033 事故死ではなく、勇気ある者の死です。



 暗闇に沈んでいた意識が泡のように浮かび上がり、パチンッとはじけた。

 俺の目の前には、諏訪がいる。

 諏訪はいつもの天真爛漫てんしんらんまんな笑顔ではなく、はにかんだ表情で少し頬を赤くしている。

 俺は冷静に、現状確認を行なう。


 ……確か俺は、窓から飛び降りて、ゾンビの親玉を探しだそうとしていた。

 しかし、虫達の攻撃を受けて、バランスを崩し飛び降りに失敗。

 頭から地面に激突して、死亡。

 俺は死んだ。

 だが、現に俺はこうして生きている。

 右手には、やわらかくて温かいモノに振れている感触がある。


「……戻った?」


 諏訪が、ぼそりと口にする。

 その言葉で、俺は理解した。


 ……俺はループした。いや違う。

 世界がループしたのだ。

 諏訪の奇跡によって、俺が死んだことが無かったことされ、時間が巻き戻った。

 そして今は、諏訪の体にオーブを入れ終わったすぐ後。

 俺の右手に握られているモノとは、諏訪のおっぱい。


 俺は、諏訪の胸を二回揉むことで返事とした。

 初回は一揉みだったが、今は二周目なので二揉み。

 前回と違う行動をすることで、ループが成功したこと。

 さらに俺が前回の記憶を保持していることを合理的に諏訪へ伝える。

 決して、俺が諏訪のおっぱいを堪能したいからという、よこしまな考えの行動ではない。


 諏訪は、あっと小さい吐息を漏らして、何かに気付いた様子。

 どうやら俺の意図いとが伝わったようだ。

 俺は深く頷いて、諏訪の胸からそっと右手を離す。


「ループ成功だ。これで俺の言葉が真実だって分かっただろ?」

「もしかして、あたしを信じさせるために、わざと?」


 諏訪は、俺がわざと飛び降りを失敗したのかと問う。


「……ああ、そうだ。びっくりさせて悪かったな」


 俺はちょっと考えてから頷いた。

 本当はただ虫達にビビってバランスを崩した事故死なのだが、格好悪すぎるので、諏訪には誤解したままでいてもらう。

 アホな事故死ではなく、奇跡を起こす為の勇気ある死。

 俺は怖くも無い虫達にビビった振りをして、諏訪にループを信じさせるために、わざと死んでみせた。

 たとえ奇跡でループすると分かっていても、普通の人間は恐怖で自らの命を絶つことなど不可能。

 それを軽々とやってのけた俺は、まさに勇者。

 という設定にしておく。


「もう上野ちゃんのバカ! 死ぬなら死ぬって言ってよ、心臓に悪いからぁ」


 諏訪は安心したように、自分の胸に両手を当てた。


「言ったら、絶対に止めるだろ?」

「うん、止める」


 諏訪はきっぱりと言い切る。


「止められたら、ループを証明できない」

「それは、そうだけど……」

「俺は今、こうして生きてる。それで良いだろ?」


「でも、もう二度と死んで欲しくない。

 あたし上野ちゃんが死んで、とっても悲しかった。

 変なカッコで地面に倒れたままだったから、最初は笑っちゃったけど。

 ぜんぜん動かなくて死んでるって分かったら、すぐに涙がポロポロでて、頭が真っ白になって。

 ……そしたら、ここに戻ってた」


 俺の死んだ場面を思い出したのか、諏訪の目に涙が浮かぶ。


 どうやら俺が死んだすぐ後に、ループが行なわれたようだ。

 もしループが2、3日後だったら、諏訪たちは餓死がしをしていた。

 辛い経験をせずにループしたことは良かった。

 おそらく諏訪が、心からやり直したいと思ったときに、ループが発動すると考えて良いだろう。

 具体的には、諏訪自身が死ぬか、俺が死ぬか。

 このどちらかがトリガーになると仮定しておこう。


「……俺のために泣いてくれたのか、ありがとう。

 あと、ごめんな」


 彼女の目の端に溜まった涙の粒を、俺はそっと指でぬぐう。

 次の瞬間、


「「「ああああああああああああああああああああ!!!!」」」


 扉の前にいた結城、藩出、大仲の三人が叫び声を上げ、俺と諏訪の元に走りよって来る。

 そして前回と同じように、俺が諏訪の胸を触ったことをすごい勢いで責め立ててくる。

 俺はそれを慌てることなく聞き入れ、冷静に言葉を返す。


「まあ、落ち着け! 大声をだして体力を消費させるな。

 ちゃんと理由があるから、聞いてくれ」


「何よ理由って?」


 結城が不審のまなざしを俺に向ける。

 前回は、ここで俺が窓から飛び降りてゾンビの親玉を探してくると提案した。

 しかし、今回はその提案をするのをやめる。

 別に、虫が怖いとか、二階から飛び降りるのが怖くなったとかで、臆病風おくびょうかぜに吹かれたわけでは決して無い。

 もっと良いアイデアが浮かんだので、そちらを試してみる。


「今この手には、光の玉がある。これを使えば、奇跡が起こせる」


 俺は右手にオーブを持ち、全員に見せる。

 結城の椅子には、二つのオーブがあった。

 一つは諏訪の中に、もう一つが右手に持っている余りだ。

 視線が俺の右手に集中するが、全員が首をかしげて、きょとんとした顔をしている。


「え、なに? なにも持ってないけど?」


 やはり結城にもオーブは見えていないようだ。

 そして、他の面々にも見えていない。


「俺にしか見えない特殊な玉だ。

 疑う気持ちもあるだろうが、ひとまず信じてくれ」


「うん、分かった。それで?」


「この玉は人の体に入ることで奇跡を起こす。

 だから、大仲の体に入れさせて欲しい」


 俺は大仲に視線を向ける。

 大仲は突然、話を向けられて戸惑っている。


「え、私? なんで私なのよ? ここは公平にジャンケンで決めましょ」

「いや、大仲。お前しか可能性はないんだ。頼む」


 この部屋には五人いる。俺、結城、諏訪、藩出、大仲。

 俺と結城にオーブは使えない。

 諏訪の奇跡はループ。現在使用中。

 藩出の奇跡はスイッチ。体を入れ替えたところで問題は解決しない。

 そして大仲の奇跡は不明。何が起こるかわからない。

 チャンスがあるとすれば、大仲しかいないのだ。


「……奇跡を起こせるって、嘘じゃないわよね?」


「ホントだ。だがどんな奇跡が起こるのかは分からない。

 分からないからこそ、チャンスがある。

 みんなを助けると思って、引き受けてくれないか?」


 俺がそう言うと、大仲はゆっくりと全員の顔を見渡した。

 そして諏訪の胸を最後に見た後、意を決してうなずく。


「分かった。それでその玉をどうやって体に入れるの?

 飲み込めば良いの? それともおしりから?」


「……いや、背中からで大丈夫だ」

「そう、それじゃ、入れて」


 大仲は俺に背中を向ける。

 俺は右手に持ったオーブを見つめた後、背中から体内にオーブを入れた。


 ……さて、おにが出るかじゃが出るか。

 事態を収拾する奇跡が起きてくれることを祈ろう。


 俺達は大仲の奇跡が起きるのを待った。

 しばしの静寂が流れた後、大仲は自分の体を見回しながら、不満げに口を開く。


「…………。何も起きないみたいだけど?」

「…………」

「ねえ、なに黙ってるの? 何か言ってよ」


 大仲の言葉に誰も反応できず、ただ呆気に取られていた。

 それは奇跡が起きていたからだ。

 大仲の背後に、光の粒が集まりだし、やがて一つの形を作り出す。

 人間を丸呑みできそうなほどの大きさの犬。

 いや、犬ではなくおおかみが姿を現した。

 神々こうごうしい光をまとった狼。まさに神狼しんろう


「大仲うしろ、うしろ!」


 一人気付かず平然としている大仲に、俺は教える。


「え、うしろ? うしろがなに……よ」


 大仲は振り返ると、先ほどまでの俺達どうように呆気に取られる。

 美しさと恐ろしさの両方を兼ね備えた狼を目の前に、俺達の体は金縛りにあったように硬直していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る