であやかしの憧れなら親が決めた許嫁などが絶対居るはずという私の思考は「おりません」という赤城さんの言葉に否定された。


「どんなに素敵な方や、繋がりのある老舗の娘様たちとの縁談も拒否され続け……私といたしましては、あかり様は力もお持ちですし榊様の孫という事でこれ以上ないお人です」

「あ、赤城さん?」

「旭様に落ち着いていただけるのであれば私は大賛成です」


 胃のあたりを手で擦る姿を見て何も言えなくなる。

 たぶん、旭様が断った女性たちの怒りを赤城さんが受けていたのだろうと簡単に想像ができる。


「ですのであかり様、形だけでも取っていただけると…」

「…」

 

 形だけでも私が旭様の婚約者になると赤城さんの胃に穴が開くことはなくなるだろう。

 それにあやかしたちへの抑制効果もあると言っていた。正直、いつ現世へ帰れるか分からない私にとってはメリットの方が大きい。

 しばらく沈黙していたが、大きなため息のあとに小さく呟く。


「……わかりました」

「おお、嫁になってくれるのか!」

「婚約者です!形だけの!」


 嬉しそうに声を上げた旭様の言葉をすぐに訂正する。

 仲居さんを呼びつけ記者の手配を頼んでいたり、わしの孫が~!と叫び畳の上に転がっていたり、お茶を飲んで楽しそうに話す二人だったり。少し前までのぴりっとした空気はもう無い。

 冷めて飲み頃になったお茶を飲んで窓から外を見ると枝が整えられた木々の中に小道が見え、その先には浴衣姿で足湯に浸かっている楽しそうなあやかしたちがいた。


「あかり」


 肩をトンと叩かれ、振り向くとどこかいつもよりも柔らかい笑みの旭様が居た。


「なんですか?」

「朧車で送ってくれるらしい、フロントへ移動しよう」


 自然と手を取られフロントまで案内される。すれ違う天らくの従業員さんたち全員がぎょっとした顔で二度見をする。

 やっぱり少し早まった決断だったかもしれない。

 朧車が宿の前にくるまでの少しの間、フロントにある椅子で待とうと座った瞬間に榊さんがどこからかすっ飛んできた。


「あかり!ここはわしの宿じゃ」

「え?うん、天らくでしょ?」

「つまりは孫であるあかりの家でもある。どうじゃ一緒に住まんか?」


 店主がフロントに居て、突然そんなことを言い出すものだからその場にいたお客さんや掃除をしている従業員のあやかしまで動きが止まった。

 もちろん私もまさかそんな事を言われるなんて思ってもいなかったし、予想もしてなかった。


「たしかにここで暮らすと安全かもしれないけれど、私は…」


 ちらりと向かい側の椅子に座る千鈴ちゃんに視線を向ける。向こうも私を見ていたようで視線がばっちりとかち合う。

 目を細められ少し見つめあった後、はあっとため息を吐かれた。


「家に帰りましょ」

「…!」

「ほらぼさっとしない、朧車が来たわよ」

「千鈴!あかりは榊様の孫だぜ!?」


 いつものぶっきらぼうな態度にリュカの方が焦ったのか青くなって榊さんをしきりに見ている。


「聞いたわ。けどアタシ、家政婦のアンタを解雇した覚えはないわよ」

「ち、千鈴ちゃん…!」

「置いていくわよー」


 仲居さんが綺麗に並べてくれた履物に足を通して先に外に出ていってしまった。

 つられて私も腰を上げる。


「私の大切な家は花毬屋なの。ごめんね、でもまた遊びに来るね。おじいちゃん」

「おじ…!」


 私の名前を嬉しそうに叫ぶ声を聞きながら外へ続く扉を開ける。

 時刻は朝の九時前、花毬屋の開店まであと一時間。

 花毬屋に帰ると二人とも開店準備に追われるだろう。

 家政婦として、しっかりサポートしなくては。

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