第五話 烏天狗と大天狗


「あかり~~!!」


 翌朝。人を起こすトーンではないだろうという声量で夢の中から叩き起こされた。

 ドタドタと階段を上がってくるものだから、深い眠りについて起こすのが大変なリュカまでが何事だと起きてしまった。


「おはよう…どうしたの…?」

「どうしたはこっちのセリフよ!なんなのこれは!どういうことなのこの見出しは!!」


 眠たげな私の声に被せてくるようにまくしたて、手に持っている朝刊を近すぎてぼやけるまで目の前に差し出される。

 その新聞を手に取ってみると、嫌でも目に入ってくる写真。

 いつ撮られたのか昨日街を案内してもらっていた時の並んで歩く後ろ姿がでかでかと一面に載っており、さらには『香桜堂の主人、ついに許嫁が!?』『狐は失恋』と書かれている。


「な、なにこれ…」

「あかり、旭様と知り合いだったのか!?ってか、い、許嫁って!?」


 色恋沙汰には疎いのかリュカが赤くなりながらも興味津々で私に聞いてくるが、私に聞かれても身に覚えも何もない。


「知らない知らない!昨日初対面だし、道案内してもらってたのを勘違いした誰かに撮られたんだと思う…ただそれだけだよ」

「旭様が女性と二人だけで歩くことなんてないのよ!?過去に一度もこんな記事出なかったし、あの見た目だから玉の輿を狙うあやかしもほとんどなの!」


 これは大スクープよ!と興奮を隠しきれない様子で何度も新聞に目を通す千鈴ちゃんを見ながら私は事の重大さがどれほどなのかまったく想像がつかない。


「ねえ、旭様というあやかしはそんなに有名なの?」

「有名どころじゃないぜ!鬼の頭だからな、あやかしの憧れの一人だ!」

「えっ…鬼って三妖じゃなかった!?じゃあ香桜堂って鬼が経営する店!?」

「言ってなかったっけ?」


 悪いとけらりと笑って謝るリュカを見て力が抜けると同時に恐怖が芽生える。

 そんなに有名なあやかしだったならあの沿道のあやかしたちの反応も確かに納得がいくし、ましてや荷物を持ってもらって手を繋いで買い物につき合わせるだなんて無礼もいい所だ。その光景は様々なあやかしの目に触れたはず。


「…」


 素直にまだ死にたくない。

 もし誰かに襲われたらこの力を使って気絶でもさせないときっと私の命が危ない。やるときはやらなきゃと腹を決めたその時。

 ベランダへと続く窓ガラスが甲高い音を立てて割れ突風が部屋の中へと吹き込んだ。

 咄嗟にリュカが反応してガラスの破片が刺さらないように布団を私と千鈴ちゃんに被せてくれたおかげで怪我はなかった。


「ちょっと人の家に何してんの!…って、大和やまとじゃないの」

「あかりという女はどこにいる」


 布団から勢いよく顔を出した千鈴ちゃんが窓ガラスを割った張本人を見て、知り合いだったのかきょとんとする。

 私の名前が出たことでつられて布団からそっと目だけ出してみればベランダにあやかしが立っており、顔の下半分が隠れる真っ黒な面頬をし黒髪の中に赤いメッシュが入っているその姿は青年のようだが、背中には黒々とした羽が生えている。


「あかりに何の用かしら?」

「…お前には関係ない。そいつだな」


 ギロッと睨まれるような目を向けられて思わず肩を縮こませる。

 窓ガラスを割って入ってくるなんて、人でもあやかしでも関わりたくない!

 そんな私の意に反しあやかしは足早に近寄ってきて布団から無理矢理引きずり出し、荷物でも抱えるように脇に抱えられる。

 そして背に生えている立派な羽を動かし今にも飛び立とうとするのを見てまずいと直感が警告を鳴らす。


「ごめん!」


 簡単な印を片手で描き私を抱えるあやかしの体へ迷うことなくその手を押し付けると、バチッと嫌な音が部屋に響くと同時に「ぐっ」と唸り声をあげて畳の上に倒れこんだ。

 護身術の一種。強力なスタンガンのようなものを体に当てさせてもらっただけなので死んではいない。


「成功した…」

 

 倒れたあやかしから目を離さずに後ずさりして距離を取る。

 護身術として教え込まれたけれど実際に使う機会は一切なかった。言葉が通じない、人に害をなす低級のあやかしを祓う事しかしてこなかった。だから一か八かの手だった。

 

「…アンタ、なにしたの今」


 目の前で起きた光景に思考がついていかないのか、呆然とした様子の二人と目が合う。

 リュカが倒れているあやかしに近寄り「気絶してる…」と呟いた。


「人間なのよね?」

「…うん」

「人間がなんであんなことできるのよ。そいつ…仮にも烏天狗を纏める指揮官なのよ?」 


 何が起きたら人間に一撃で気絶させられるっていうの。と私に説明を求めるその瞳は出会った時のように私を警戒し、敵視している。

 当たり前だ。普通の人間が武器も持たずいきなりあやかしの意識を奪うなんて事できっこない。


「…隠してたわけではないんだけど、言い出すタイミングが分からなくて」

「その力でアタシたちもどうにかしようって思ってたわけ?」

「違う!」


 誤解を解こうと咄嗟に否定をする。

 本当に危害を加えるつもりはないという意思をどこから伝えようと必死で頭を働かせる。


「私があやかしを見ることができるのも、この力も父から譲り受けたもので…ちょっと長くなるけど聞いてほしい」


 二人は黙って私を見るだけだった。聞いてやるから話せという思いが空気から伝わる。 

 伝え方次第では、目の前の二人との関係がどうなるか分からない。

 ぎゅっと自分の手を握って震えそうになるのを誤魔化す。


「ほほっ!大和を一撃とはさすがよの~。だがちとその力は恐ろしいのう」


 ベランダに背を向けて座っていた私の後ろから突然聞きなれない声が振ってきて、緊張で張り詰めた空気がどこかへと行ってしまった。

 向かい合うように座っていた二人の顔は驚きに満ちて、そっと振り返れば鼻が長く少し背が低い、見るからに高級そうな山伏の服装の老いた天狗と目が合う。


「忌々しい西園寺の血も濃く継いでいるというわけか…」

「あの…?」

「だがやはり孫はかわいいものよの~!」


 一瞬見せた冷たい表情もすぐに消え去り、心底嬉しそうにその老天狗は私の頭を撫ではじめたが、聞き捨てならない言葉が今この天狗から発せられた。


「孫!?孫ってなに、誰が!?」


 撫でる手から避けて天狗に質問を投げかける。

 私はこの隠世の存在も知らなかったし天狗の知り合いももちろんいない。

 目の前の天狗はきっと誰かと勘違いをしているんだ。


「なに!?あやつは何も伝えておらんのか!?」


 信じられないと言わんばかりに目を見開き「いや、じゃが…」と一人で何かぶつぶつと言った後ひとつ咳払いをした。


「わしは大天狗のさかきじゃ」

「大天狗の、榊さん…」

「そしてお前の母の父。つまり祖父じゃよ!」


 目尻を下げて屈託なく笑う。その会話を聞いた千鈴ちゃんとリュカは「えええっ!?」と後ろで声を上げた。


「え、ええ!?あなたが私のおじいちゃん!?」

「ふはっ」


 男性の低い笑い声。それは目の前の榊さんからではない。

 一階へと続く階段の傍の壁に寄りかかるように旭様が立って肩を震わせ、口元を片手で抑え笑いを堪えるようにしていた。傍には申し訳なさそうにしている着物姿の赤城さんも立っているが、ただ一つ昨日とは違い二人の頭には鬼の角が二本生えている。


「大天狗をおじいちゃんと呼べるのはそうだな、あかりだけだ」


 私がおじいちゃんと呼んだ事がそんなに面白かったのかまだ笑いが止まらないようだ。

 そんな旭様を見て、おじいちゃんと名乗る榊さんはびしっと指を指した。


「旭!おぬし朝刊のあれは何じゃ!わしの大切な孫にさっそく手を出しおって!!」

「ああ。そのままの意味だが」

「いや、道案内してもらっただけじゃないですか!」


 まるで撮られることを知っていたかのように何食わぬ顔で答える旭様の言葉にすかさず事実を説明するも、当の本人は大混乱中の千鈴ちゃんとリュカに「戸締りはしっかりとしたほうがいい。俺のように簡単に入ってくることができるからな」などと注意をしている。

 たしかに戸締りは大切なことだけども。


「まあ俺がここに来たのは甘味目当てではない。大天狗が来ていると知っていたからだ」


 倒れている大和と名乗った烏天狗には目もくれず、赤城さんの傍を離れ私の隣までやってきて胡坐をかいて座る。

 旭様が纏っている香包だろうか。ふわりと白檀の香りが鼻をかすめた。


「今日は髪を下ろしているのだな。似合っているぞ」

「え、あ、ありがとうございます…寝起きなんであんまり見られたくないんですが…」


 昨日は綺麗な着物を着て髪も纏めてもらっていた。今の姿はそれとはかけ離れているのに、お世辞がうまい。お客の心を掴んでおこうという事か。

 私たちのやり取りを見て榊様が痺れを切らしたように「用があるのならはよう申せ!」と急かした。

 

「確か俺の記憶では大天狗には大きな貸しがあったな」

「…突然何を言う」


 ぐぬ、と旭様から目をそらして窓の外を見るその顔は苦虫を嚙み潰したよう。何か嫌なことでも思い出してしまったのだろうか。

 旭様は営業モードの時の敬語は今は全くなく、その言葉使いもとても新鮮。

 そんなことを考えていると白檀の香りが強くなった。隣に座っている旭様の腕が私の肩に回されたのだ。


「貸しを返してもらう。あかりを俺の嫁にもらいたい」

「…はい!?」


 なにがどうしてそうなったと言いたげな私の視線は無視された。

 シンと静寂が部屋を包んだ後、ひゅっと誰かの息を飲む音がする。


「ま、待って榊様の孫っていう説明もまだ受けてないのにその上嫁って、どういうことですか!」

「ん?付き合う期間を経て結婚が普通だったか。ならば婚約者ということになるな」

「そういうことじゃなくて!」


 どこかずれた回答にもだもだする。

 肩に回った腕から逃げると何故、というような視線を旭様に向けられる。


「待て待て旭!ようやく見つけ出した孫なのだぞ!そう簡単にくれてやるわけにはいかん!!」


 衝撃の発言に一番先に我に返ったのは榊さんだった。小さな手をぶんぶん振り騒ぎ立てる。

 このままではまずいとでも思ったのか赤城さんが慌てて駆け寄ってきた。


「失礼。お言葉ですが榊様。旭様ならば三妖の一人です。あやかしからも畏れ慕われ、権力もございます」

「それは認めておる」

「…そしてですが、あの新聞を見た妬むあやかし達にあかり様は狙われ、襲われる可能性も高いかと」


 赤城さんの言葉に私自身が納得してしまう。

 私の予感は当たった。当たってほしくない方に。


「そうなる前に旭様の実の婚約者だと認め、その上榊様の孫と公表してしまえば、あやかしへの抑制効果にもなり得ます」

「ぐぬ………一理あるのう」


 見事に赤城さんの話術に丸め込まれている。

 後ろから「うちで、目の前で、何が起こってるっていうの…」と震えた千鈴ちゃんの声が聞こえてきた。気持ちはとてもわかる。

 赤城さんの話した内容は確かに私にとっては身の安全も確保できるしいい事なんだろうけど、少し待ってほしい。


「旭様」

「なんだ?」

「結婚って、好きな人とすることなんですよ」

「知っているが?」

「…旭さん、昨日出会ったばかりの私の事そこまで好きになれたんですか?普通はなれませんよ」


 至極当たり前のことを言う。

 昨日出会ったばかり、しかも人間とあやかし。私は絶世の美女でもないし至って普通の女子大生だ。

 少し話しただけで結婚したいとまで思われるような女ではない。


「俺は好きでもない者と手を繋いで買い物などしないが?」

「私は今までの旭様を知らないので、そんなことを言われてもすぐ信用できません」

「…ふふ。これだ赤城。分かるだろう?」


 突然話を振られた赤城さんは「はあ」と疲れた顔で頷いた。

 旭様に振り回されている苦労人なのがなんとなく感じ取れる。


「俺はあかりの事を気に入ったのだ。よその男の元へやりたくないと思った。これは恋だろう?」

「…冷静になってください。大前提に私は人間で旭様はあやかしです!」

「ああ。それは問題ない」


 一番の大問題を問題ないと言う。どういうことなの。

 混乱しているとガヤガヤと騒々しい声が耳につく。何事かとひょいと窓から下を見下ろすとそこにはとんでもない人だかりができていた。いや、あやかしだかり?

 よく見ると道の上には烏天狗の大和さんが割った窓ガラスの破片が落ちている。


「おや、目立っているな」


 私の隣から旭様まで覗くものだからこちらを見上げていたあやかしたちの表情は不安そうな顔、心配そうな顔から一瞬で変わり黄色い声が飛んでくる。


「ここじゃ五月蠅くて話も出来ん。待っておれ迎えを寄越す」


 榊さんが立ち上がり未だ気絶している烏天狗の首根っこを掴み、止める暇もなくベランダからどこかへ飛び立つものだからより一層歓声は大きくなる。

 「三妖の二人が何故!?」「ねえまさかあの女って新聞の!」「千鈴ちゃんいる!?」など下から名前を呼ばれてはっとしたように千鈴ちゃんがリュカを引っ掴んで一階に降りて行った。

 店を壊してしまうんじゃないかと思うくらい、あやかし達の勢いは言葉に言い表せないほどだ。


「赤城、お前もあの二人を手伝ってやれ。この店が壊れてはあの美味い甘味がもう食えなくなるからな」

「かしこまりました」


 階段を降りて行く姿を見送り暫くすると下の歓声がまた大きいものになった気がした。

 火に油だったのでは、とハラハラする私を観察するように見ていた旭様が首を傾げる。


「どうしたあかり。元気がないな」

「この状況で元気がある方がおかしいです。朝から孫だの結婚だの…あの二人にも、私の事まだきちんと話せてないし」


 なにひとつ解決していないことに気付いて項垂れる。

 どうしてこうなったの。あの新聞が出回った原因、つまり旭様に道案内を頼んでしまった私自身だ。

 昨日に戻りたいと切実に思いながら、その後榊様が寄越した烏天狗の大群と牛車ぎっしゃに顔が付いた朧車おぼろぐるまに乗り込んで榊様の元へと向かった。

 千鈴ちゃんやリュカ、赤城さんも乗っているのだがその姿はぐったりとしている。 

 心の中で労いながら外から聞こえる沢山の烏天狗の羽音を聞きながら目を閉じた。

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